できることをやっていく

むむ、自己嫌悪モードがどうやら終了した感がある。相変わらず情けなさはあるけれど、自分に対する苛立ちとともに、じゃあどうするんだと思ったら「できることをやる」以外の答えはないことにはもちろん自然と行き着く。

昨日までならガクっとなるような事態が今日もあったにはあった。けれどもそれをがっかりしてたって仕方ないし、それで何かが好転するわけでもないのだから、「じゃあどうしたいのか」を確認して、あとはやるべきことをやっていくしかない、ただそれだけ。

目の前でいくつか起こってくるものごとたちは、過去これまでに自分が中途半端に手をつけて、それをゆるっと放ったらかしてしまったものが、その可能性を発揮出来ずにモヤモヤしてしまっていることばかりだと思う。

中途半端に手をつけてしまったものが、なんの意味もなかったのかと言えばそんなことはないと思う。たくさん出会いが生まれたし、いまもそのご縁がなにかよくわかんない生き方をする上で重要な学びをたくさん運んできてくれたのだから。それ自体を否定しなくちゃいけないものではない。


ただ、もっとできるだろ、ってことだ。


あらゆることはモッタイナイことになってるなと思う。それをモッタイナイことにしてしまっているのは自分だ。ある程度のところで終わらせるなら、それでいいが、本当にそれでいいかというとそうでもない。もう飽きてる。

どっかで全部を自分がやっちゃいけないという気持ちがあって、それをすると全部そのあと自分がやらなくちゃいけないとか、他の人にできる可能性を提供したいとか、実際そうだったことがいっぱいあったけど、途中からは、自分を騙して言い訳してたんだろうって今は言える。おまえ逃げてたなと。


だから、もうそういうのはそろそろいいからやれよ、ってことだと思う。

もともとゼロイチが得意だったわけじゃなく、あまりにも誰もゼロイチをやらないから、とりあえずゼロイチに特化して成長してきたんだと自分では思っている。だから、本当にできるのかよと思う自分と周囲を納得させていきたいし、まあ自分だ、自分を納得させたい。


手に入れた能力は自分を安定させ、安心の暮らしを得るにはとてもいい。

でもポテンシャルのあることを見つけ、着手すること、人を巻き込むことはもうやってきた。次はちゃんとそれを大切に育てていくことをしていく。


口に出しているだけでは口だけと言われる。だから有言実行をするだけ。
時間を大切に、自分の時間は有限だから、自分の大切にしたいものにきちんと時間を割いて、確実にその可能性を育てていく。ほったらかさない。


これからはもう、そういうふうに、そういうことをやることに決めた。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。