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終戦の日に平和を願って「さとうきび畑」を歌う会

終戦の日に何かやりたい・・・と、よしもとのぶこさんが立ち上げてくれたイベント。

ふたりでも、3人でもやろうね・・・と、戦後生まれの私たちには、歴史の真実を知ることはできません。
残された記録を追うことしかできないのだけれど・・・。

会場準備をしながら、ビデオを流しました。
アメリカ人カメラマン、ジョー・オダネル。
占領軍として原爆投下後の長崎に入り、その破壊力を記録するため写真を撮影する一方で、軍に隠れ内密に自分のカメラでおよそ30枚の写真を記録したそうです。43年間封印した写真を、晩年になって原爆の悲劇を訴え母国アメリカの告発した記録です。。

参加者が集まって、自然と見入ってしまいました。

ひとりで観るには辛く重いが、みんなで語り合いながら観ることができました

ため息が出ます・・・。
ちょっと仕切り直しをしよう・・・。
持ち寄ったおやつを食べながら、動画について語り合いました。

のぶこさん手作りのおやつ、ぶどうと夏みかんマーマレード入りのミルクシャーベットと、えみさん差し入れのコーヒーと牛乳でカフェオレ、ハムカツサンド。

人が集う時に、お土産持参で来る心づかいってありがたいですね。
「同じ釜の飯」を共にしながら、場を創る力になります。

まずは、のぶこさんが「さとうきび畑」を弾き語りしてくれました。

歌詞は11番まであります

弾き語りが終わって、のぶこさんは言いました。
「前回の歌の会で三線を弾いて下さった方が、「沖縄にとって終戦の日は8月15日ではない」って言ってたんだよね。だから、ちゃんと沖縄のこと知らなきゃと思って・・・。」
と、準備してくれたURLです。

参加者で一節ずつ読み合わせをしました。
沖縄で起こった事、全然わかっていなかったことを知りました。

ゆかりさんが、沖縄の郷土問題がウルトラセブンに反映されているという、脚本家金城哲夫さんの話を教えてくれました。
その場で検索画面をプロジェクターで映しながら、いろんなお話をしました。

「さとうきび畑」の歌ができたわけも調べてみました。
沖縄戦で父を亡くした少女の思いを歌った曲「さとうきび畑」を作詞・作曲したのは、寺島尚彦さん。
1964年、占領下の沖縄を訪れた際、沖縄戦終結の地とされる摩文仁(まぶに)の丘へ案内され、さとうきび畑の中で「あなたの歩いている土の中に、まだたくさんの戦没者の遺骨が埋まったままになっています」と案内人に聞き、67年「さとうきび畑」が生まれたそうです。

さとうきび畑の歌は11番まであります。
この歌の会のために作った歌詞カードがこちらです。

https://www.canva.com/design/DAFrg-cEfgc/mxm3oQx0VIXgNXS7flO_gQ/view?utm_content=DAFrg-cEfgc&utm_campaign=designshare&utm_medium=link&utm_source=publishsharelink

最後に、みんなで「さとうきび畑」を歌いました。
最後の一節だけ、動画に残しました。

また、来年もやろうね・・・と、終戦の日の歌いは終わったのでした。

今回のライターは矢野由加でした。

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