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生き様と「遺す」こと

内村鑑三氏に寄ると、人間が死ぬ時に後世に遺せるもの(後世への最大遺物)には4つあると言われてます。
それは「金」「事業」「思想」「高尚な生涯」の4つで、最後の「高尚な生涯」は生き様のようなものかもしれません。

私もそれなりに歳をとったので、自分が後世に何を遺せるのかを考えるようになりました。しかし、今思うと「遺す」なんて若い頃は全く考えもしなかったなと気づきます。

私にとって大きな節目のタイミングでもあるので、私のこれまでの人生と死生観を考えてみようと思います。

漠然とした死への恐怖があった頃

小学生の頃、寝る時に天井を見ながら死んだらどうなるのだろう…などとぼんやりと考えてました。

子供の頃はよく風邪をひいて寝込んでいたので、高熱の中で体が重くなって沈んでゆくような感覚を何度も経験し、その時にベッドから天井を見上げ天井の板目の模様を眺めながら、命が終わる時の感覚ってどんななのだろう、こんな感じなのだろうか、その後はあるのだろうか、ないのだろうか…
なんて考えてちょっと怖いなと思っていたのでした。

今思えば、最も死から遠いはずの若さであったのに、死に対して興味を持ったり恐怖を感じたりするのは不思議な感じもします。
でも、自我が完成すると言われる9歳ぐらいから10歳ぐらいの年頃には、逆にそれを失う恐怖も生まれる時期なのかもしれないですね。

明日死んでも良いと思ってた頃

中学以降の学生時代は全般的に死に対して考えたり、恐怖を感じたりということはなかったと思います。いろいろなものに興味を持ったり、親友と呼べる人たちと思い切り語らったりして毎日があっという間に過ぎてゆく感じでした。
死を意識することはありませんけれど、生を謳歌しているという感じでもなく、毎日が自分自身の興味や周りの人々に振り回されているような感じだったかもしれません。

そんな状況は社会人になって一人立ちするまで、つまり自分に仕事を任せて貰えるだけの結果を出して会社の中で自律的に動けるようになるまで続いていたように思います。

30歳の声を聞く少し前ぐらいから、自分の思い通りに毎日が進んでいっている感覚ができてゆきました。
自分の周りの小さな世界ではあるけれど、その中であれば自分が無敵になったかのように何をやっても楽しめるしうまく行ってるように感じることができました。

30代の前半は、毎日毎日が思い通りにやらせてもらっているし、やり残したことがあるような日はないように感じていたので、夜に寝たら翌朝死んでいたような状況になっても悔いはないと思っていました。
何というか、やりたいと思ったことはその日が終わるまでにやり終えているし、先にやり残していることがない、日々を満足して生きている状態だったのかもしれません。

若かったのかなぁとも思いますが、一日の終わりに人生でやり残していることがない、と思えるような状態はかなり幸せな状態だったのだなと思います。

死ぬわけにはいかなくなったのは…

30半ばになって父親が病気で倒れ、両親が生きているうちに身を固めて安心させないといけないのだろうなと思ったのは、自分が長男だったからと、それなりに親に対して育ててくれた恩を感じていたのと、真の意味で親から独立する必要を感じていたからだったのだろうと思います。

今まで自分のやりたいこと好き放題やってきたからそろそろ良いかな、親を安心させてやろうかな、ぐらいの感覚もあって今のパートナーと結婚しました。

このあたりからですね、自分が死ぬわけには行かなくなったのは。
一緒に一生を歩いていこうと思っている相手がいるのだから、自分が先にそこから降りることは絶対してはならないというのがまずありましたし、パートナーと一緒に未来の楽しみを共有して、そのために今を生きてゆくようになったのだと思います。
先の楽しみのために今を頑張る、みたいな。
まだまだ当時は月給も安かったですし、子供もいませんでしたし。

先の楽しみを作ってゆく、と同時に今を生きる責任のようなもので自分自身を縛り付けようとしていたのかもしれません。ふわふわと自分のやりたい事をやるのではなく地に足をつけて生きなくては、という感覚でした。

まだやりたい事、見たいものがある

この「先の楽しみを作ってゆく」はその後の自分の人生の中で習慣というか哲学のようになってゆきました。働き盛りになるに従って決して面白い仕事ばかりではなくなる中、それをやり遂げた後にある楽しみを得ずして人生を終わることはできない、くらいに考えていたと思います。

そして、そのまま現在に至っているのかな、と。
今は「まだやりたいことがある」とか「みたいものがある」とか思っていますし、それらが心の中に山のように積み上げられていて、その日一日今日もやりきったなんて到底思うことはなさそうです。

たぶん、このまま突然人生の最期を迎えることになったとして、「やり切った」なんて絶対に思わなさそうですね。でも、そんな状態でいられることを良い人生だと振り返れるのかもしれないですね。
色々あったし、まだ物足りないくらいだけれど楽しい人生だった、なんて。

遺す、について考える今日この頃

人生も半分を越え、子供も成長してきて、会社人生でもひと通りやり切った感が出てきて人生の区切りのようなものを感じ始めた昨今、急に「自分は何を遺せるのだろうか」とか考えるようになりました。
「まだまだ自分がやりたい」からちょっとずつですが別の方向性が出てきているというわけです。

こういうのはある意味「終活」とも言えるのかもしれません。広げる方向ではなく集約させる方向。具体的には、小さな生活で満足できるようにする、身軽にする感じです。
自分自身は身軽になって行く一方で、世の中に対して何か自分が生きた証のようなものを遺したい、あるいは自分の人生で作り上げてきたものを次に繋ぐことをしておきたいとか考え始めています。
でも、何を遺せるのだろう?次に繋げられるものは何だろう?と。

冒頭に内村鑑三さんの「後世の最大遺物」の話を出しました。遺せるはずの4つのものを一つ一つ見てみるとどんな感じでしょうか。

「お金」は自分の家族のためにそれなりの金額を残すことができたと思います。あとは自分の生活を小さくしてそれを食い潰さないように気をつけることでしょうね。
「事業」については、私はまだ独立しているわけではないのでこれまでの会社の中に何を残して来れたと思えるかなのだと考えることにします。だとすると、かなりはっきりしたもの「自分が作り上げておそらくこの先も残るもの」はありそうです。

「思想」については、本当は本を書くと良いのでしょうけれど、こうやってnoteに書いているだけで私は十分に自分の考えを表現できているなと思っていますし、ある意味「思想は行動に現れるべきもの」だと思っています。そして思想派その人の在り方のようなものになっていないと行動として表せるものではないだろうと私は思います。
言い方を変えると、その人の行動を伴っていない思想は頭の中で考えられた概念的なものであり、私は空虚な妄想に過ぎず、後の世に遺るものでも遺すものでもないのではないかなと思っています。

さて、最後の「高尚な生涯」ですが、これを書いている今(2022年10月1日)、アントニオ猪木さんが他界されたという速報が入ってきました。常に自分戦う姿を人々に見せ、人々を激励し奮い立たせ続けてきた彼の生き方を私は「高尚な生涯」ではないかなと思います。

それと比べると私のはとてもじゃないけれど胸張ってこうだと言えるものはないなぁと思います。しかし敢えて「高尚な」をとって「生き様」のようなものだと私と接した人が私から感じ取ることはあるのかもしれませんね。

「生き様」って何処に遺るのかと考えてみると、残された人の心の中だけなのかなぁ、と。そして、その人が遺そうと思って相手に印象つけられるものではなく、一所懸命夢中になって何かに向かっているところを周りの人が見て感じるものではないでしょうか。
それは恩師、あるいは会社の上司か、ひょっとしたら親かもしれません。社会的に高いポジションではなくても、財産や書籍を残していなくても周りから見て「立派」つまり、自分の「派」を「立てて」堂々たるものであれば、そこに感じ入るものはあると思います。
「あの人は、○○な人だった」ってね。


今一度自分のここまでの人生を振り返ってみると、明日死んでも良いと思っていた30代は自分の思ったことをやりきるためにあまり考えずにエネルギーを出し切って精一杯生きていました。
今はどうだろうか?とふと思います。
何かを遺すことを考えるあまり、この先に何かできるための余力を残しておくために、エネルギーの出し惜しみをしてないだろうか、と。

自分自身のライフステージの変化によって死生観も変わってゆくのが自然なのだろうとは思います。
ですが、所詮死ぬ時は独り。何も持ってゆけませんし、自分が遺そうとしたものもあっさりと霧散するかもしれませんし、逆に意図してなかったもの(良い評判や悪い評判)が遺ってゆくこともあるでしょう。

ちょっと寂しい元も子もない言い方ですけれど、「これを遺せた」などという考えは所詮は自己満足に過ぎないのでしょう。
だとしたら、最後の最後まで今を必死に生きることの方がその人らしく力強い「生き様」であり、それが周りの人には「高尚な生涯」と映るのかもしれないなと思います。それが人の生きた意味ってことなのかも、と。

何かを成し遂げよう、何かを遺そうとひたすら身を粉にして頑張るのではなく、日々流れてゆく時を大切に味わい、瞬間瞬間を精一杯楽しみ、その中にある幸せを実感する…
そんな生き方でいいのだということが周りの人に遺せるなら、、私は私自身の人生を素敵だったなと思えるかもしれません。
そうなるといいなと思いますし、そうしたいですね。

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