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今年の目標は”ベタ”

今更ですが、2024年になりました。2024年ですね。知ってますよね。おめでたくなかったらごめんなさい。一旦、あけおめことよろぴっぴです。

新年早々、インフルエンザで寝込み、健康であることのありがたさをひしひしと感じながら血眼で卒業論文に取り組み、先日無事提出し、大学生ミッションファイナルエディションを遂行した訳でありまして。そんな矢先、28ヶ月連続更新をしろとnoteに圧をかけられたので、久方ぶりのnoteに向き合っているわけであります。

さてもうすぐ2月ですが、新年の目標についてです。

今年の目標は、”ベタに生きる”でございます。

ベタなことをする。ベタを知る。
そして、ベタ≒下手≒したて。
下手に生きる。下手に出る。

たくさんのベタをベタにベタなりに経験して、よりベターな人生にしていきたいと思います。詰め込みすぎですかね。けど目標なんて簡潔で多義な方がオシャンティーじゃないですか。ラブリーでプリティーでしょ?

なぜそのような目標にするに至ったのかを綴るにあたり、まずは僕の明るくもないモワッとした部分を綴ります。

どうか、ここまで辿り着いたのも何かのご縁ということで、僕というクラスにいるヤベーヤツを横目で野次馬するような気持ちで読んでほしい。理解されようとしても同情されても困る。僕を思うなら、そして僕がどうでもいいなら流し見だけをしてほしい。流し見で救われるものもあるのだ。

そして、これから述べることは極個人的な意見かつ羅列するだけですので何も得られない可能性が高い可能性がありますがご愛嬌を。

僕は考えすぎてしまう。賢ぶりたいわけじゃない。
自分の頭の出来の悪さも、むしろわかっていると思う。今までの人生、ずっと何かしらには負けてきたから。

おつむが足りないから考えて考えて考えてしまう。

人の機微とか、どう思われているのだろうとか、今までの経験とか、何かから得た誰かの知見を、色んな角度から常に摂取し続けている。その度にどこかからプレッシャーのようなものを体内で感じていて、同時に「生きてればいいことあるよ」という、生きてきていいことがあったであろう奴のセリフには反吐がでる。

その根底には他者への劣等感というよりも、自分という存在への嫌悪感という言葉にしっかりきている。こんな性格なのに他者の人生にはいい意味でも悪い意味でも興味がない。「各人が歩みたい人生歩めよ。勝手に」と思っている。だからきっと歩みたかった人生への後悔と歩みたい未来への不安で、理由もなく死にたくなるんだと思う。多分。

だからかはわからないけれど、ぐっすりと寝れたことがあんまりない気がすることに最近気づいた。毎日何かしらの嫌な夢や、夢と呼ぶにはあまりにもリアルな日常の一部分などを夢に見る。

逆にぐっすり寝れた時というのはアホほど疲れていて、帰路の記憶がなくなるくらい疲れていたり、ちょっとは前向きになれて順調だったのに何かのきっかけで、心のダムが決壊して考えるのをやめるくらい落ち込んだ時なんだと思う。

また少し話が横道に逸れる。

昔から優しいという言葉が嫌いだ。

僕が他人に与えているであろうという優しさは、考えに考え抜いた上での偽善だという自覚がある。

触れ合う人に親切でいよう。出会いを大事にしようと思う気持ちも、その末に待っているのは、自分にいつかその恩が帰ってきてほしいという気持ちが心のどこかに必ずあるし、優しい世界になってほしいが為のある種生け贄のような行動であって、僕の持つそれは「優しさ」などではない。

僕はその偽物の「優しさ」すらをも利用して、人を許せないからこそ、人を許しているんだと思う。

自分には理解できないものだからこそ、琴線に触れても自分と同じ土俵で考えないように、許すことで自分の世界への侵入を無かったことにしている。見て見ぬフリをしている。目を背けて、耳を塞いで、鼻をつまんで。好きなものに触れて没頭することで臭いものに蓋をしている。

ここまで飽きずに読んでくれている人に最大限の感謝を伝えたい。まだ付き合ってくれると言うのなら、最後まで読んでくれたら嬉しい。

もしよければ、僕の頭の中に常にある考え方をここで吐き出して誰かが読んでくれることで、少しでも僕の気持ちを楽にしたいという、我儘なエゴに最後まで付き合ってほしいと思う。

というわけで、なぜこの目標にするに至ったのかについて。

それはキラキラしたベタをバカにしていた昔の自分に疑問が湧いてきたからです。もちろんそれ全てが悪いと言いたい訳ではない。でも、今までの僕は、文化祭のステージで着ぐるみを着てダンスを踊る陽キャのダンス部も、鶏ヤローでテキーラのベルを連打して馬鹿騒ぎする大学1年生も、内心バカにしていた。

「落ち着いて俯瞰出来ている自分カッケー」という浅ましく醜いプライドがあったのでしょう。

だけど、最近思うんです。ベタにはがあります。

大学4年生となった今の僕にとっては、流行りのsnowで🐻のフィルターをつけて文化祭でイケイケに写真を撮ったり、成人式で地元しか勝たんと叫び散らかすのも、賞味期限切れなのです。

やっぱりベタは強いなと思うわけです。
ベタを出来る人ってそれは1つの才能なんです。
流行りに乗っかって、今しかできないその年代のそれっぽいことをできる人を羨ましいと心底思います。

そうは言っても。僕は基本的にベタは苦手。
どうしても俯瞰してしまう。外しをしたい。外したい。どうしても皆んなと同じは嫌だ。ちょけたい。

だからこそまずはベタを知って、「あんなベタをしてた時期もあったな」って恥ずかしくなりながら、旬じゃないベタを取り返すように生き急がなくても済むように、ベッタベタにベタをしてやろうと思うんです。

僕の地獄が理解されないように、貴方の地獄は僕にはわからない。

考えすぎてしまうくらいなら一旦周りの皆んなと同じ道を歩きながら考えるのもアリかなと思います。ちょけてみんなと違うことをするのはやめられないけど、「あーあ、今なにやってんだろ」と思いながら考えるのをやめて楽しく生きてみるのもアリなのかなと思います。

いつでもベタから外れられる心の余裕とチョケりを持って、この1年を生きようと思います。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
頭のいい貴方ならお気付きかもしれませんが、あえて言っておきます。

今できることは今やろう。
今しかない人生を一生懸命生きよう。

と言うことをまわりくどく宣言しただけでした。

まわりくどくて、めんどくさいフランクは言い回しをかっこいいと思っているお年頃の僕をどうか真っ直ぐに好きでいてください。

プリティー。

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