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DXの夜明け前。あなたはVertical SaaSのポテンシャルを信じられるか?

※本記事はイタンジ前CEO 野口 真平の記事です

本ブログの執筆背景

今回から「Vertical SaaS(業界特化型SaaS)」の戦略について連載していきます。

始めに、Vertical SaaSについてnoteでまとめようと思った背景をお伝えすると、私がイタンジを経営しながら不動産業に向き合っている中で日々感じていることとして、Vertical SaaSのポテンシャルは日本の産業構造を抜本的に変えるほど高く、これから日本経済が発展していく上ではVertical SaaSを展開する企業の台頭が必要不可欠なのだと考えている一方で、その将来性や戦略の中身については世間にはさほど広く知られていないと感じたのがきっかけになります。

おそらく多くの方がVertical SaaSを展開する企業に対してこのように思っているのではないでしょうか?

「あいつらはすぐDXとか言うが、その割にはARRは大したことないし、実際のところ何してるのかよくわからん」
あるいは、Vertical SaaSを、Horizontal SaaS(業界・業種を限定しないSaaS)が取り組まなかった単なるニッチSaaSとして認識されている方も多いのではないでしょうか?


Vertical SaaSってわかりづらい

そう思われるのは無理もなく、Vertical SaaSというだけあってこのジャンルは「深く狭い」領域です。産業に深く入り込んでいくことが事業価値であり戦略となりますので、産業特有の慣習やニッチなオペレーションにマッチしたシステムを提供する事となります。つまり、産業に携わっていなければサービスや企業の価値を理解することや、将来的にどう事業が拡大していくのか正確に予想することは困難です。

また、日本の主要な産業は数兆円、数十兆円と市場規模は大きいですが、その中でデジタルの介在余地がどれだけあるのかは様々で、産業の市場規模がそのままVertical SaaSのポテンシャルではありません。しかし、Vertical SaaSを展開する企業の多くは、将来的には業務効率ツールから脱して、その産業の取引の流れやビジネスモデルを変えるような、いわゆる「DX」を狙っています。
しかし、現実には、SaaSで部分的に入り込めたとしても、成熟した産業のサプライチェーンは既に確立されており、業界の人しか知らないような商慣習があり、産業によってはデジタルを阻む規制があります。要は、どの産業でもデジタル化されてこなかった理由は存在するので、一筋縄ではいきません。そして、それらは業界特有の理由となりますので、市場に深く入り込まなければ、デジタル化できるかどうかわかるものではありません。

そのような外部から見た時の不透明性があるものの、それぞれの産業には様々な業務内容や取引相手が存在し、デジタル化すべき領域が無数にあることは確かです。不動産領域もデジタル化すべき領域があまりに多すぎて、それがどこまでデジタル化できるかは推進している当事者でさえも正確に見通しが立っている訳ではありません。実際、細かな業務内容や、その産業で働く人達がどこに課題を感じているかを知っていく過程で、デジタル領域のポテンシャルが段々と鮮明になっていきます。私自身もこの10年を通して、細分化された業務領域の1つに特化して解像度を高め、それを拡張していくといった事を繰り返してきましたが、それでも知ることができたのは不動産業界全体のほんの一部です。

特に、不動産業界を未経験でイタンジに入社したメンバーは「イタンジがどのように産業を変えていくのかイメージが湧かない」といった感想を持つことが多いです。しかし、入社して顧客と接したり不動産取引の理解を深め、戦略理解度が上がっていくと

「実はポテンシャル半端なくない?」

と感じてVertical SaaSの世界にのめりこんでいきます。(大変手前味噌ですが実際そう感じてくれる人が多いです)
それは、インサイトが深まり、課題の深さや、自社の優位性を理解し、長期で変えようとしているものの大きさに気づくからだと思います。

ポテンシャルはいかほどか?

国内上場企業のVertical SaaSマップ(※1)によると、Vertical SaaSの中でも最もARRの高い企業、例えばカイポケを展開するエス・エム・エスさんは2009年から展開しARRは約80億、1998年から現在のVertical SaaSの前身であるサービス提供を開始しているインフォマートさんのARRで100億弱になります。対してHorizontal SaaS(業界・業種を限定しないSaaS)で有名なマネーフォワードさんは2012年からサービスを始めARRは約150億(2022年11月時点)、freeeさんは2013年からサービス提供を開始し、現在、150億のARR(2022年6月時点)であるところからも、これまでの成長率を比較すればHorizontal SaaSの方がVertical SaaSよりも高いことは明らかです。
さらに、Horizontal SaaSと違いVertical SaaSは、ターゲット社数が少ないため、ポテンシャルは相対的に低いと評価されているのが実態なのではないかと思います。しかしながら、Vertical SaaSが、課題を深掘りしていけば提供価値を将来に渡って高めていける部分が見逃されていると感じることも多いです。
繰り返しになりますが、産業のデジタル的なポテンシャルの大きさは、その産業に深く入っていかないとわかりづらいので、産業外の方からすると致し方ない部分があります。

Vertical SaaSとHorizontal SaaSの比較イメージ

また、産業に沢山の課題が存在するとはいえ、新規プロダクトの開発や、顧客開拓のコスト(CAC)がかかるため、高い成長率を実現できないと思われるかもしれませんが、これらは初期フェーズとそれ以降では状況が変わってきます。それは、Vertical SaaSに下記3点(※2)の特徴があり、グロースに必要なKPIがフェーズが進むに連れて改善されるからです。

  • Winner Takes all

  • Better Cross-sell & Upsell

  • Lower CAC

ざっくり要約すると、Vertical SaaSは顧客の同質性が高いので独占やアップセル、クロスセルがしやすく、獲得効率を次第に高めていけるのが特徴です。
これらの特徴はそのままイタンジの成長要因となってきました。さらに、産業固有の「データ」を活かすことでSaaS以外の事業展開も可能となります。実際、イタンジでは「データ」を最重要指標として、ARR成長よりも優先順位を高くしています。
同じ業界内でVertical SaaSが競合していても、次第に明確な優劣が生まれ始め、いずれかの企業がプラットフォーマーとなり業界のデジタル化を加速させていき、市場規模が急拡大していくと考えています。そのポテンシャルは計り知れないほど大きいです。

急拡大する理由には、SaaSによる業務効率化が可能な領域に加えて、その産業で発生する金融(支払い処理や貸出)、保険、マーケティングといった領域での予算が対象となるからです。あるいは、その産業のGMV(流通取引総額)が市場規模にもなり得ます。

Vertical SaaSで業務と密接したコアなデータを扱っていたり、普段使いのオペレーションシステムとなっていると、Fintechの機能を提供した際に、それを単体で利用した時よりも価値が増します。
下記の記事ではFintechや保険機能との親和性が詳しく事例と共に説明されています。

バーティカル市場の顧客は、特定の業界やユースケースに特化した専用ソフトウェアを好んで利用します。1つのソフトウェア・ソリューションがその価値を示すと、顧客基盤はその企業に集約され、すべてのソフトウェア・ニーズを満たすことができるようになります。

Fintech はバーティカル SaaS をスケールさせる (a16z)

さらに、市場規模の拡大だけでなく下記点にも注目です。

これまでソフトウェアの総アドレス可能市場(TAM)が小さすぎたり、顧客獲得のコストが高すぎたりしていた新たなバーティカル市場を開拓することができます。

Fintech はバーティカル SaaS をスケールさせる (a16z)

記事には、FinTechがVertical SaaSに加わるとCACとLTVの方程式を変えられると言及されていますが、イタンジは4年ほど前から、Fintechに拘らず、不動産業界以外で、かつ不動産業務と親和性が高い市場を取り込む目的で、SaaSに外部との連携機能を実装してきました。それによって、生産性以外の付加価値を生み、LTVを大幅に向上させ本来獲得できていなかったデジタル予算のないSMB(新たな市場)の開拓を可能としています。

上記の外部連携によるLTVを高める戦略はHorizontalでも可能で、規模が高まったHorizontal SaaS企業は既に金融サービスとの外部連携を始めています。
一方でVertical SaaSでは、同質性の高い顧客に対して、独占的かつ垂直的に業務システムを提供し、Horizontalでは取れないデータやユーザーとのタッチポイントを持てるので、その領域に関しては効果的に外部連携を進めていくことができます。しかし、これには一定量のデータやトランザクションを必要としますので、短期でリターンを生む戦略ではありません。

詳しくは、本連載の「競争優位性の確保編」で説明していきたいと思いますが、ここがVertical SaaSスケールの戦略の肝となりますので、早い時期からデータの獲得戦略を持ち、どれくらいの規模となれば経営的に影響し出すのか当たりをつけておくことが重要です。また、記事にはFintechや保険とありますが、産業によって、データの内容やトランザクション、取引相手が変わりますので、取り込む市場の見極めも重要となります。

本連載を通してVertical SaaSのこれら特徴をイタンジの事例を持って説明していきたいと思いますが、いずれにせよ、顧客からの信頼を獲得するまで、そして、データが影響力を持つ規模になるまでは、長期視点で投資をしていく必要があり、収益性を最重視しない期間が長く必要となるのではないかと思います。

Vertical SaaSは長期投資分野

「なぜ、広告を打たないのか?」「なぜセールスでなくCSを最も増強するのか?」「なぜSMBに、しかも沖縄にハイタッチしにいくのか?」「なぜ、値上げしないのか?」

ポテンシャルだけでなく、戦略も外部からはわかりづらく、周りから理解されないまま続けていく辛抱強さが求められます。

Vertical SaaSは時に、従来のインターネットビジネスとは異なる、反直感的で、逆説的なアクションが求められます。特に、ターゲット社数が限られているため、短期的なスケールを狙ってタイミングを間違えて拡販したり収益性を追い求めると、むしろスケールに向けた適切な投資にはならないと感じてきました。

ポールグレアムの言葉を借りると、「スケールしないことをしよう」が求められます。その期間が他のインターネットビジネスよりも遥かに長いことが、周りの理解を得ることを難しくしています。
短期でスケールしづらい理由には、既存産業では、根本的にデジタルの成功体験が少なく、IT企業やSaaSへの信頼・期待が低いということが挙げられます。
デジタルの広まっていない既存産業で、積極的にデジタルを取り入れようとする企業はごくわずかで、大抵の場合は、デジタルへ投資するほどの信頼を得るまでに、明確なデジタルでの成功体験が必要です。

当たり前のことを言っているようですが、これは例えば、ベンチャーやIT関連の大手企業を対象としたSaaSの販売とは異なります。そういった企業はデジタルへの信頼度が高いため、初見でもサービスが優れていれば魅力を理解し利用してもらえます。

しかし、そういった経験がない既存産業を対象にした場合には、そもそもデジタルへの信頼度が低く知識も多くないため、導入に慎重になりますし、多くの企業はデジタルを導入した時の「リスク」を重く捉えて判断を保留にします。期待した効果が出ない、現場のオペレーションを変えて反感を買う、情報漏洩、といったリスクです。特に、「これまでのやり方を変えたくない」といった反応は多いです。

そういった顧客の多くは、デジタルでの成功体験がないので、それまでのやり方、例えば電話やFAXが無くなり、デジタルでオペレーションした時のイメージが湧いていません。そのため、商談の際に、「〜のサービスを導入すれば、〜のコスト削減の効果があります」といった説明をしてもその効果は信じられず、他の企業での成功事例が出るまで判断を保留にされます。
このように、既存産業では新規顧客の開拓難易度が高く、さらに、デジタルサービスに求める水準も高い傾向にあります。大手は特に、これまでにオンプレミスや受託開発などの「利用開始時点で完成されたシステム」を利用しているケースが多く、そうすると、改善を前提としたSaaSでは初期になかなか受け入れられない傾向があります。

他にも理由は多数ありますが、これらが初期からプロモーションをかけて短期的にスケールをしようとしても難しい理由の一つです。では、そういった段階ではどうすれば良いのかというと、サービスの改善とカスタマーサクセスしかないと思います。

カスタマーサクセスのその後

私が接してきた不動産業界では、SaaSが広まり始める前はおよそデジタル上の成功体験が無い会社がほとんどでした。唯一、会計や顧客などのコアな情報を扱う基幹システムは使われていましたが、不思議とどちらの会社もそれ以外のデジタル化への興味関心が薄く、デジタルに何かを期待している様子がありませんでした。
しかし、SaaSでの成功事例が出始めると顧客の考えが変わり始めて、他の業務も含めてデジタル化できないか検討するようになりました。そして、不動産業界の協会や、勉強会、SNSなどを通じてデジタルによる成功事例が伝わり、次第に受け入れが始まっていきました。現在では、顧客のアンケートをとると中小企業であってもDXに対する予算があり、デジタルに関する情報を必要としています。つい5年前までとは全く異なる状況です。

これらの経験から私は、産業のデジタルに対する価値観を変えることがVertical SaaSにとって、1つの重要なテーマであり、サービスがスケールするために必要だと考えるようになりました。ただし、それには、地道なサービス改善とカスタマーサクセスの連続によって信頼を積み重ねていく必要があります。

例えば私は、最初のVertical SaaSを出した時に、デジタルツールに不慣れな不動産会社様の事務所に行き、自社サービスの説明だけでなく、サポートが切れたWindowsVistaを共有利用されていた担当の方にOSのアップデートを提案し手取り足取り使い方を説明しました。こういったアクションはWEB界隈の人からすると、「なに非効率なことやっちゃってんの?」という感じだと思います。しかし、私は当時、長期的な狙いを持ってそうした訳ではないですが、顧客から信頼を得るためには他の手段が思い当たりませんでした。
1社の導入にも開発要望を満たすのにも時間がかかり、短期的には採算が合わない行動をとることになるのですが、振り返ると、まさにこれは「スケールしないことをしよう」だったのではないかと思います。この期間で、Vertical SaaSはずっとスケールしないものとして途中で諦めてしまう方も多いかと思います。
しかし、地道なカスタマーサクセスの積み重ねを続けていたある時期、顧客がイタンジの次に出すサービスを期待してくれたり、顧客からの紹介や、勉強会やセミナーに招待頂き、デジタルの活用事例を伝えられる機会が急速に増えました。
それらは、新規の成約数だけでなく、NRR(売上継続率)やCACといった数値に現れてくるのですが、こちらの詳細は「連続的なPMF編」で記載していきたいと思います。後から振り返ると、これはおそらく、産業全体からの「信頼の獲得」だったのではないかと考えています。
現在、イタンジへの業界からの期待や信頼度は高まり、例えば利用している顧客からは日常的にTwitterに上がる程となりました。

2022年7月に開催された「賃貸住宅フェア」でご紹介するため
各アカウント様にご承諾をいただき作成した画像です

現在もまだ、スケールといったレベルではないですが、その予兆は出始めています。
不動産に限らず他の日本のあらゆる既存産業全体でも同様のことが起こると予測しています。現存するVertical SaaSの多くは、ARR20億未満、サービスを開始してからまだ10年経っておらず、顧客からの信頼を獲得し始めたタイミングなのではないかと思います。ここから漸く、業務効率化ツールに留まらず、データの活用やマーケットプレイス、ビジネスモデルの変革にチャレンジする企業が現れ、日本のDXも幕が開けるのではないでしょうか。仮にそうだとしたら、日本はこれからあらゆる産業で急ピッチにデジタル化が進み、生産性を高め、かつての成長を取り戻すチャンスとも言えます。

本ブログを通じて、少しでもVertical SaaSに興味を持ってくれる人が増え、そして、日本の各産業がデジタルを通じて良い方向に変わってくれれば、周りの反対を押し切ってイタンジの戦略を曝け出す甲斐があります。
ぜひ最後までお付き合いください。

次回の記事は私のTwitterよりお知らせします。ぜひフォローしてください。
野口真平 イタンジCEO のTwitterへ>>


(※1)出典:企業データが使えるノート | 運営 早船 明夫

(※2)出典:Vertical SaaS(業界特化型SaaS)とは何か? 求められる戦い方とは? | 加世田敏宏












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