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イノベーションの文化を枯らすもの

先日「遊ばせる技術」という本を書かれた神谷俊さんの講演を聞く機会がありました。

世の中の複雑性が増してゆく中で、管理を強めるとそれはエスカレートしてゆきやすい傾向があります。一方で一人一人のメンバーには「自律」が求められるのですが、直接指示や命令をしなくてもマネジメント・ツールを中心としたテクノロジーを使うことで自己管理(=自律?)はしやすくなるけれど、どんどん「遊び」がなくなってゆき、それが成長を阻害する要因となりつつある…
という話でした。

日本人は真面目なのでこの傾向が特に強くなり、忙しさに駆られながら苦痛に耐えて仕事に打ち込み、休暇や余暇の時間が来るだけを楽しみにしている状態、言わば「仕事の中に楽しみを見つけられない」状態になってしまっているのではないかという課題意識から、ではどうすれば良いのかというのがこの本のポイントであり、講演もそこに焦点が定まっている興味深いものでした。

この話を聞きながら、フラッシュバックしたのが私の前職での経験でした。
別のnoteで書いたように、私は3Mという会社に居ました。30年近く勤める中で、会社の文化というものがどのようにして変わってゆくのかを目の当たりにしていました。
特に、21世紀に入ってから徐々に「遊び」がなくなり3Mが誇っていたイノベーションの文化が枯れてゆくのを感じていました。

3Mを退職してからそろそろ7年が経とうしていますが、そのようにしてそれが起きていったのかについて書いてみたいと思います。

古き良き20世紀

3Mはポストイットの開発秘話がとても有名ですね。
接着力の弱い接着剤を開発した技術者が、日曜の教会の礼拝で聖書に挟んでいた栞が落ちてしまってどこまで進んだかがわからなくなって困ってる人をみて、栞をその接着剤でくっ付けることを思いついたところから、「貼って剥がせる」ことの価値を見出したと言われています。

また、マスキングテープの開発も、実は接着剤ではなく研磨剤の技術者が顧客(自動車のツートンカラー塗装ライン)の声を聞いて、糊の量が少なく剥がしやすくて安いマスキングテープを作ったとなっています。

いずれも20世紀半ばのエピソードですが、これらのエピソードからもわかるように、本来の仕事からちょっとずらしたところに発明のアイディアが転がっていて、それと出会えるかどうかがイノベーションの鍵となっているのです。
そして、肝心なのはそれを許容するマネジメントになっているか、というところです。

失敗の許容」とはよく言われることですが、3Mにおいては社員の自主性を尊重し、本来の仕事をちょっとぐらい離れていても会社のためだと思って本人がチャレンジしていることを理解するような寛容さをマネジャーは持つように、と第4代のCEOが語っており、実はそのような考え方がイノベーションの文化の根っこにあります。
VUCAと呼ばれる現代の我々からすると、悠長というか牧歌的というか、古き良き時代であり今はそんなこと言っていられないと思われるかもしれません。

実際、20世紀終盤になると3Mの株価は下落を始めます。
画期的な新しい製品がなかなか出てこないか、出てきたかと思うとすぐに競合にキャッチアップされてしまう。手持ちの技術をじっくりを熟成させるために研究開発に時間と金をかけてきたやり方が時代の変化のスピードに追いつかなくなってきていたのが大きな要因だったのではないか、と私は後になって思いました。

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21世紀になって怒涛のように

株価の低迷と財務パフォーマンスの改善のために3Mが初めて外から迎え入れたCEOがJames McNernyでした。
GEでJack Welchの後継者レースの三人の中の一人です。

McNernyは3Mにくると、GEでやっていたやり方をどんどん3Mに取り入れてゆきます。GEから何人もリーダーを呼び込むこともやり、号令だけではなく実際の実務の中でGE流が行われるようにしていったのです。
代表的なものがSix Sigmaであり、他にも購買部門の強化や新製品開発のスピードアップ(3M Accelerationと呼んでいました)がありました。どれも財務上の数字に直接効果があるイニシアチブです。

GEのやり方がすごいなと思ったのは、それらの効率化を誰でもできる形に標準化し、実際社員全員がそれに取り組めるようにしたことでした。これはかなり徹底していたと思います。
具体的には社員全員がSix Sigmaのプロジェクトを持たさせてコントロール・プラン作成まで完成させることを求められていましたので。

みるみるうちに3Mの財務上のパフォーマンスは好転し、株価は再び上昇基調に入りました。そして2005年、McNernyはBoeingに引き抜かれてゆきます。
その後任として着任したのはまたも外部からでした。なんでもGE流で3Mを塗り替えていったMcNernyもリーダーの育成だけはできてなかったということになります。

後任のCEOに着任したのは、BrunswickからきたGeorge Buckleyでした。
私はボーリング関連の製品でしかBrunswickのことを知らなかったので、今度はどんなことになるんだろうかと思っていました。

BuckleyがCEOになって直ぐに気づいたのは3Mの新製品開発力が落ちているという事実でした。
これは極めて自然なことで、スピードと数を重んじたMcNernyの3M Accelerationにより、Innovativeなものを作るために時間をかけるよりも改良品を次々と出した方がスピードも速いし数も稼げると皆が考え、それを続けてしまった結果として本来の開発力が眠ってしまったのでした。実際、競合が追従するよりも先に改良品をどんどん出していって差を開けてゆくやり方は機能してはいました。
しかし、このようなやり方は長い目で見ると長続きしません。改良と言っても何回かやればネタ切れになりますし、顧客ももうこれで十分となり、そこからは価格競争になってしまいます。

Buckleyは研究開発にかなりの額の投資を行い、技術者をエンカレッジしていましたが、やはりそれだけ急に競争力のある製品が出てくるわけではありません。
そこで、彼がやったのが企業買収です。もともと彼がCEOになったのは効果的な企業買収の手腕を買われてのことでした。少しでも3Mの既存技術と親和性のありそうな技術を持っている会社があると買収してゆきました。実際かなりの数の買収が彼がCEO期間中に起きていたと思います。McNernyの時代に生み出されたキャッシュをうまく使っていたともいえるでしょう。

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このやり方はうまく行きそうに思えました。というのも3Mは昔から「テクノロジー・プラットフォーム」と呼ばれる要素技術が50近くあり、それらを組み合わせることによって画期的なイノベーションを起こしてきた企業だったからです。
つまり、新しい要素技術を買収によって取り込み、それらを既存の要素技術を組み合わせれば新しく画期的なイノベーションや製品が生まれてくるのではないか、と考えたというわけです。

しかし、そうはなりませんでした。
理由は、企業文化の違いです。しかも、複数の企業を同時に沢山買ったりしていたので、Due deligenceやPMIが間に合いきってない感じがありました。
無理矢理3Mのやり方や文化に染め上げるよりも、その会社が持っていたスタイルや文化を尊重し、3Mという入れ物の中で放し飼いにしているような状態にせざるをえませんでした。そして、徐々に3M流にしてゆこうというわけです。

これにより、買収した会社のユニットだけでなく、これまで3Mの中にあった部門にも起きたのが「サイロ効果」です。自分達の部門の中だけで閉じて他者と交流せず、上から降りてくる目標を黙々とこなしてゆくような状態です。
「サイロ」にならないようにしよう、とのリーダーからの呼びかけはありましたけれど、短期的なパフォーマンスを追求すれば目の前のことだけでいっぱいになってしまいます。そちらを優先して、余裕があるときに他も見てみるでいいじゃないかとなってしまい、その後の忙しさにかまけて何もしないで終わります。

結局、Buckleyの時代には画期的な新製品は出て来ませんでした。少なくとも買収した会社の技術との掛け合せでできたイノベーションのようなものはなかったと思います。
そして、彼は2012年に後継者のInge ThulinにCEOのバトンを渡します。Thulinは3M生え抜きの人材でした。
しかし、この頃にはすでに3Mは淡々とオペレーションを回す、「普通の会社」になってしまっていました。財務的なパフォーマンスは相変わらず良いのですが、何か面白い製品が出てくるような会社ではなくなっていた、と私は感じていました。

何が枯らしてしまったのか?

私は2015年に3Mを辞めましたが、その理由の一つが「普通の会社になってしまったこと」でもありました。イノベーションの会社を自称してはいましたけれど、未だに30年も前のポストイットの話になったり、さらに古い昔話が出てきたりというところに「過去の栄光にすがっている」ようにも感じられたものです。

どうしてこんなことになってしまったのか?
3Mを離れてから何度か考えていましたが、この頃思うのはいくつかの要素があり、必然的に起きてしまっていたのではないかということです。

一つには、McNernyの時代に行われたプロセスの標準化と効率化があるでしょう。
成功するプロセスを設計し、それをアップデートし続けることで成功は繰り返されつつクオリティがどんどん上がってゆくことになります。しかし、その一方で大きな飛躍は起こりません。
Six Sigmaを含めた効率化のプロセスづくりは、人が仕事をしている会社からプロセスが仕事をしている会社に3Mを変えていってしまったと私は思っています。

二つ目には、Buckleyの時代に起きたサイロ化があると思います。
3Mのイノベーションのエンジンは、異なったアイディアのセレンディピティな出会いにあり、そこから今まで考えもしなかった画期的な製品が飛び出したりするところにありました。要素技術の組み合わせのバリエーションが少ない競合は、そこで突き放されてしまっていたのです。
しかし、どんなに沢山の要素技術を持っていても、それらがかけ合わさる機会がなければ何も起こらずに現状維持のままになってしまいます。

三つ目が、株主重視でしょうか。
そもそもが株価低迷からCEOを外から雇い入れ、劇的な財務パフォーマンス改善をやってのけた経験があります。その後3Mは優良株となり、それゆえに機関投資家が大株主となってしまっていました。
彼らは四半期ごとのパフォーマンスに敏感に反応しますので、3Mとしてもそれを重視せざるを得ず、短期の成果を追求するようになってしまいました。四半期ごとに一喜一憂とは言いませんけれど、少なくとも5年10年のスパンで考えているようではありませんでした。
これは、21世紀のこれからの世の中の潮流を考えるとヤバい状況だと思います。

そしてもう一つ、述べてきた三つを原因として人の心が変わってしまったことがおそらく最もクリティカルなことだと私は考えています。
プロセスを改善し、安定してキャッシュを生み出す機械のようなオペレーション中心の会社になってしまうと、そこから逸脱する必要がなくなるのです。
日常の中での目標を達成し、細かい改善と続けていけば安定成長が得られます。あえてリスクを取って人がやっていないことをやってみたり、新たな可能性に挑戦をする必要がなくなるのです。

これは「失敗の許容」とかという話ではなく、「チャレンジする必要がなくなった」ということであり「遊ばなくなった」ということでもあるかと思います。
飛躍的な成功をすればその分一時の余裕は生まれますが、小刻みな改善ではそれの数を稼いでいかないと大きなインパクトにならず、結果的にタスクに忙殺されて目の前のことしかできなくなってしまいます。それが続くことでそう言った行動が定着してしまうと、どんどんリスクを取れなくなってゆくでしょう。

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何がイノベーションを起こすのか

3Mにいた頃、イノベーションをテーマに日本法人の社長と技術者がディスカッションをする場面がありました。
私はその場に居なかったので、後でそこにいた技術者の一人から聞いた話で頭に残って離れなかったことがあります。

古株の技術者が社長に向かって次のように発言したのだそうです。
イノベーションを起こすにはゆとりが必要だ。もっとお金と時間を使ってゆっくりやらないと起きるものではない。Accelerationと言っても簡単にできるものではない」
社長はいったん受け止めたものの、やや強い口調で次のように言ったそうです。
「自分はそれが必須とは思わない。イノベーションは本当にそれが必要だと思い、プレッシャーの中であっても必死に考えて考えて考え抜くところから出てくるものだ」

これ、どちらも合っているし、どちらも違っていると私は思っています。
どんなに時間やお金があってもイノベーションが起きるとは限りませんし、今の時代にそんな悠長なことをやらせてくれる会社は奇特だと思います。
確かにプラスアルファの時間とお金があれば、試してみようと思うことをやる余地はできるでしょう。しかし成果も出ないのに延々とそれを繰り返していると会社の業績にならないばかりか周りの部門からは白い目でみられることになり、企業の風土的に対立が起きることもままあります。

一方で、プレッシャーがあった時に起きるのはブレイク・スルーであってイノベーションではないと思います。
確かに、あり得ないほど高い目標に向き合うときや、経験したことがないトラブルに対応してゆく時には、従来の方法では通用しません。小さい改善の積み重ねで時間をかければなんとかなるという状況ではなく、納期的なプレッシャーもある場合は、敢えて今までやったことがないやり方にチャレンジすることで壁を突破することはできると思います。
しかし、一点突破のブレイクスルーは汎用性がなかったりその場凌ぎになりやすく、「異常事態での対応であった」としてその後のアクションとしても定着しづらいです。
そして、こんなのを繰り返していたらメンタルによろしくないですよね。

では、何が鍵なのでしょうか?

私はちょっとの好奇心とちょっと勇気かなと思っています。
「ちょっと」というのは、日常から半歩外に踏み出してみる、あるいは半歩踏み出した状態を考えてみる、ということです。
それを神谷俊さんは「遊び」と言っているのではないかと私は思います。

ちょっとの好奇心とちょっとの勇気を出すことで新たな世界に出会える刺激を、楽しいと思える経験をしている人が、組織の中にできるだけ沢山いる状態(一人だけではダメです)を作ることが、人々の考え方と行動を変え、果てには新たな文化を培ってゆくことになるのではないでしょうか。

…あくまでも、仮説ですが。
みなさんはどう考えますか?

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