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幸せのカタチ

ヒトの性別は精子と卵子が出会った瞬間に決まってしまう。受精したその一瞬だ。
X染色体を持つ「X精子」が受精すると性染色体「XX」で女の子が生まれ、Y染色体を持つ「Y精子」が受精すると性染色体は「XY」で男の子が生まれるらしい。

この複雑かつ単純な理由で性別が決まってしまうなら、私が男の子で生まれる可能性はどのくらいあったのだろう。

私には姉がいる。静かで穏やかな性格の姉は、
小さい頃からぬり絵やおままごとをして静かに遊ぶのが好きだった。お人形のお洋服を着替えさせたり、私がお人形になっておままごとごっこに付き合う事も多かった。
何が楽しいのかさっぱり理解出来なかったけど、
姉と遊ぶ妹というのはこういう事なんだな、と子供ながらに悟りを開いていたのかもしれない。

両親が共働きで忙しかったので、2人で保育園に通っていたのだけれど、落ち着きのない私はお昼寝の時間にギンギンに覚醒し、もっと遊びたいと駄々をこねて先生を毎日困らせた。
いつしかお昼寝をするくらいなら保育園に行かないと言い張り、私のおうち時間が始まった。

体力が有り余るミラクルハイパワーの私は、沢山のやらかし事をしてきた。
大きい空を気持ち良さそうに飛ぶ鳥になりたいと思った日に家にあったデカめのクローゼットの上によじ登り勢いよく飛んだ。
鳥にはなれなかった。
見事、着地に失敗して口から血を流しながら母親に泣きついた。
めちゃくちゃ怒られたし歯も折れた。

これで懲りたかと思えば、ミラクルハイパワーの私が自宅で静かに遊べるように買ってもらったジャングルジムからまた飛んだ。
またしても鳥にはなれなかった。
今度は右耳が半分千切れて大出血し、大騒ぎになり、ぷらぷらに揺れた千切れた耳を強く抑え止血ながらキレる母親の顔を未だに覚えている。

夜間の救急外来に運ばれて縫合してもらったおかけで耳は元の形を取り戻し、「傷は残ると思うけど大きくなったら可愛いピアスをつければ問題ないね!」お医者さんがそう言った。
おかげさまで学生時代に勢いで沢山あけたピアスが縫合跡を無かった事にしてくれる。耳が千切れたなんて誰にも気付かれた事はありません。あの時のお医者さんどうもありがとう。
地元の夏祭りを様子を伝えた広報誌を負傷した私と2人で写っていた祖母は面白いからという理由で今でも大事に隠し持っていた。

右耳を負傷した私といつも優しかったおばあちゃん

買ってもらったジャングルジムは早々に役目を終えて撤去されました。

それからしばらくしたら右耳のこともすっかり忘れて(懲りないお馬鹿さんでした)暇を持て余した私は姉が静かに遊ぶビーズを手に取り、手品のようにビーズを消してしまおうと閃いてしまったのです。
絶対に見つからない場所…….そうだ鼻の奥だ!!何でそんな事を閃いてしまうんだろう、その閃きはもっと違う分野で生かせなかったのだろうか?抑え切れない好奇心が私を昂らせる。

小さい手のひらいっぱい握りしめたビーズを皆に披露した後に隠れて思いっきり鼻に押し込んだ。消えたビーズを探す両親をよそに、鼻に詰めこんだビーズを得意気に見せびらかした私。

雷が落ちるという表現があるけど、家が吹き飛ぶくらいの稲妻が流れた気がした。ブチ切れる父親が必死で鼻の奥から取り出そうとしたビーズはさらに奥に入り込み、生命の危機を感じたのでまたしても病院に運ばれて鼻に詰め込んだビーズを取る大がかりな処置をする事になる。
私の壮大な手品計画は大失敗に終わった。

歳を重ねても親戚が集まる度にこれらの話を蒸し返されるので、きっと両親がボケてもこの話だけは覚えてくれているんだろうなと考えている。

私の度を超えた好奇心と、悪戯ゴコロは静かな姉とよく比べられていて本当は男の子なのかもしれないと深刻そうな顔をした母親がよく言っていた。

小学校に上がると女の子らしく静かに穏やかに育って欲しいと願う両親の期待を胸に、ピアノを習い始めた。姉の影響だった。なんだかんだで7~8年続けたけど、絶対にコレじゃない感があったのでピアノと並行して少林寺拳法も始めた。本当は誰かと闘いたかったのに、家の近くに空手道場は無くて両親が見つけてきたのが少林寺拳法だった。

有り余る体力で誰かに打ち勝ちたかったけど、通い始めてから少林寺拳法が組手を綺麗に見せるモノと知って落胆した。
結局これもなんだかんだ楽しくて小学校を卒業するまで続けた。
その他にもテニスや習字、無理矢理通わされた塾、何が1番好きで楽しかったのかもよく分からなかったけど知らない世界を知る楽しさや、出会いの場を沢山提供してくれた両親に今でも感謝している。

幼年〜少年期に置いての人との出会いやコミュニケーションは人格形成に一番重要な時間だと思う。
子育てに正解なんてモノは無くて、沢山のお金と時間をかけた娘がTwitterにおまんこやおちんぽなどと言いふらしている事実を知ったら両親はショック死するかもしれない。
でも私は今それなりに幸せに生きているからそれだけは伝えたい。

好奇心、それは大人になった私の中に今でも強く残っていて現実では出会えないような人と出会えるマッチングアプリやTwitterが手軽な好奇心の満たし方だった気がする(良い子は真似しないように)
出会いの先がSEXだったけど、知らない世界の扉がまた別にあったら違う楽しみ方をしていたのかもしれない。正解なんてものはないのだ。

裏垢やアプリを回していると自己肯定感が低い人間の溜まり場だとか辛辣な言葉を見かけたりもするけど、誰だって愛されてきた時間が確かにある。
私の大嫌いなあの人も誰かの大好きな人、
そう考えると少しは愛しく思えるのかもしれない

「人生の物語があるのなら私は今、何章目で生きているのだろう?」

不思議な人達の出会いの一つが生きる原動力になるのならそれも悪く無いはずだ。

押入れに積み重ねられたアルバムを開くと赤ちゃんの私が母親に抱かれて今にも泣きそうな顔をしている。写真の下には見慣れた優しい文字でこう書かれていた。




「生まれてきてくれてありがとう」




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