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答え合わせは、しなくていいや。


駅の券売機付近におみくじが落ちていた。

このおみくじの運勢がものすごく気になった!

券売機付近ということを考えると切符を買う過程で財布から落ちたといったところか。
神社で結ばず、わざわざ財布に残すほどのおみくじはやはり大吉の確率が高そうに思う。

いやいや、大凶が出て物珍しさと戒めとして保存してある可能性だって、吉だったけど各項目で書いてあることに響いたから残したみたいなパターンだってある!

おみくじの番号がその人のラッキーナンバーだったかもしれない!
いったい何番だ!

落ちたおみくじにはどんな運勢が書かれているのかだって当然気になる!
特に「失物」のコーナーに書いてあることは必見であろう!

そんな好奇心と期待を膨らませたが結局は答えは見なかった!

もし確認して答えを知っていたら、わざわざここに書くまでの気持ちに至っていないだろう!(まずもって拾う勇気もない!)

わからないからこそ想像を膨らませ
曖昧だからこそあらゆる可能性を探る

答えは時に重要ではない。
白黒ハッキリ付けない方が楽しいことだってたくさんある。


〜〜〜〜〜〜〜

10年近く前の、ある冬の日のこと。

エレベーターで降りていた途中の階で配達員らしきおじいさんが深く帽子を被り乗ってきた。

斜め後ろから見たおじいさんは、その日の数週間前に亡くなった祖父とよく似ていた。

背丈や体格はもちろん、口元、髭、シワの寄り方、わずかに見えた顔の断片と全身は祖父にそっくりだって。

乗り慣れたエレベーターの時間がいつもより長く感じながら、扉が開いたら後ろから追い越して顔を見ようと思った。
けれど、その時も答え合わせはやめた。
このまま「祖父と会えた」ことにしようと決めた。

扉が開くとおじいちゃんが先へ行ってしまった。
それでいい。
まさかこんなところで会えるなんて。
自分を自分で騙すような解釈だが、驚くほどに熱くこみ上げる気持ちと喜びがわいた。

エレベーターで過ごした数十秒ばかりの些細な出来事が10年経った今でも鮮明に覚えているのは、答えがわからないままだからだ。

自分だけの、日常で起こった些細な出来事にはこれくらい曖昧なままにしておいて、自分の都合よく捉えた方が楽しいことはたくさんある。

先ほど、のおみくじの「失物」にどんなことが書いてあったら面白いか、想像を膨らませながら、きっとこのことも些細な記憶としてずっと覚えているのであろう。


#日記 #コラム #習慣にしていること  





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