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無責任な励まし

1月13日。

こんにちは。
この投稿を開いて頂きありがとうございます。

ここ数日は、寒さが増して、家を出る時にマフラーとカイロを持って行くようになりました。春から1人暮らしを始めて、冬まで季節が巡ってしまいました。

ふと、1人暮らしを始めてから自分で自分を励ます事が増えたなと感じました。

それは、新たな場所に行き、人に出会うということが人生で1番多かったからかもしれません。
高校時代までは、何か辛いことがあったら前の
クラスの子に、
幼馴染に、
お母さんに
愚痴を吐いて、励ましてもらって、励まして、過ごして居たんだなあと思い返します。

受験期、私は、子どもたちに夢を持ってほしい。そんな事をよく、面接の練習の際に、先生に熱弁していました。
人に、自分の夢や目標を言葉にしてほしい。
貴方には、これから沢山の可能性があると知ってほしい。

でも、私が先生に話せば話すほど、
もし、これで何も叶わなかったら?
言葉にして何もできなかったら?
その時、私は何ができるの。
そんなの無責任すぎなんじゃないのか。
そんな言葉が頭をよぎりました。

受験生に
合格できるよ!
この判定やったら確実だよ!大丈夫。

チームメイトに
これだけ、練習頑張ったんだから大丈夫よ。
絶対、いい結果が出るよ。

恋する親友に
いけるよ!絶対、あっちも好きだって!!
きっと、告白成功するよ。


こんな言葉たちで、人は、誰しも一度は、誰かに励まされたり、励ましたりしたことがあるのではないかと思います。


それって、明確な根拠はあるの?確約できるの?
出来なかったらどうするの?

もし、そうやって聞かれたとき、なんて答えるだろうか。



私は、貴方がいつも〇〇だから、頑張っているから、叶うと願っているから、
私がそう思うから。


これが励ます理由で、
根拠とか絶対とか分からないけど本気で思ってるということが言葉にした時に

大丈夫
できるよ!
頑張れ!

そんな、たった、3,4文字になる。


励まされる側も"絶対"とかそんな事よりも、自分の事を考えてくれている、見てくれる。
それを感じることができる。


励ますことは、無責任なものなのかもしれません。でも、それは、貴方を見守っているよというサイン。



無責任な励ましなのか、励ましとは無責任なものなのか。






今の私には、まだ、

自分よ、頑張れー!!
できるー!!!こんな事で落ち込むなー!

絶対なんて、思ってないけど、そうやって自分に見守ってるよ。大切だよ。
って言い聞かせることが必要なようです。




ここまで読んで頂きありがとうございました。

それではまた。

百。











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