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この作家によるドキュメンタリー作品は、カルトからの脱洗脳と脱会という、乱暴で誘拐に満ちた世界への私的な旅だ

This Documentarian's Personal Journey Into The Wild, Kidnapping-Filled World Of Cult Deprogramming


エレナ・ニコラウ(Elena Nicolaou)
最終更新 2018年7月27日 22:05


ドキュメンタリー作家のミア・ドノヴァンが、現代の脱カルト及び脱洗脳の父であり、最終的に彼女の2015年のドキュメンタリー『Deprogrammed(脱洗脳)』(Netflixで視聴可能)の題材となった、テッド〝ブラック・ライトニング〟パトリックに初めて会ったのは13歳のときだ。パトリック氏は、幼いドノヴァン氏に良い印象を与えなかったが、その理由は簡単だ。パトリックは彼女の家中を物色し、ソニック・ユースのアルバムやスティーヴン・キングの本などを含む、幅広いカテゴリーから悪魔崇拝を漠然と連想させる、あらゆるものを没収していったからだ。

ドノヴァンの義父は、以前は多くの親たちがそうであったように、息子のマシューを悪魔崇拝カルトの魔手から救い出すためにパトリック氏を雇った。70年代、パトリック氏は、善悪に対する自身の信念を押し通すことで、法律に反してでも悪徳カルトから脱会させる請負人としての定評を得ていた。パトリック氏は、カルトは悪であり、それゆえ強引な誘拐や同意のない尋問セッションなど、カルトから各個人を救い出すために彼が行ったことは全て正しいと考えていたようだ。

「彼は、この類いの集団には潜在的な危険性があると提唱した最初の人物でした」とドノヴァンはRefinery29(当サイト)に語った。パトリックは、神の子供たち(現ファミリー・インターナショナル)、統一教会、十二支族教団のような新興宗教のムーヴメントに人々を結びつける、ある種の強制的な人心操作について指摘し、そのような考えが最終的に、ジョンズタウンの集団自殺のような悲劇に繋がることを明らかにした。パトリックは何日もかけて尋問セッションを行い、人々がカルト的な思考をやめるよう説得に努めていた。

しかし、時にはパトリックと彼を雇った善意の親たちが状況を見誤ることもあった。ドノヴァンの義理の兄は、カルトに入信した覚えのない彼の「脱洗脳」のために、5日間縛られて監禁状態にされたことで心に傷を負っていた。『Deprogrammed』では、ドノヴァンはマシューのようなパトリックの被験者たちを追跡し、彼らの脱洗脳の記録とインタヴューとの両方を撮っている。ドノヴァンは、パトリックの脱洗脳という名の聖戦の持つ功罪の両義牲を敢えて取り上げた。果たして、何度も逮捕されたテッド・パトリックは、ただの不適切な脅迫者に過ぎなかったのだろうか? それとも、数多くの脱洗脳を成功させた彼は、実際に活動のひとつを牽引する存在だったのだろうか? 我々は、その謎をドノヴァンと共に解き明かすことにした。

Refinery29: 「テッド・パトリック氏の悪評が高くなっていった60年代と70年代のカルトの状況は、現在と比べてどうだったのですか?」

ミア・ドノバン: 「70年代には、こうした新興宗教のムーヴメントによって、明らかに人権侵害が起きていました。〝ムーニーズ〟と呼ばれる統一教会の信者たちを街や空港に送り出し、1日に100ドル、あるいは200ドルというノルマを達成しないと教団に戻って来られないようにしていました。そのお金は全て教祖へと渡されます。彼らはヴァンの中で寝泊まりし、食事もロクにしていませんでした。彼らは極端で強力な教化プログラムを受けていました。彼らは非常に簡単に影響され、コントロールされやすい人たちでした」

ミア・ドノバン: 「そうした状況を見れば、どこがテッド・パトリック氏の出番なのかも理解出来ますね。親たちは子供と連絡が取れず、電話も出来ず、帰宅させることも出来ませんでした。だから、彼らは極端な手段に訴えざるを得なかった。テッドはかつて、ある週末に行われていた統一教会のワークショップ・プログラムに潜入したことがあり、教団が使うテクニックに精通していました。その中には、たくさんの心を弱らせるテクニックがあり、テッドはそれを逆に利用しようとしていました。例を挙げると、神の子供たちは人々を教団に誘い込む方法として、聖書の聖句を利用していました。聖書についてよく知っていたテッドは、教団の聖書の解釈に於ける矛盾を明らかにすることで、彼らを取り戻すことが出来たのです。彼はディベートし続けるんです」

Refinery29: 「テッド・パトリックは、自身の過激な戦術をカルトに比べればマシだとしていたようですが、それをどうやって正当化していたかについて話していただけますか?」

ミア・ドノバン: 「親たちはテッドを雇い、子供を誘拐させます。そうすると、カルトは方針を転換させ、テッドをしばしば誘拐罪で告発するわけです。そうして、最終的に彼は刑務所に入ることになる。彼が法廷に立つと、両親が現れ、『はい、私たちは子供を誘拐するために彼を雇いましたが、それは子供の安全が心配だからでした』と言う。彼らは、ジョンズタウンやチャールズ・マンソンのような、まだ人々の記憶に強く残っている事件を引き合いに出すことで、裁判官の親たちへの同情を買っていました」

ミア・ドノバン: 「テッドは、親には子供を誘拐する権利があると考えているような、本当に古い考えの人間なのです。親が彼に連絡を取ると、いつでも彼は『まあ、(子供のことは)親が一番よく知っているからな』と考える。私たちが10代後半から20代前半の頃を考えてみればわかると思うけど、私たち子供のことを一番知らないのが多分、親だった。そこが非常にグレーでわかりにくく、事が上手く行かなかった理由でした」

Refinery29: 「あなたは義理のお兄さんの件で初めてそれを目の当たりにします。お兄さんの脱洗脳について、何か覚えていることはありますか?」

ミア・ドノバン: 「90年代初頭でしたが、マシューは、ベッド・ルームを黒く塗ったり、壁に逆さまの十字架を描いたりと、ヘヴィー・メタル音楽とそれに関連する意匠に夢中な、典型的なヘヴィメタ小僧でした。私もティーンエイジャーでしたから、マシューが反抗的な〝悪ガキ〟らと連んでいたことは知っていました。しかし、義父はマシューがカルトに入ったと思い込み、マシューをコントロールするのに必死でした」

ミア・ドノバン: 「義父がテッドを雇ったとき、マシューを5日間ホテルに連れ込んで椅子に縛り付けるということを私は承知していませんでした。ただ、彼らが過剰に反応しているのは知っていました。私の場合では、私と義理の兄が正気で、彼らのほうが狂っていたのです。そうして、テッドは帰っていきました。17歳か18歳の頃、家にあったテッド・パトリックの本を私は読んでみました。私がジム・ジョーンズや統一教会、あるいは他の典型的なカルトについての本を読んだときには、私にも彼の脱洗脳がもっと理解出来るようになりました」

Refinery29: 「道端で人々を誘拐するようなテッド・パトリック的なスタイルが廃れたいま、カルトからの脱会や脱洗脳はどうなっていますか?」

ミア・ドノバン: 「70年代には、イグジット・カウンセラーと呼ばれる人たちが出て来ました。彼らのアプローチは介入による懇談のようなものです」

ミア・ドノバン: 「ある家族の一人が、人々が懸念している集団に所属してしまっているとしましょう。まず、家族たちは協力してその方を家に誘い込みます。そうした後で、その方を心配する人たち全員が部屋に集まり、そこを懇談の場とします。家族たちはその方に、3、4日間、イグジット・カウンセラー脱会指南者と話すことを検討してもらえないかと願い出ます。懇談後もなお、その方と家族たちにとって、その集団がその方に相応しい場所だという確信を持ったのであれば、家族たちは引き下がります。なぜなら、脱洗脳は完全に自発的なものでなければいけないからであり、一切の強制が出来ないからです」

Refinery29: 「テッド・パトリックにまつわる逸話のなかで、一番クレイジーだったものを教えてもらえますか?」

ミア・ドノバン: 「そういうものは映画には収められていません。彼は、十二支族教団の少女を誘拐したのですが、その少女は結婚するためにウェディング・ドレスを着ていました。十二支族教団は現在もまだ存続していますし、彼らはクリスチャンのグループで、出来るだけ多くの子供を持つように熱心に教化しています。だから、彼らは集団内でかなり若いうちに結婚するんです。彼女の家族は、彼女が結婚する当日に教団から脱退させるためにテッドに依頼しました。テッドは彼女を誘拐し、脱洗脳と脱会を成功させた。しかし、彼女の双子の妹はその後、40年経った現在もそのカルトにいて、11人の子供を儲けています」

Refinery29: 「義理のお兄さんはあなたのドキュメンタリー作品をどう思っていますか?」

ミア・ドノバン: 「兄には編集後の作品を見せました。彼は気に入ってくれましたが、私がテッドに寛大過ぎると思っているようです。彼が経験したシチュエーションは最も極端なものです。彼はまだ14歳だったし、カルトがどんなものなのかも知らず、いま何が起こっているのかを知るには若過ぎたのです。なぜ自分が誘拐され、椅子に縛りつけられ、眠らせてもらえないのかわかっていませんでした。義理の親とテッドたちが行ったことは、彼に対する心理的な拷問になってしまいました。本当に兄は深く傷ついたんです。私も様々なやり方で彼に理解してもらおうとしてみましたが、兄にとってはそのことを抜きにして考えるのが難しいようです」

(了)

Translated by ital.


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