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【転生侭語】美しき「投了」という流儀

2022年2月12日、藤井聡太竜王がタイトル「王将」を獲得し、史上最年少5冠獲得の偉業を達成した。

将棋の世界には「投了」というものがある。
これは、敗者が相手に対して自分の負けを宣言する行為である。
自ら「負けました、参りました」と口にして、こうべを垂れるというのはなんとも残酷だ。

投了をして初めて決着がつくという競技はあまり一般的ではないかもしれない。悔しさ、無念さ、悲しさ、憤り、遺憾、・・・さまざまな感情がこみ上げてくる中、自分の負けを認める。
また、勝者も決してガッツポーズをしたり、うれしさを声に出すことはない。じっと心の中でその勝利の喜びを噛みしめる。

そしてその直後に行われる「感想戦」も素晴らしく見応えがある。
感想戦で対局後にどこが悪かったのか、またどのような手を読んでいたのかを互いに披露し、一緒になって考えて勉強する。
そのように切磋琢磨して、将棋を次のレベルへ押し上げていくのである。

投了は美しき伝統である。

素直に自分の弱さを認め、相手から学ぶ。
そして、次は絶対に負けたくないと闘志を燃やす。
そのために、より一層努力をする。
これができる人が本当の意味で「強い人」なのではないだろうか。

将棋を通して学べることはたくさんあるが、一番はこの投了という流儀の中にある相手へのリスペクト、自分の弱さを認める素直な心だと思う。

今の五輪をみていると、この精神が欠けているように感じる。
自分の弱さを認めず、相手を蹴落とす、あるいはルールを逸脱してでも勝利をもぎ取ろうとする。
もちろん勝利への執念は大切なのだが、その表現方法を間違えている。
果たして五輪が本当の意味で正々堂々、公明正大な祭典となる日はくるのだろうか。

五輪も一度"投了"すべきときがきたのかもしれない。


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