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乃木坂46の楽曲を一日一曲語る。19日目『制服のマネキン』

_______【この記事の構成】_______
▼今日のこばなし

本題の伏線になる時とならない時がある雑談

▼『○○』の基本データ
作編曲、歌唱メンバー、MV等の情報

▼『○○』を語る
愛と飛躍に溢れた考察

▼おわりに
総括とキメ台詞



▼今日のこばなし

「マネとゾラ」

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「マネとゾラ」というのは、筆者がソシャゲのユーザー名やTwitterの趣味アカで使っている名前である。

一見すると、画家のマネと作家のゾラから拝借した名だが、本当の由来は別にある。

ズバリ、筆者が乃木坂46を好きになるきっかけになった『何度目の青か?』と『制服のマネキン』の2曲から頂いたものである。
筆者の青春時代の根底には、常にこの2曲が流れていた(いる)といっても過言ではない。

『制服のマネキン』が筆者にとっていかに特別な曲かお分かり頂けたところで、
いざ、本編へ参らん!


▼『制服のマネキン』の基本データ

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▼収録 / 発売日
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4thシングル『制服のマネキン』全てのタイプ / 2012年12月19日

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▼作詞 / 作曲 / 編曲
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秋元康 / 杉山勝彦 / 百石元

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▼歌唱メンバー
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3列目:能條愛未、齋藤飛鳥、若月佑美、井上小百合、深川麻衣、市來玲奈、西野七瀬、高山一実

2列目:桜井玲香、橋本奈々未、白石麻衣、松村沙友理、秋元真夏

1列目:生田絵梨花、生駒里奈、星野みなみ

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▼センター
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生駒里奈

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▼MV(ミュージックビデオ)
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監督:池田一真


▼『制服のマネキン』を語る

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・イントロダクション

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高架線と野球場のある河川敷で「僕」は「君」に告白した。

『制服のマネキン』の歌詞を要約するとたったこれだけである。

しかしその中に、キュビスムの絵がごとく幾つもの面が存在し、
その難解なタッチに散々苦しめられた末に筆者が見つけた、テーマと裏テーマがある。

そこで今回はまず『制服のマネキン』の歌詞を全文掲載する。
一瞥するだけでもいいので、まずは皆様に率直な感想を持っていただきたい。

君が何かを言いかけて
電車が過ぎる高架線
動く唇 読んでみたけど
YesかNoか?

河川敷(かせんじき)の野球場で
ボールを打った金属音
黙り込んだ僕らの所(とこ)へ
飛んでくればいい

一歩目を踏み出してみなけりゃ
何も始まらないよ
頭の中で
答えを出すな

恋をするのはいけないことか?
僕の両手に飛び込めよ
若過ぎる それだけで
大人に邪魔をさせない
恋をするのはいけないことか?
君の気持ちはわかってる
感情を隠したら
制服を着たマネキンだ

冬型の気圧配置に
心が冷え込みそうだよ
自販機の缶コーヒー
君の手にあげる

卒業を待ってみたところで
何も変わらないだろう
今しかできない
チョイスもあるさ

どんな自分を守ってるのか?
純情の壁 壊すんだ
汚(けが)れなきものなんて
大人が求める幻想
どんな自分を守ってるのか?
僕は本気で好きなんだ
その意思はどこにある?
制服を着たマネキンよ

できないんじゃない やってないだけさ
未来の扉 そこにあるのに
僕は何度も誘う
生まれ変わるのは君だ

僕にまかせろ

恋をするのはいけないことか?
僕の両手に飛び込めよ
若過ぎる それだけで
大人に邪魔をさせない
恋をするのはいけないことか?
君の気持ちはわかってる
感情を隠したら
制服を着たマネキンだ

制服を着たマネキンだ


- 出典:『制服のマネキン』/ 作詞:秋元康 作曲:杉山勝彦

アタマからケツまでしっかり目を通してくれた素直で好奇心旺盛なあなた!

ありがとう。ここからの文章があなたの知性を最高に刺激すると約束しよう。


さっそくだが、
この曲を理解するべく筆者がたどり着いたのは「メタ認知」と「メタ構造」という2つのキーワードである。


・『制服のマネキン』とメタ認知

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歌詞の一部をいくつか羅列する。

頭の中で答えを出すな
恋をするのはいけないことか?
感情を隠したら制服を着たマネキンだ
その意志はどこにある
生まれ変わるのは君だ
僕にまかせろ

これらの言葉は一見すると「僕」→「君」の方向で放たれた言葉に思える。

たとえ大人を敵に回しても、愛する「君」の手を引こうとする「僕」の力強さが表現されていると解釈できるからだ。


が、このことに筆者はずっと違和感があった。

その引っ掛かりの原因は、1番のAメロにある。

君が何かを言いかけて
電車が過ぎる高架線
動く唇 読んでみたけど
YesかNoか?

河川敷(かせんじき)の野球場で
ボールを打った金属音
黙り込んだ僕らの所(とこ)へ
飛んでくればいい

- 出典:『制服のマネキン』/ 作詞:秋元康 作曲:杉山勝彦

もし「僕」が本当に「生まれ変わるのは君だ」「僕にまかせろ」と言うほどの熱意と覚悟を持っているのなら、
たとえ何も言わなくても「君」にYesの気持ちがあると感じたら迷わず彼女の手を掴んで二人の世界へ連れ出すはずである。

夜逃げや駆け落ちのように本能が理性を超えて然るべきだと思うのだ。

しかし、実際の「僕」はもう一度返事を聞こうともせず、Yes/Noを唇の動きから推測しようとしている。
そしてしまいには、河川敷から飛んでくるかもしれない野球ボールに現状の打破を望む有り様だ。

他力本願もいいところである。


さて、問題だ。
最初に羅列した力強い言葉たちは、本当に「僕」から「君」へ向けてのものなのだろうか?

Yesか、Noか、半分か?


答えは半分だ。

表層的には確かに「僕」から「君」に対しての言葉である。

が、その本質は「僕」を見ている「僕」「僕」に対して思っていること、すなわち「僕」から「僕」へ向けた言葉なのである。


ここで、『制服のマネキン』と「メタ認知」がつながる。

メタ認知とは自己の認知活動(知覚、情動、記憶、思考など)を客観的に捉え評価した上で制御することである。「認知を認知する」 (cognition about cognition) 、あるいは「知っていることを知っている」(knowing about knowing) ことを意味する。

出典:メタ認知-脳科学辞典

つまり、最初に羅列した歌詞は全て、その言葉と逆の状況にある「僕」を客観的に捉えた「僕」が、否定的な評価を下したものということになる。


しかしここで留意しなければならないのは、「僕」のメタ認知は完璧でないことである。
自己認知を客観的に評価するまでは出来ているが、制御はできていない。

そのため「僕」は、自分の至らなさを「野球ボール」や「缶コーヒー」といったアイテムで解決しようとしたり、
「君」が変わらなきゃとばかりに責任を転嫁する行動に出ているのである。

「僕」のメタ認知が未熟であることが、この曲を複雑にしているのだ。


まとめると、

「僕」は「君」を通して「大人に言われたとおり、大人が望むままに振る舞うことで安全圏にいる僕」を見ている

ということである。

『制服のマネキン』のテーマは、「僕」の未熟なメタ認知である。


・『制服のマネキン』とメタ構造

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『制服のマネキン』のテーマは「僕」の未熟なメタ認知だという所まで来た。

ここからは裏テーマの話である。

結論から言おう。
『制服のマネキン』の裏テーマは、アイドルのメタ構造である。


メタ構造とはその名の通り、メタになっている構造である。

では、メタとは何か。(ここでは広義でのメタを指す)

広義に、何かを取り込んだ何か、何かについての何か、といったものがメタと呼ばれる場合がある。たとえば、Wikipediaの記事一覧の一覧などはメタ的な記事の一つだろう。
【中略】
また、小説をテーマにした小説や、映画をテーマにした映画などがメタな小説(あるいはメタ小説)、メタな映画などという風に言われることがある。この「小説内小説」「映画内映画」と言った入れ子構造は「小説とは何か、映画とは何か」という、それ自体についての自意識を如実に表している(フィクションがフィクションであることを表している)ことが多く、それぞれ研究の対象となる。

出典:Wikipedia

『制服のマネキン』のどこにメタ構造があるのか。

この曲には、「アイドルをテーマにしたアイドルソング」というメタ構造を思わせる要素が散りばめられている。

①恋愛禁止

恋をするのはいけないことか?

サビのこのフレーズに、アイドルの「恋愛禁止」を思い浮かべた人は少なからずいるであろう。


②大人の傀儡

若過ぎる それだけで
大人に邪魔をさせない
汚(けが)れなきものなんて
大人が求める幻想

(女性)アイドル産業を穿った見方で表現すると、

汚い大人が若い女の子を商品として操り、若者をカモに金を巻き上げている

と言えなくもない。

今でこそ、アイドルの成功の裏に異常なプロデュース力やマネジメント力を持った大人たちがいて、彼らはむしろ金の亡者とは対極の人種であると知っている筆者も、
『制服のマネキン』を初めて聞いた頃は先述のような偏見を少なからず抱いていたように思う。


①や②といった、アイドルが自らはあまり語りたがらないようなタブーめいた要素がこの曲の随所に見られるのである。


ところで、
メタアイドルなアイドルソングは、小泉今日子の『なんてったってアイドル』を筆頭に昔からあった。

以前にも述べたが、『ぐるぐるカーテン』もその一つだ。

つまり『ぐるぐるカーテン』は、清純な少女たちが教室でたわむれているというオブラートに包まれたアイドル文化の歌なのである。

-1日目『ぐるぐるカーテン』より

が、『ぐるぐるカーテン』と『制服のマネキン』はその性質が全く異なる。

前者がどちらかと言えば「アイドル文化の奥深さを賛美する曲」であるのに対し、
後者は「アイドル文化の束縛的で消費的な側面に反抗する曲」である。


恋愛禁止や大人による支配に抗い、「感情を隠したら 制服を着たマネキンだ」と声高に叫ぶまさにその少女たちが、
統一されたセーラー服の衣装をまとって一糸乱れぬパフォーマンスをしているのだ。

そんな自己矛盾やタブーがこの曲の異様な危うさや緊張感の正体であり、
セーラー服の彼女たちは我々に「アイドルとはなにか?」を問いかけるのである。


▼おわりに

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『制服のマネキン』のテーマは「僕」の未熟なメタ認知であり、裏テーマはアイドルのメタ構造である。

これは、約4年の構想期間(モヤモヤ)の末にようやく言語化できた結論である。

最後まで読んでくれてありがとう。

では、また明日。stay tuned!



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