猫の可愛さ

うずらが庭にいた頃に姿を見せていた猫さんたちは、うずらを家に入れた後、ぱったり見かけなくなった。 一体、あの子たちは何処から来ていたのだろう。知らないだけでご近所では意外と猫さんを飼っているお宅があって、その子たちが様子を見に来ていたのかもしれない。皆、まるまるとしていて貫禄があって野良さんという感じでもなかったし。

そして、最大の疑問はうずらが何処からやって来たのか?ということだ。
母猫が産み落としていったというわけでもなく、いつの間にか住み着いていたというわけでもなく、ある日突然、用水路の端っこで鳴いていた…。
色々考えてみたが、最近、子猫が少し大きくなると、可愛くなくなった(この感覚はどうにも理解出来ないのだが)といって猫さんを捨てる人がいると聞き、もしかしたら、そういう類いの捨て猫だったのかもしれないと思うようになった。

(今と比べるとやはり足が短い…)

実際、出現した時のうずらは子猫ではなく、何だか中途半端な感じの猫だった。だから、猫素人の私は「足の短い、小柄な猫」だと思い込んでいたのだ。
確かに…、子猫の万能的な可愛さはなかったかもしれない。今も目つきは悪いし、愛嬌がある方でもない。撫でられるのも嫌いだし、甘え上手ではない。
生まれた時からなのかどうかは分からないが、少なくとも数ヶ月外で厳しい暮らしを送ったせいか、人の姿に怯える。

うずらはキャットフード以外口にしない。においを嗅ぐことはあっても、すぐに興味なさげな顔で行ってしまう。猫はそういうものかと思っていたらどうも違うようで(トータス家の猫たちは食パンからおでんまで幅広く盗み食いをするらしい。振り返ったら干物がなくなっていたというのが日常茶飯事だという)だったらどうしてうずらはと考えた時、もしかしたら人から貰った食べ物でひどい目に遭ったことがあるのかなと思いついた。
家族以外をひどく怖がるのも、邪険にされた経験からかもしれない。世の中には猫が嫌いな人も多い。追い立てられたことがあって、恐怖を覚えた思い出が強く残っているのだとしたら。

そんな想像をすると、ひどく悔やむ。
うずらがうちの庭に現れた時点で家に入れてやっていれば。いらない苦労をすることもなかったのではないか。余計なトラウマを持たせずに済んだのではないか。
何せ、職業柄、想像力だけは豊富にある。うおおお…と叫びたくなるような衝動に駆られる度、うずらの傍で「ごめんねえ」と謝る情けない飼い主である。
(幸か不幸か、うずらはフードをちょびっとずつを時間をかけて食べるタイプで、ちゅーるなどのおやつもいつでも欲しがるわけではなく、お詫びにおやつを!とはならないので、太らせる結果にはなっていない。代わりに遊びへの欲求は強く、新しい遊びを日々開発していかないといけないので、そのハードルがなかなかに高い)

一般的な知識として知っていた猫の可愛さと、実際に飼ってみた猫の可愛さは、被ってるところもあれば、違う点も多い。
「猫なんか呼んでも来ない」というのは名言で、猫さまは「お仕えしている」という気持ちでいるくらいが丁度良い。だから、飼い主としての権利を主張したい人には向かない生き物だと思う。
クマが今一つ、うずらとの距離を詰められないのはその辺りに原因があると思っている。(クマはクマの都合で「遊んでやろう」とするからいけないので、猫さまの都合に合わせて「遊んで頂く」ことが必要なのだと教えているが、理解不能らしい)

一緒に過ごす時間が増えるほどに感心してしまうのは、猫さまは無条件に「可愛い」瞬間が多々あることだ。何でしょうね。あれは。笑顔一つで何万人ものファンを沸かせられる無敵のアイドルが家にいるようなものだ。
お腹を見せて「にゃー」とでも鳴かれたら、「ははー」とひれ伏してしまうのである。
犬に冷たい目で見られながら。

#ねこ
#猫
#日記
#エッセイ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?