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休日日記④「区立」の石神井公園

土曜日


朝起きると両方の耳からワイヤレスイヤホンがこぼれ落ちていた。片方はベッドの枕元で見つけたが、もう片方がどうしても見つからない。
こりゃベッドの下に落としたな、と思って腹を括った。妻が起きたのを見計らってベッドの下を覗き込み、朝から懐中電灯で暗闇を照らしていると時間感覚が狂いそうになった。

久々に覗き込んだベッドの下は埃まみれで、最近見かけないと思っていた軍手が落ちていたりした。この空間は僕の家の中にありながらも外界に閉ざされた未知の空間であり、僕は毎晩その未知の空間を下敷きにして寝ているのだ、なんてくだらないことを考えている暇はない。

懐中電灯のおかげでやっとこさワイヤレスイヤホンの片割れを発見したが、とても手が届く位置にはなかった。
そこで僕は布団叩きを取り出した。この布団叩きは我が家で最も「リーチの長い道具」であり、手が届かない場所に触れたい、という状況で役に立つ。もはや本来の布団叩きの用途よりもこの「マジックハンド」的な用途で使うことのほうが多い気がする。
『三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実』で三島由紀夫と論戦をした芥青年が「教室の机を講義に使うのではなくバリケードとして使うという、事物の使用目的の逆転こそが革命である」とむずかしいことを言っていたが、その説によれば我が家では革命が起きている。

というわけで僕は布団叩きの革命によってワイヤレスイヤホンを無事に回収した。

実は寝ながらワイヤレスイヤホンを着けていて翌朝に見失うというのは今回が初めてではなく、毎回妻に怒られている。
だが、どうしても音に包まれながら眠りにつきたい夜があるのだ。この日は前回の日記で書いたとおり、B'zの100曲プレイリストを聴いて寝落ちしたかった。
というわけでプレイリストから1曲。B'zの『となりで眠らせて』


⭐︎
今日は友達が娘ちゃんを連れてきて、練馬区にある石神井公園で一緒に遊ぶという予定があった。石神井公園は都立の大きな公園で、子どもを遊ばせるにはぴったりの場所だと思った。

僕は他の友達と石神井公園の駅で待ち合わせをして、娘ちゃんを連れた友達(以下、T)とは公園で現地集合することになっていた。
スーパーで買い出しをしてから、駅前の商店街を抜けて石神井公園へ向かう。歴史のありそうな洋食屋や古本屋なんがが軒を連ねて、趣のある商店街が好奇心をそそる。

公園の池が見えてきた。季節外れの暖かい日差しの下で、親子があひるボートを漕いでいる。池の周りを歩いていると、高級住宅が建ち並んでいることに気付いた。井の頭公園の周りもそうだけど、公園の池の周りにはなぜお金持ちが集まるのだろうか。
高級住宅のうちの一軒に、高い階段の上にレンガ作りの建物を何棟も構えた、家というよりは「お屋敷」と呼ぶにふさわしい住宅を見つけた。
「これ、火曜サスペンス劇場で殺人事件が起きる場所じゃん」
「メイドと主人が愛人関係になってるやつね」

などと友達と話した。


それにしても、石神井はいい街である。
実は僕、妻と結婚前に引っ越しを考えていた頃、石神井に住もうと思ったことがある。
石神井公園の駅周りを散策し、不動産屋に物件の候補まで出してもらって、妻はすっかり石神井が気に入ってしまった。「ここに住みたい」と目を輝かせていたのだ。
しかし、時を同じくして僕が転職をすることになり、石神井では新しい職場への通勤が不便だという話になった。そして我が家は埼玉の郊外に居着いたのだった。
かつて憧れた街、というのは美しい。もうきっと住むことはないと思うが、この美しい街はずっとこのままであってほしいと思った。



そろそろTと娘ちゃんと合流しなければならない。石神井公園は思ったよりも広く、林の中を歩くだけでいい運動になる。11月だというのに気温はどんどん上がってきて、少し汗ばむくらいだ。

公園の野球場の前でTに電話をした。

「今どこにいる?こっちは野球場の前」
「あ、私も野球場の前だよー!」
「オオタニしゃんがいるー!(娘ちゃんの声)」


よかったすぐに合流できる、と思ってTを探したのだが、一向に見つからない。
僕の目の前の野球場では少年野球の試合をやっていて、確かに未来のオオタニしゃんがたくさんいたのだが。


もう一度Tに電話をかける。
「あれー、見つからないなあ。」
「もう少しわかりやすい場所に移動するよ。ふるさと文化館の前まで行くね。」


地図で検索すると、石神井公園の中にある「ふるさと文化館」という建物は現在地からそれほど離れていなかった。
5分ほど歩いて、ふるさと文化館の入り口に来た。しかし、またしてもそこにTの姿がない。これはどういうことなのか。

三度Tに電話する。
「ふるさと文化館の正面の入り口にいるよ。Tが見当たらないんだけど?」
「え、私も正面にいるよ?……あれ?もしかして、みんな都立の石神井公園にいる?」
「え、石神井公園って都立でしょ?」
「違うよ、私は区立の石神井公園で遊ぼうと思ってたの。」


ん???



不穏な空気が流れたとき、スマホで検索をしていた友人が衝撃的な事実に気付いた。

「ふるさと文化館の『分室』がある…。結構離れた場所に…。」



「あ、よく見たら私がいるのは『分室』って書いてあるわ。」と電話越しにTが言った。



スマホの地図の縮尺を小さくして見てみたら、更に気がついたことがあった。
石神井公園の端っこに、別の野球場があるではないか。僕たちは、それぞれ違う野球場を目の前にしながら相手を探していたのだ。


結局僕たちはそこから更に10分以上歩いて、ふるさと文化館「分室」の前でTと娘ちゃんと合流した。

ちなみに、Tが言っていた「区立の石神井公園」とは「区立石神井⚪︎⚪︎公園」という微妙に違う名前の区立公園で、Tはずっと「都立の石神井公園」と「区立の石神井公園」が別々に存在していると思っていたことも明らかになった。

そんな出来事がいかにも僕たちらしくて、腹を抱えて笑ってしまった。こういうことがあるから、友達と遊ぶのは楽しいのである。




そんなわけで僕たちは「区立の石神井公園」で遊ぶことになった。2歳の娘ちゃんは夏に会ったばかりなのに、明らかに大きく成長していて驚いた。
「おじちゃんのこと覚えてるー?」と尋ねたら目を逸らされた。おじちゃんも夏より体重が成長して顔がむくんでしまったので、思い出してもらえなかったのかもしれない。

「いたばくし君、この前ピアノの絵本弾いてくれてうちの子が喜んだからまた弾いてよ」

Tからおもちゃの鍵盤の付いた絵本を渡された。夏に弾いたら娘ちゃんがノリノリで踊ってくれたキラーチューン「むすんでひらいて」を弾こう。

「さあ、ピアノおじちゃんが弾くよー」

「むーすーんーでー♪ ひーらーいーてー♪」

「……………………。」

「てーをーうってー♪ むーすんでー♪」

「……………………。」

あれ……。



子どもの成長は著しい。同じ曲を二度も聴かせるなということだろうか。僕はレパートリーを増やして出直そうと思った。



その後も、娘ちゃんに「草ずもう」を教えようとしたけど地味すぎたのか一蹴され、Bluetoothスピーカーで童謡を流してみたりもしたけれど、なかなか関心を示してもらえなかった。
それでも娘ちゃんはお母さんの前では楽しそうにはしゃいでいて可愛かった。


娘ちゃんとの別れ際に、「これ知ってる?」とドラえもんの画像を見せたら

「じょらえもん」

と言ってついに娘ちゃんが笑ってくれた。藤子不二雄は偉大である。



Tと別れてから別の友達が合流して、石神井の飲み屋をハシゴして夕方くらいまで飲んだ。
「板橋の実家の庭に大きなガマガエルが出た」と言っても全く信じてもらえない友人が、いきなり「俺はファンクラブに入りたいなあ。何のファンクラブに入ればいいと思う?」と尋ねてきたりして楽しかった。



ほろ酔いで家に帰って、「石神井はやっぱりいい街だったよ」と妻に報告したけれど、妻はかの街に未練は残っていないようだった。

まん丸より少し欠けた月が、家のベランダから覗いていた。

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