見出し画像

すくえる水の量は手のひらの分だけ

毎日コラム生活79日目。
こんにちは!The.Itackworks棚林です。


この土日は、ずっとやらなきゃと思っていたこと(ギター弾く案件)をこなすことができ、ほっとしたというかよし本腰入れてコンピ用の曲作れるぞという感じになっている。
ただ、あまり大きな声では言いたくないが時間の制約のせいで、あまり自分で納得のいくクオリティに出来なかったことを今とても悔いている。もちろん、出来る限りのことはやったつもりだが、本領を発揮できなかったというか、もっとうまくやれたのにという感じである。後悔。


最近、自分は何でもかんでも誘われたことを軽く引き受けすぎだなという自分の良くない部分をすこし感じることが多い。(誘っていただけるのはとても嬉しいしありがたいことだが。)
自分としては、時間が許す限りどんなことでも何でもかんでもやってみたい派の人なので、今やっている事を含めやりたいことをやっている事には違いないのだが、あれこれ手を出しすぎてひとつひとつに力を注ぐことが出来てない感があり、モヤモヤするのである。
「これ出来るか」といわれると「できる」といいたくなってしまう自分の性格も相まっているとは思うが、自分の手のひらですくえる水の量は手のひらの大きさの分だけだという事を最近強く感じる。

学生時代は、睡眠時間を削ったり学業を犠牲にすることでそれでもよかったかもしれないが、今は平日起きてるほとんどの時間を会社で過ごす身である。社会人2年目というまだまだ社会人初心者という事もあるが、社会人として生活しながら自分のやりたいことに対してもれなく力を注げる立ち回り方を考えていかなければなあと思う次第である。

その為にも、自分のやりたいことに対してなんでもかんでも手を出すのも良いが、その中でもホントにやりたいことは何かという最終目的・最終目標を見失わないこと、その為に出来ないことは「すみません。出来ません。」と強く言えること。
一見マイナスなことを言っているように思うかもだが、本当にやりたいことをするために重要なことかなあと思う。人に流されないということだ。


そういえば、社会人になる時に父親に唯一言われたことがある。「会社の飲み会は3回に1回くらい断る勇気も必要だ」と。
誘えば来る、誘えばやってくれる都合の良い人間にされてしまうからだと。言われた時は、「誘ってもらえるのなら自分は全然都合の良い人間と思われても構わないけどな」と思ったが、今考えると何となくではあるが共感できなくはないかもしれない。

そんなかんじで、自分の手のひらですくえる水の量は手のひらの大きさの分だけなのだから、自分のすくえる量で本当にやりたいことをやるためには人に流されるなという今の自分に欠けている部分についての話なのでした。

以上。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?