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アンテナが変わっていく

最近はにわかに「木製の家具」とか「庭園」「公園」を見ている。これまでそこまで興味を持たなかったものだけど、自分がそこに着手をし始めていくとアンテナがピピっと反応をする。とてもいい傾向だなと思っている。

写真もたくさん撮りつつ、自分の頭の中にある景色情報ストックを少しずつ増やしていっている。美しいもんだなあと思ったものをたくさん見て、感じて、自分が好ましいと思える感じを自分の中にたくさん用意していく。

今日もこんな感じで。

お店に足を運んでみても、これは家にあるといいなと思うようなものがあるとすかさず写真を撮っておいて、いつかあの場所に置いたらいいかもしれないなんてことを考え始めているのだ。

つい最近までそんなことは考えもしなかったのに、不思議なもんだ。

まあでも自分が生来持っている性質はこっちかもしれないなあという感じはなんとなく納得し始めていて、やればやるほどその学びは感性に変わっていく感じがしている。

きらめくようなセンス・感性を持っているかどうかを、他人の軸で良い悪いと評価されてしまうようなことには恐ろしさを感じているけど、その世界にいきたいのではなく、自分が心地よいと思うものを選ぶ世界に生きていく。

競い合うような世界ではなく、自分に必要なものがそこにあって、それがとてもいいなと言ってくれる人たちが嬉しい気持ちでそこにいてくれるようなそんな感じの居場所をつくっていく。

作業をするたびにきづく苦手なことはあるけれど、その度に手を止めて、その苦手意識が生まれた原因まで遡って自分と対話する時間を惜しまないようにしていきたいと思っているし、それは事実やってきたように思えている。

すこしずつだけど、不安な気持ちがきちんと苦手意識につながっていて、その不安や恐れは、自分を情けない存在だと思わせてしまう思い込みからくるってことを何度もこの期間に確かめ続けて、それにケリをつけてきている。

いまその期間を経て興味が湧くものもおそらくずいぶんと変わってきていて、その自然な変化をとてもありがたいものだなと思って受け止めている。

ときどき不安や恐れとともに「成果につながるのか」「やる意味あんのか」という考えが湧いて出てくる思考の癖を眺めて受け流しつつ。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。