日本学術会議とISCの整合性を考える~戦争は人権に対する罪である、という原則をどう考えるか~

なんでこのnoteを書くことにしたか?

しばらく前ですが、防衛装備の研究をすべきなのかがよくわからない、ということが最近ありました。これについてけっこう意見が割れているということを発見したわけです。

そこで、自分なりに少し自分なりに整理してみた結果を報告します。といってもこの分野の専門家ではないので、ごく簡単に要点をまとめるだけですし、もしかすると調べた内容に間違いがあるかもしれません。それはもし気が付いた方はご指摘いただければと思います。

僕自身がどの政策に賛成か、ということはこのnoteでは問題にはしません。どこに疑問があるか、またそれぞれの説の根拠は何であるか、どこに意見の相違の原因があるか、というところがこのnoteで説明したいところです。

ですので、「防衛装備は戦争目的だろうか」とか、「人を殺す道具は戦争目的だろうか」という設問への答えがどちらであるかはここでは論じません。それは個人がそれぞれ自身で問うべき問題であると思います。

意見の相違がある人が自分の主張をぶつけあっていだけなら、いつまでも合意はできない。それこそが戦争の原因ですから、少なくとも戦争に反対する意図人が合意形成を否定してはいけないと思います。異なる主張の中から合意形成にいたる仕組みというものが世の中には存在していて、結果合意された宣言というものが蓄積されていきます。

そのような合意された方針に、若干の矛盾があるのだろうということがちょっと調べてみて思うわけです。どこに矛盾があるのか、ということを説明してみたいと思います。

軍事的安全保障研究に関する声明は何をいっているか?

読んだことがない人は下記をまずごらんください。

声明「軍事的安全保障研究に関する声明」 (scj.go.jp)

タイトルだけを見て、なんだこれは?とおどろいたり、ほら、軍事研究は禁止されている、と早合点しない方ががよいと思います。注意深く読んでみるとこの声明は軍事的安全保障研究を「するな」とは書いてありません。

声明では、日本学術会議が「1950 年に「戦争を目的とする科学の研究は絶対に これを行わない」旨の声明を、また 1967 年には同じ文言を含む「軍事目的のための科学研 究を行わない声明」を発した」ということが述べられています。そして、「軍事的な手段に よる国家の安全保障にかかわる研究が、学問の自由及び学術の健全な発展と緊張関係にあ ることをここに確認し、上記2つの声明を継承する」と述べています。

しかし、「「安全保障技術研究推進制度」は問題が多い」とは述べられているが、「この制度による研究をすべきではない」、と断定はしていないのです。そしてその後の文言は、元の声明を守るための様々な提言や、注意点が書かれている。

つまり、単純に「この制度による研究をすべきではない」としなかったことを否定しなかったということは、制度は否定せず、後に続く具体的な問題点を解消することの必要性を述べている、と解釈することも可能です。

軍事転用についての言及が間接的にされている

ではどこが問題か。
この後に関節的に記載されている。
まず、「研究成果は、時に科学者の意図を離れて軍事目的に転用され、攻撃的な目的のためにも 使用されうるため、まずは研究の入り口で研究資金の出所等に関する慎重な判断が求めら れる。」とされています。これは以下のように、リスクの指摘と回避手段を示すものです。

リスク「研究成果は、時に科学者の意図を離れて軍事目的に転用され、攻撃的な目的のためにも 使用されうる」
回避手段は「研究の入り口で研究資金の出所等に関する慎重な判断が求めら れる。」

ここで示されたリスクが避けるべきリスクであることに異論が出る余地はありません。国連憲章、日本国憲法、そして学術会議の声明が、科学技術が攻撃的目的のために使用されることを避けるべきであることを要請します。ここに異論の入る余地はない。

しかし回避手段として、「研究資金の出所に関する慎重な判断」が「安全保障技術研究推進制度」を使うべきだといっているのか、使わないべきだといっているのかは僕にはよくわからない。

安全保障技術研究推進制度に肯定的な立場の人の意見はこうです。

日本の科学技術は世界でも最先端のものでありあらゆる軍事転用や攻撃兵器に利用される可能性がある。これを野放しにしておけば、将来日本人の手で開発した技術や製品が大量破壊兵器に転用され我々を脅かすことになる。
したがって、「研究成果が軍事目的に転用され、攻撃的な目的のためにも 使用されうることを防ぐ」という目的のためには、安全保障技術研究推進制度を積極的に活用していくことが必要である。

安全保障技術研究推進制度に否定的な立場の人の意見はこうです。

安全保障技術研究推進制度は、日本の科学技術を積極的に軍事転用することを公的に肯定することにつながる。これにより多くの応用の中から軍事転用が選択的に推進され、また民生用よりも軍事用途に科学技術の応用を向けようという強い圧力になる。なにより日本の公費をつかって軍事技術を開発して、あらたな兵器を生み出すことになる。

したがって、安全保障技術研究推進制度の利用は、「研究成果が軍事目的に転用され、攻撃的な目的のためにも 使用されうる道」につながる。

つまり、避けるべきリスクは共有できていて、手段としてどちらが適切かという点で対立しているのだろうと思います。

前者の解釈は不自然ではないか?

という感じは僕もします。しかしもし前者の解釈をせずに、宣言は「安全保障技術推進制度」の利用自体を否定しているとすると、それも不自然です。それにしては言い回しが間接的すぎるからです。後者の解釈をしてほしいなら、明示的いそう書けばよかった。

そこで問題となるのは、戦争を目的とする科学の研究とは何か?
という基本的な議論だろうと思います。

1. 科学技術を兵器に使う方法の研究である
2. 科学技術が兵器につかわれ戦争に用いられる結果を産む研究である

このどちらなのか。
1の立場をとるならば、自分が行っている研究が軍事利用可能であるか否かには関心をもつ必要がありません。メーカーの立場で、自動車事故の被害を防ぐために、「それは運転を気を付ければよいから自動車に責任はない」と考えるか、「自動車メーカーはどのような事故を起こすかをよく研究して事故がおきにくい自動車を作る必要がある」と考えるかの違いです。

前者の立場であれば、直接兵器を製造しなければいかなる科学技術を作ってもよい、ということになる。しかし、宣言は「研究成果は、時に科学者の意図を離れて軍事目的に転用され、攻撃的な目的のためにも 使用されうる」ことを防がなければならない、という立場であるのだから、それならば、どのような形で軍事目的に利用されうるか、その可能性を研究し、そのような利用を防ぐ方法を考えることもまた、科学技術の専門家の役割だろうという結論にならざるを得ません。
「科学技術がどう戦争に利用されるか」を研究することは科学技術を推進するものの義務になるわけで、われわれはあらゆる軍事転用の可能性をよく研究すべきである、ということになります。

国際学術会議の宣言

これはどうなっているのでしょう?もちろん国際学術会議は各国の学術会議を支配するものではないので、各国の学術会議は国際学術会議と同一の目的を共有する必要はない。しかし国際学術会議は各国の学術会議のコンセンサスであるからその policy や vision は共有すべきだろうと思います。

以下に ISC vision, ISC mission が文書化されています。
ISC Statutes and Rules of Procedure - International Science Council

するとこの中には、以下のような value と principle がうたわれています。

Value
The mission of the Council is to be the global voice of science. The Council seeks to provide a powerful and credible global voice that is respected both in the international public domain and within the cientific community.

Mission
The free and responsible practice of science is fundamental to scientific advancement and human and environmental well-being. Such practice, in all its aspects, requires freedom of movement, association, expression and communication for scientists, as well as equitable access to data, information and other resources for research. It requires responsibility at all levels to carry out and communicate scientific work with integrity, respect, fairness, trustworthiness, and
transparency, recognizing its benefits and possible harms.

こちらを見ると ISC の方は科学者の自由で差別のない研究の保護に重点がおかれているように感じます。そこで

「軍事的な手段に よる国家の安全保障にかかわる研究が、学問の自由及び学術の健全な発展と緊張関係にあ る」ということにつながるわけです。

この点は重要な問題です。我々のだれも、日本の科学技術が残虐な大量破壊兵器に転用されて我々自身への脅威となることは望まないでしょう。しかしそれを防ぐためには、どんな研究も自由に行える、ということはたいへん難しい。ゲーム機のジャイロとミサイルに使うジャイロの機能は同等ですし、スマホのカメラも精密な誘導兵器の目となり得るわけです。

ではどのような制限をするべきか。これも、安全保障上は「あらゆることを秘密裏に行う」ように要請されがちですが、それでは「透明性がある」とは言えません。

まっさに「緊張関係にある」わけです。

この「緊張関係にある」という表現をなぜ採用したか、その真意をしっかりと読み取って、学術会議の声明を受け止める必要があるように思うのです。

そして、最後に確認しておくべきなのは、これらの制度が目指す平和への欲求です。国連憲章前文は以下のことを宣言しています。

「われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること並びに、このために、寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いることを決意して、これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した。よって、われらの各自の政府は、サン・フランシスコ市に会合し、全権委任状を示してそれが良好妥当であると認められた代表者を通じて、この国際連合憲章に同意したので、ここに国際連合という国際機構を設ける。」

もう聞き飽きた、ということで軽視されがちですが、平和維持に関しては原則ははっきり示しています。
「戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念」に従って行動し、「国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、」
もしも迷ったら、頼るべきはつねにこの原則に立ち戻ればよいのではないでしょうか。


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