『南総里見八犬伝』と『1Q84』思いつき
『1Q84』と『南総里見八犬伝』
最近いくつかの作品を並行して読んでいますが、そのなかで思いついたことがあります。
「馬琴の『南総里見八犬伝』と、村上春樹の『1Q84』には、共通点がけっこうある(あるいは反転要素がある)」というものです。
思いつきにすぎないのですが、気になる部分を挙げてみます。
興味があれば気軽にお読みください。
千葉が舞台(の場面がある)
『1Q84』を読んでオッと思ったのは、地元の千葉が出てきたところです。
主人公の天吾と青豆は、千葉県の小学校に通っていました。
さらに、天吾は病気の父親に会うために千葉の千倉の病院に行きます。その街は「猫の街」と呼ばれています。天吾が父親に向き合う場面は、なかなかの名シーンです。村上作品らしく、無意識に訴えかけるような隠喩に満ちています。とくに、なぜか海の描写が印象的に登場します。
ちなみに千倉には、里見氏の財宝伝説があるそうです。
海が重要な要素
『1Q84』では海のメタファーがひんぱんに登場しますが、『八犬伝』の冒頭は海をめぐる物語です。里見義実が海を渡り、安房の国、つまり千葉県に落ち延びようとします。そのとき天空に白竜があらわれ、八犬伝の壮大な幕が開きます。
犬と猫という暗喩
『1Q84』には犬と猫が出てきます。
タマルの飼っていた犬はあるとき、空気さなぎの影響か、突然グロテスクに死んでしまいます。私はここを読んで『八犬伝』の有名な伏姫の場面を思い出しました。
千倉を「猫の街」と呼んでいるのも面白いと思います。
怨念みたいなものが出てくる
『八犬伝』を陰に動かす原動力の一つは、玉梓という女性の怨念です。彼女は金椀という武士に処刑され、里見家にあだなす怨霊となったようです。
『1Q84』には「リトル・ピープル」と「空気さなぎ」というものがでてきます。これらはどうやら人間の情念が他のものに力を及ぼすことに関係しているようです。ちなみに村上春樹氏はリトル・ピープルについて、
と語っています。
人をコントロールするモラルがテーマのひとつ
坪内逍遥は、『小説神髄』において、八犬士を「仁義八行の化物にて決して人間とはいひ難かり」と断じました。
また、村上春樹氏は『1Q84』で「原理主義やある種の神話性に対抗する物語」を書きたかったと述べています。
『八犬伝』は読みようによってはあるドグマに対する原理主義的にも読めるし、様々な神話性もあります。
終わりに
以上、つたないながら、両作を並行して読み調べていくなかで気になった点をお伝えしました。
もちろん、これはひとつの読み方であり、他にも外部に開かれた多くの要素がネットワークのように両作には存在しているはずです。
それにしても、二つの日本のベストセラー小説に共通するものを見出していくのは愉快なことです。
また何か思いつくことがあったら追記していきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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