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マルモイ、ことばあつめ

『数年前、韓国の方とドラマで共演した際、韓国語の中に日本語と同じ単語がいくつもあることを知った。けれどそれらは朝鮮半島が日本統治下にあった時代に、強制的に日本語を覚えさせられた結果残った言葉だったのだ。
 母国語を奪われるということは、その音でしか、表し、受け止めることができない感覚を奪われるということだろう。 ならば言葉を奪われるということは、身体を奪われるのと同じことなのかもしれない。
 果たして、私たちは母国語を話せているのだろうか? 』佐野史郎

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いままで知らなかったのですが、日本統治下の韓国は、日本語で話すことを強要されていて、学校で生徒は日本人の名前で呼ばれるし、映画館では日本の映画を上映していた。電車のなかで韓国の歌をうたっていると、日本人から「朝鮮人!」と罵倒された。

そんな中、自国の言葉を残そうと辞書をつくっていた人たちがいて、彼らは単なる言葉集めが趣味のオタクではなく、言葉があれば志がもてる、志があつまれば自分たちは独立できる、そういう意思を持った人たちの映画でした。

その活動が政府にバレると、逮捕され拷問を受け、集めた資料や書いた原稿は没収された。それでも彼ら彼女らは辞書をつくり続けた。力づくで言うことをきかせようとしてくる体制側に抗い続けた。

いまの日本において、自国の加害の歴史に触れようとするとすぐに反日的だ、非国民だと言われる。例えば、慰安婦や徴用工の問題はテレビではほとんど報道されず、教科書によっては記載されていないものもある。安倍晋三のいう「美しい国」とは、自分たちにとって都合の悪いことは隠蔽・改竄し、なかったことにしようとする態度のことだ。そのやり方ではこの国はよくならないし、他国を馬鹿にしたような報道をするワイドショーもなくならない。なによりも、被害を受けた方々に対しとても失礼な態度だ。だから元慰安婦の女性たちは日本政府に対し賠償金を払うよう韓国で裁判を起こした。そのことについてよく言われるのは、「1965年の日韓請求権協定により、完全かつ最終的に解決済み」ということ。反論すると、三権分立なので、(仮に)行政上は解決していても、司法的に賠償を求めることはできる。というか、そんな表面的なことはどうでもよい。彼女たちが声を上げたのは、日本政府に反省する態度が無いからだ。ドイツのメルケル首相は、ナチス政権下でのユダヤ人虐殺について今年も謝罪した。過去のことだし彼女自身は全く悪くないのに、国民を代表して謝った。これは、自国の加害の歴史に目を向け、反省し繰り返さないためにとても意義ある行為だとおもう。そして彼女のこの態度は、他国からの評価にもつながる。一方、日本は世界からどのように見られているのか。

過去の戦争で日本人が犯した罪は、戦後に生まれた私たちとは一見関係がないように思われる。だけどそれは、なにも知らなくて良いということではない。加害の歴史を知ることは、自国を蔑む行為ではない。同じことを繰り返さないために過去の誤ちから学ぶことこそが、この国をまともにしていく。

他国を馬鹿にした報道をみて、自分たちはまともだと安心している人を軽蔑する。他人を見下して優越感を得ることでしか、自分に自信を持てないのだろう。

映画で彼らは、朝鮮語を守るために言葉を集め、辞書をつくっていた。その行為の根底には自分の国にたいする誇りがある。

いまの日本に住む私たちが、自国に誇りを持つためには何をするべきか。

知ることだと思う。過去の誤ちをなかったことにするのではなく、都合の良いストーリーを妄想で作り上げることでもない。
一つ一つの事実を知ること。だから大人になっても勉強する必要がある。

自分の時間をつくって、映画でも観に行こう。
まだまだ知らないことがたくさんある。楽しみだね。

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