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僕とAR

曖昧なタイトルにしたけど僕が初めてARって単語を聞いたり体験した話してもしゃーないので簡潔にHADOの馴れ初めについてお話します。

僕が初めてHADOをプレイしたのはスリーモンキーズカフェ秋葉原店。当時は期間限定店として1プレイ100円でHADOがプレイできたためW杯出場チームも練習に訪れていた。ここでの前Pとの出会いが後の大会出場やチーム移籍へと繋がっていく訳です。

スリモンには今で言うHADO CREWが常駐しており、そのうちの一人として声優の太田彩華さんがインストラクトを行っていました。そこに目を付けたのがNOeSISオタクであり、太田ちゃんと遊びたい!という煩悩の赴くままHADOの体験へと向かったのでした…

いい機会ですので良く聞かれるNOeSISとは何者の集まりなのかという話をば。元を正せばNOeSISというノベルゲームが好きな人の集まりです。しかし、コラボカフェと呼ばれるパセラ系列とのタイアップなどで度々顔を合わせるうちに友人関係になっていった不思議な人達なのです。数年来の付き合いを説明しようとするともう一本記事が書けそうなのでここら辺にしておきますね。

閑話休題、スリモンに"太田ちゃんに会う為"向かった我々ですが実は一番HADOに興味がないのは僕でした。そもそも動機付けである太田ちゃんを知らなかったのです。最初の数回はスリモンに行ってもほぼ隣のVIPルームでダーツをしてましたしそもそもHADOの誘いを断って行かなかった覚えもあります。

当時のスリモンでは20時から無料で2on2トーナメントを行っていて優勝すると500円の金券、best8ないしbest4まで残ると1ドリンクを貰えるというシステムでした。賞金目当てか人数合わせか忘れましたが僕が初めて参加した時のペアが前Pさんその人であり結果は準優勝でした。とはいえ個人の評価点は散々たるものでした。その後にNOeSISの面々とプレイしても全く歯が立たず一番下手なのは自分でした。

はっきり言って舐めていました。
運動神経では負けてないし勝てないまでもいい試合にはなるだろうと軽く考えていました。
そこからは悔しいの一心で練習しました。
なので僕のHADOへの動機付けは"HADOで勝ちたい"、負けたくないという一点なのかなと思います。

まずは NOeSISの面々は太田ちゃんの日にしか来ないから他の日も行こう。次は前Pに教えてもらおう。と段階を踏んで練習に励みました。
よく後から参入してきたNOeSISの躍進の理由を聞かれるのですが、ただ量を増やすのではなく物凄く密度の濃く質の良い練習が出来たのがスリモンの魅力であり、僕やNOeSISが今も大会に出続けられている訳だと思います。

そんな折にW杯出れるかも知れないから予選に出てみない?という話をインストラクターや前Pから貰い、NOeSIS HADO部として初の大会参加を決めたのでした。初戦は性別迷子、今年もマスターズリーグに出場した強豪です。我々はHADOを始めて僅か数ヶ月、フルサイズのコートも大会も初めての新参チーム。ここで我々はジャイアントキリングを決め華々しいデビューを飾った訳です。しかし、結果としては予選3位、優勝したのは前P率いるシャケーザ新鮮隊でした。NOeSISは予選ではシャケーザ新鮮隊にも勝っていたにも関わらず決勝へは得失点差で進むことが出来ませんでした。

W杯出場が現実味を帯びてきた我々は更にHADOにのめり込みました。メンバーの入れ替わりもありつつ最終予選へ出場する事にしました。 最終予選では決勝進出の2チームがW杯に出場できる事になっていました。しかし、予選ブロックに最大のライバルと目されていたマックスファクター、性別迷子の2チームが入る苦しい振り分け。苦しみつつも得失点差で予選を抜け、なんとか決勝まで駒を進めました。

ここで当たったのがあなたって時たま土の香りがする、略称あな土です。負けてもW杯出場は決まっているとはいえ決勝でのオーバータイムマッチは緊張したのを覚えています。絶対に直接口に出したくないですが予選を抜けさえすればW杯出場できていたであろうマックスファクターや性別迷子の前で無様なところ見せたくないという強い気持ちもありました。

そしてこの大会で優勝した我々は2017年HADOW杯にNOeSIS HADO部として出場する事になり、その後僕は移籍を決意する訳ですが長くなったのでまた次に書こうと思います。


貴方にとってこのnoteが有意義であれば幸いです。 普段は「HADO」というスポーツのプレイヤーをしています🍌  スキ、フォローで応援頂けると嬉しいです