【#短編小説】センサーのでっかいカメラ
「俺は、センサーのでっかいカメラで青空を撮影して、でっかくプリントして天井に貼りたいんだ」
藍莱 火夏子。
二十一歳。
職業は、飲食店アルバイト。
彼女が自身を指す呼称、所謂、一人称を俺と定めたのは中高一貫校に通っていたころ。
「ふざけんなよ!」
中等部三年の夏、部活の顧問に怒り歯に衣着せぬ言葉をぶつけたことを咎められ、高等部にあがることをその人生の選択肢より外した時からである。
「あ、今からですか? 大丈夫です。私、今日は特に用事ないですから」
今日から入るはずだった新人が来ないから…………というバイト先からの電話を受けた火夏子は、俺から私になる。
「一曲、聞いてから行こう」
彼女のアイドルは、ピート・バーンズ。
一週間だけ同棲したバンドマンが忘れていったミュージックプレイヤーに入っていた歌を聴いて虜になったのだ。
「満腹になると、死にたくなるのはどういうわけか」
二か月ほど前から、火夏子を悩ませているある症状。
「俺は、飯をたらふく食ってウトウトしていると、死にたくなってしまう」
閉店後に――――ちょっと引いてしまうほど量の多い――――まかないを食わせてくれるバイトから帰ると、いつも、死にたくなってしまう。
「死にたくなければ、死を解き明かすしかない」
翌日から火夏子は、毎日実験した。様々なものを食い、何を食ったら一番死にたくなるのかを確かめようとしたのだ。
余談だが、火夏子は一日一食しか食べない。二食にすると、まかないではまかなえないからだ。そしてバイトのない日は必ず食パンを食う。トースターはないから、焼かずに、マーガリンだけつけて。
「ごめん……わかりもしないのにバンドマンのこと、悪く言って」
たまたま古着屋で仲良くなった二つ年上のベーシストと口喧嘩した後、仲直りと称して奢られたラーメンを平らげた火夏子は気づく。
飯の内容なんて関係ない。
満腹になると、俺は、絶対に死にたくなってしまう。
バイト先で――――無駄に多いメニューの中から――――毎日違うものを選んで食うことで死の誘惑に抗うという行為は、無駄であったと。
「満腹なうちに死なせてやろうってこと?」
火夏子は不機嫌なまま眠り――――翌日昼過ぎに起きて、通帳記入に行き――――ご機嫌になった。
「あと、三万だぁ!」
家賃の野郎と光熱費の野郎に足を引っ張られながら、必死にためた金。
がんばって、節約したから。
がんばって、働いたから。
がんばって、がんばったから。
次の給料日には、カメラが手に入る。
ずっとほしかった、あの銀色のカメラが。
「ちょっと、まってください!」
翌日、火夏子はクビを宣告された。
初日を休んでからずっと出勤しないままの新人バイトは、オーナーの恋人――――火夏子はそれを知らず、歯に衣着せぬ言葉をぶつけてしまったのだ。
「ふざけんなよ!」
軽く踏み出しただけだった。
手を出すつもりなどなかった。
不運にも腕がぶつかり、落ちて割れた皿の破片がオーナーの脚に当たってしまっただけ。
出血はない。
もちろん傷跡もない…………でも、傷害罪に変わりはないと二人がかりで脅される。
「わかりました……二十万、ですね」
火夏子は負けた。
通報しない代わりとして要求された現金二十万円を、泣く泣く支払うことにしたのだ。
(涙なんて、一滴も流しはしなかったが)
帰り道、火夏子はスマートフォンでアスファルトの地面を撮影した。そしてコンビニに寄り――――よくあるサイズに――――プリントして――――大家が住人のエアコン掃除用にと共用スペースに放置している脚立を部屋に持ち込み――――天井に貼った。
プリントついでに買ったはじめての煙草が、思いのほか美味い。
「俺は、空の写真が撮りたいんだよ」
もし今、天井に空が貼ってあったら、火夏子は――――どこか高いところへ駆けていき――――飛び降りてしまっていただろう。
でも、この部屋の天井にあるのは地面だ。
空にある地面に落ちるには、羽ばたくしかない。
だから今火夏子は――――死ぬことは――――できないのである。
それから一年と三ヵ月と二日後、火夏子はカメラ屋にいた。
「あ、現金で……お願いします。あ、えっと、レンズは…………また、今度買いに来ます」
火夏子がやっとの思いで手に入れたカメラは、一眼レフ。
レンズは別売りである。
「え……」
カメラ屋の店主は火夏子に、一本のレンズを手渡した。
「もらって……いいんですか?」
それは、ジャンクボックスの中に転がっていた――――オートフォーカス機能が故障しているせいで――――ほとんどの人に見向きもされないようなレンズである。
そして、壊れちゃいるがこのレンズでも写真は撮れると――――店主はにやりと――――笑い、火夏子の背中を見送った。
「まぶし……。これが、一眼レフのプリズムか」
帰り道、火夏子は買ったばかりの、センサーのでっかいカメラで青空を撮影した。
その写真はピントも露出も合っておらず最低の出来栄えであったが、火夏子は――――これこそ空である――――と思う。
以降――――――――
火夏子は生涯、そのレンズを手放さなかった。
おわり
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