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書く人って読んでるよね。

先日、地域新聞など書くことに力を入れている経営者の方とお話をしていて、

「自然と自分の言葉に置き換えて発信している方って、本を読んだり誰かの言葉を読んでるよね。文章が長い短いに関係なくずっしりとしてる。あ〜、この方よんでるなぁって思う」と仰っていて

鞭打ちになるんじゃないかと思うほど頷き「たしかに」と納得した。

お話しして下さった方の文章も、ブレない何か?が言葉の中に込められていて、こんな風に書けたらと思っていた。

私自身、5年ほど前、一緒に活動させていただき、1年半ほど記事を書かせて貰っていたのだけど、

毎月毎月、期日の直前は、1ヶ月を振り返り、炙り出しの絞り出しの時間に苦戦していた。

記事は書かなければいけないことが決まっている中で、ネタがない。。。

いや、ネタに気づけない。。


言葉を綴る技術の前に、出せるをもの持ち合わせておらず、空っぽの1ヶ月をどう拾いこむか?だけにとにかく集中してたけれど、

中身がなければ、やっぱり出せない。出すことにだけ、気を取られていたんだなぁと、今、ようやく確信できた。

日々の中にネタを見つけ出すのも、やっぱり読んでいるから、アンテナを張っているからなんだと思った。

「言葉を浴びるだけじゃなく、外に出さないと」と言われる中、日々、言葉を浴び触れている方って自然と外へ出してくれている気がする。

書籍だったり、誰かの記事に共感したり「私はこう思う」と内なる言葉に耳を傾け、言葉にできる。

そう思うと、言葉足らずでまだまだ言葉に詰まってしまう私は、出すことにばかりに気が向いて、読む時間の確保が足りていないのかと実感。

私のスカスカしてしまっている空白はきっと伸び代なんだと焦らず、誰かが紡いでくれた言葉に触れていこうと思った。

「これは書きたい」と心が揺れ動く衝動は、たくさんの価値観に触れ伏線を回収できた時に、自然と筆が動くんじゃないか?

周りには見えないブレイクスルーが自分の中で起きた時、外へ出す力になるのかも知れない。


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