カブトムシが死んだ

今日、なんとなく忘れられない気持ちになったことがありまして。

1年ちょっと前に仕込んだコンポストに草や枯葉をいっぱい詰め込んで、一年かけてそこが腐葉土の状態を終えてフカフカの土になっていました。

すげえ。ええ土になってる、、、と感動して、昨日買ってきた「トウキ」を植えるときにその土を使うことにしました。で、そこをスコップで掘り出したところ。


「モゾ」

「あれ、な、なんかいる。」


で、カブトムシの幼虫でした。しかもめっちゃいっぱい。あんまりいっぱいいたので、流石にこれをそのまま畑に混ぜ込んでしまおうとしたら、全部ぶっ潰してしまうし、それは流石に夢見が悪いなと思いました。

そこで近所の友達に連絡して、息子さんにあげてはどうかと提案したところ喜んで息子さんと取りに来てくれました。たくさんのカブトムシの幼虫を手に入れて興奮していて、ものすごく嬉しそうでよかったなーと思いました。

僕もなにより、ここにいる40匹近くのカブトムシの幼虫を、僕よりは嬉しく大切に扱ってくれそうな人に譲ることができてよかったなあと思いました。


ただ。


その際に、興奮していた息子さんが、その土の周りを移動していたとき、足元では1匹だけカブトムシの幼虫が踏み潰されてしまっていました。


「あ・・・」


なんとなく気まずい雰囲気が、僕と友人と息子さんの間に流れた気がしました。(ああ、やっちまったか・・・)


「なんで、なんでこんところにおんねんっっ・・・!!」


彼はそう言いました。


微妙な気持ちになりました。「命がいま失われたってことを、そしてそれを自分の行いでそうなったことを、きちんといま教えるべきか。」

ただ、どんなテンションで言うべきだろう。「君が殺したんだよ、そんな言い方ってないんじゃないか?」って言うのもちょっと辛いだろう。何よりも彼は、そうしたくてしたわけではない。別に殺したかったわけじゃない。


「生きてるんかな。もう死んでまったんかな。こんなすぐ死ぬんか。」


彼がそう言いました。どんな気持ちだったかはわからないけど、出会えて嬉しかったはずの昆虫を喜んで持って帰りたかった彼が、ただ1匹だけ潰して殺してしまったことをどう思っただろうか。


そもそも愛玩(つまりはある種のおもちゃ)としての昆虫ではあるし、身勝手な譲渡の機会だと思う。だって、彼らはそのフカフカの土なら生きていけるなあと親のカブトムシが選んでそこに卵を産んで、そこで育って立派に大きくなってきたわけで、その命が勝手に譲渡されていい理由もない。

ただ、そこにいては確実に畑に生かすための土を使えないので、どうしても他で育ってもらう必要があったから、僕は譲渡することになったんだけど。


「こんなすぐ死ぬんか。」


その言葉になんて言葉を次ぐのが、本当に正解なのかと色々と考えたが。


「命って、そういうもんやからな。教えてもらったと思うしかない。」


そう伝えました。真意が伝わったかどうかはわかりませんが、なんとなく彼がやってしまったと思っている気持ちがあったように感じたので、彼の気持ちが少し悔いのあるものであったとしたなら、以後に出会う命とどう向き合うのかを考える機会になったらいいなとは思いました。


ちなみにちょっと気になったのでカブトムシの天敵について調べると、彼らが無事にカブトムシの成虫になるのには相当な困難が伴うことがわかりました。アリとか、モグラとか、ミミズとか、イタチとかに狙われ、成虫になってもカラスに狙われているという、ほんとにいつ死んでもおかしくない暮らしをしているんですなあ。



そういう意味では、無事にこの生き残った40匹近くが孵化できたとしたら、よほど運のいい出会いだったのかもしれないなと思いました。

1匹救えませんでしたが、それもまたきっとなにか意味があったんだろうなと思いました。あいつ1匹だけほんま可哀想やったなと、なんか久々に擬人的な感情を昆虫に思うという不思議な体験でした。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。