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大きく #お花の定期便

高校、大学と、女子サッカーをやっていた。遠い昔のことだ。今ではもう全然走れないし、勘も鈍っている、というか勘など消え失せている。共にボールを追いかけた仲間ともいつしか疎遠になり、年賀状で家族が増えたことを知る。
夜を照らすグラウンドのライトや、真夏の朝練で吸い込む澄んだ空気、雨の日の筋トレ、イヤホンを片耳ずつはめる遠征のバスの中、お喋りが花咲く合宿所の夜。すべて、遠い遠い昔のことだ。

先日、全国高校サッカー選手権大会が行われた。青森県出身の私は代表校の試合を録画し何度か繰り返し見た。試合中、もう長年口にしていなかった言葉がぽんぽんと飛び出して、自分自身にあ然とする。
オフサイ、クリア、戻る、ワンツー、逆サイ、前向く、勝負。
ゴールが決まった瞬間のハイタッチ、肩や頭を抱かれる感触。破れたあとの胸の中の塊、思わずユニフォームで拭う涙。二十も下の子たちの中に、いつかの私たちを見ていた。

ーーー

パソコンをいじったり、兄弟喧嘩をしたり、全身スパイダーマンになったりしている三人息子を見やる。テレビ画面からほとばしる熱に目が眩み、誰かサッカーやってくれないかなぁと思わず呟いた。誰も聞いちゃいない。そして私もそれ以上は呟かず、また画面の中に身を置いた。
ずっと前から、きっと結構幼い頃から、心に決めていたことがあった。絶対に、子供に進路や習い事を押し付ける親にだけはならない。サッカーをしていた日々は、確かに私の過去の中でぽつりぽつりと発光し、その光は今でもこうして私を抱いてくれるけれど、それをそのまま子供たちに持たせようとは思わない。そう心に決めていたのに、少し揺らいだ。その揺らぎを認めながら、私は画面を見つめていた。
「サッカーやだあ、ネットフリックスにしてースパイダーマンみせてー」
子供たちの言葉に揺らぎはさらに大きくなり、その反動で溜息が少しこぼれてしまう。

ーーー

1/11、仕事を終え、次男と三男を保育園に迎えに行き帰宅。次男三男を夫に預け、長男を車に乗せた。分刻みの移動のあと、たどり着いたのはプログラミング教室。体験教室だ。
「ゲームを作る人になりたい。プログラミングに通わせて」
そう言われたのは三年生の頃だったか。
あと数ヶ月で六年生になる彼の横に座り、思い返す。先生の指示に耳を澄ませ、頬を紅く染めてキーボードを叩く彼を見つめる。
数年間も、私は通わせなかった。何度も懇願されていたのに。なぜだろうか。

彼が「プログラミング」という単語を出すたびに私の頭に反射的に立ち上がるのはいつも、「子供のうちはスポーツをするべき」という概念だった。なにか、なんでもいいからスポーツをしてほしかった。体を鍛え、粘り強さを得、その苦楽を分かち合う仲間を作ってほしいと思うのだった。一人でカタカタとキーボードを打つのではなく、なにか、スポーツを。
いい返事をくれない親に見切りをつけて長男は独自で始めた。本を買い、You Tubeで解説を見ながら、子供部屋のPCでひとり始めた。しかし壁にぶつかり、その打開策が本にもYou Tubeにも見つからないとき、彼は私に問いかける。私は当然無知なので、彼の壁は壁のままでそこに居座り続ける。
答えてくれる先生が必要だった。壁を壊す道具を教えてくれる人がいれば、彼はどこまでも前進していけるのだった。そう、私などには見えなくなるほど遥か彼方まで。そして、私達はついに教室の椅子に座っていた。

「ほんとたまにいるんですよ、こういう子」
若い男性の先生は私に向かって言った。そして、
「ほんとは体験教室でやるのはここまでなんだけど」
と時計を見やり、
「もっと先まで教えてあげるね」
と言った。
長男は返事をし、さらに頬を染めて前のめりになった。

「その方法でもできるけど、このやり方の方が早いし簡単だよ」
「あっ、ほんとだ!」
先生は彼の壁を壊していく。彼は真っ直ぐ、加速しながら前進していく。
先生が席を外しても、ぶつぶつと呟きながらキーボードを叩き続ける長男に、
「楽しい?」
と聞くと、照れた様子で頷く。
私からしたら、文字の羅列だらけの画面は楽しい要素などまったくない。
「どこらへんが楽しいの?」
私は心底不思議に思い小声で尋ねた。周りの子たち、そして先生に聴こえないように。
その時、長男がタン、とエンターキーを弾いた。途端に画面が切り替わり、真っ青な空の下、草原にそびえ立つ建物が現れる。先生が見せたカードの中と同じ世界が画面内に創られている。
毛髪だらけの長男の頭を眺める。この頭の中は一体どうなっているのだろうと思う。まず頭の中で映像をイメージし、それを文字に組み替えているのだろうか。

ずっと前から心に決めていた。絶対に、子供に進路や習い事を押し付ける親にだけはならない。
私は彼にスポーツを押し付けなかった。やってほしかったが、やりたくないと言うので押し付けなかった。しかしそれは本当に押し付けなかったことになるのだろうか。代わりに私は「やらせない」を押し付けていたのではないだろうか。プログラミング教室を数年間も渋ることで、「諦め」を押し付けていたのではないだろうか。

その夜、耳と頬が火照り、長男は熱を出した。そしてぱたりと寝た。この現象を知っている。初めてゲームに触った時も彼は熱を出した。初めてPCに触った時もだった。
翌朝、すっきりと起きた彼の目に、世界の色はきっと変わって映ったに違いない。ずっと色濃く鮮明に見えたに違いない。

ーーー

「お母さん」

年配の女性の声がした。
二年生の頃の長男の担任の先生の声だと気づく。家庭訪問の時だ。初夏の暑い日。最後、立ち上がろうとする前に、彼女は私の目を真っ直ぐに見て言ったのだ。

「お母さん、絶対にレールは敷かないでください。自分で見つけてきますから。それをただ見守るんです。ただ見守る。そしたらね、この子はお母さんの想像し得ない姿で、大きく大きく咲きますよ」

ぱっと花開くように宙に咲いた先生の掌が、頭の中で数回フラッシュした。


〜 #お花の定期便 とは、毎月第2、第4木曜日に湖嶋家に届くサブスクの花々を眺めながら、取り留めようもない独り言を垂れ流すだけのエッセイです〜



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ぇえ…! 最後まで読んでくれたんですか! あれまぁ! ありがとうございます!