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百貨店を残したい - ゆぐ良、ヨドドンに勝つ百貨店のDX(department store transformation)

百貨店が消えていく

今や、百貨店が閉店というニュースを見ない年がない。次々と百貨店が消えていくのは寂しい。もちろん閉店するから、従業員は全員解雇ね、なんてのは日本では許されないから、それは別問題として、閉店自体はやむを得ないことである。

なぜ百貨店の閉店がこうも続くのか。

まずユグ良に浸食されヨドドンに食われる

百貨店の後にできるのはだいたいあの店かあの店なので、これをヨドドンと呼ぶことにする。百貨店閉店になると、あ~ヨドドンになってしまった、というところで多くの人は百貨店の消滅を目にする。しかし実は百貨店は内側から浸食されている。いまや百貨店には、有名ブランドのお店がたくさんある。ハンドバックのあの店、ファストファッションのあの店、そして雑貨で有名なあの店をまとめて、ゆぐ良と名付けよう。どの百貨店にもこうした名の知ればブランドが並んでいるが、これは百貨店の事業でなはい。
もともと百貨店は百貨店自体が商品を配置、利用者にアピールして、百貨店の店員がそれを売り、売上と利益をあげていた。ゆぐ良の店舗では売り子は仕入れも売り子も当然ブランドなので、百貨店は場所を貸して賃料をもらうだけである。これはショッピングセンターと呼ばれる業態だ。
こうしたテナント化は加速して、100%ショッピングセンター化した店舗も多いし、百貨店事業が残っていても平均的には70%がテナントというのが百貨店の実体だ。

段階的なテナント化で雇用は安定するような気がする

一機にショッピングセンターにせず、徐々に中途半端なテナント化をするのはドライな経営からすれば良作だろうが、日本の百貨店が徐々にテナント化するのはよいことだと思う。
一機にショッピングセンターにしてしまうと、従業員は全員職場を失ってしまう。段階的なテナント化であれば雇用を維持できる。
また百貨店部分は赤字だが、従業員の解雇は、日本では大きなコストになる。しかしそれは避けられないコスト、サンクコストだ。それを一機に出すかわりに、赤字という形で分散して出せば、他の利益と相殺することで利益に貢献する。もちろん赤字が大きすぎれば、一気に閉店とするのはやむをえないが、まぁなんとかして百貨店事業の収益も改善して、耐えられる程度の収支にすれば、段階的に縮小しながらテナント化を進めるのは多分いい作戦なんだろうと思う。

根本的疑問。百貨店は消えるべきなのか?

しかしこの疑問が残るのだ。そもそもなぜ百貨店は赤字なんだろう。これも多くの解説がある。
ちょっと前の朝の連続テレビ小説「べっぴんさん」では、主人公の洋服店が百貨店への出店を果たす。百貨店のバイヤーと交渉し、商品の質をみとめてもらい、百貨店に商品を仕入れてもらう。
このドラマを見てもわかるように百貨店と仕入れ元の関係はもともと百貨店が優位だ。「売ってやる」という立場なのだ。仕入れた商品の代金も売れただけしか支払わない。
わかりやすく言えば、百貨店の立場は今の楽天やアマゾンと同じで在庫を置いてもらって、売れたら代金をもらう、という商売だ。

ヨドドンになぜ負けるか

商品を納品する側からすると、ヨドドンは商品を買い取ってくれる。まとめて買い取ってくれるから、安く供給することが可能で、それがヨドドンの競争力になっている。百貨店は自分でリスクをとって仕入れないから価格での魅力がない。

ゆぐ良になぜ負けるか

一方ブランドの場合はブランドが製造して商品を売るから価格は同じ。百貨店で売ろうが自社の店舗で売ろうが、売れた時しか収入がないのは同じだ。
しかしブランドの側からすると、せっかく付加価値をつけたブランドを百貨店の一般売り場(もうほぼないが)で売る場合、他のブランドに埋没してしまう。それよりはブランド名を冠した売り場で自社の売り子で売った方が商品の価値をアピールできる。けっきょくゆぐ良にとっても百貨店の店舗で売るメリットはないことになる。

本当にメリットはないの?

では本当にメリットはないのか?
ヨドドンは自社のリスクで商品を大量に買い大量仕入れ廉価販売が優位性と書いたが、それだけだったのは昔の話だ。今は必ずしも安いとは限らないし、ブランド品も扱っている。有名パソコンブランドの大きなコーナーもある。
グユ良は自ら企画した商品を製造することを競争力としているが、百貨店だって自社で企画をしないわけではない。百貨店の物産展は非常ににぎわうし、セールも満員大入りだ。企画力やそれによる付加価値がないわけではない。
外商やバイヤーも百貨店の優位性を出せる機能だ。

百貨店を弱めたのは何か

ではなんでその強み生きないかというと、せっかくの百貨店の可能性を、つぶしてしまっている部分が大きいと思う。百貨店の商品を買うとたしかに百貨店でよかったと思うことはあるのだ。だけれども、百貨店のブランドを高めるのに貢献していない。
たとえば比較的好調な百貨店は、定期的に割引セールをしかけて集客している。これは集客効果で相殺できるから値引きのコストがすべてコストになるわけではないし、「〇〇百貨店のセールは得だ」という吸引力でテナントにとっても顧客を広げる機会になるから、百貨店の付加価値になっていると思う。それ以外にも百貨店の付加価値を出すチャンスはあって、それらをうまく使えるかどうかが、好調な百貨店とそうでない企業の違いではないかと思う。
たとえば「消化仕入れ」というのは百貨店の悪癖で、これをやめることに躊躇すべきではないと思う。消化仕入れというのは、「売れなかった仕入れの代金は払わない」というシステムだが、これは百貨店の「売れ筋商品を見極めて陳列し、売る」という役割を自分から否定しているようなものだ。なんでこんなことを続けているところがあるのかまったくわからない。テナント化するか、ちゃんと仕入れて販売した方がよさそうに思う。
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なにより、現状百貨店の各売り場のパフォーマンスが正当に評価されているのかが、よくわからない。もちろん百貨店という付加価値を考えれば、売り上げだけをパフォーマンスとすべきではないと思うが、だからといって、けっきょく全店の売上だけが業績だったり、各店舗の売り上げだけが業績だったり、百貨店のイメージへの貢献が恣意的だったりすれば、それは店全体が業績向上に向かって努力するインセンティブがなく、競争にはまける。

DXで百貨店の優位性を引き出す


近江商人の「三方よし」が商売の基本なのはいうまでもないが、百貨店は、売り手よし、買い手よし、世間よし、を満たしてはじめてパフォーマンスがあげられる。その三方よしの原則はもちろん百貨店も商売の原則としているだろう。しかし百貨店全体の目標としただけで、「三方よし」がきめこまかく実施できるかは心もとない。どんぶり勘定ではなく、各販売セクション毎に「三方よし」意識する必要があるのではないかと思う。
各売り場、セクション毎に「三方よし」をリアルタイムで評価できるような仕組みがあるのか、というところが疑問だ。もしそうならば、消化仕入がそんなに残る可能性もないように思えるからだ。売り場毎、商品毎に「三方よし」がバランスよく実現できているかを、数値化することが、これまでおろそかになっていた、ということはないだろうか。

現代ではICTという武器があり、他のビジネスではみな使っている。UBERやAir B and B だけでなく、今では多くの事業で様々な利害関係者の満足度をモニターしながら事業を最適化していく。

百貨店の各売り場、仕入れを、細分し「三方よし」関係するすべての利害関係者からフィードバックを得られる仕組みを作れば、細分化した「三方よし」のパフォーマンスをより緻密にデータ化できるのではないか。

その目的は、競争力のある事業を残して、そうでない事業からは潔く撤退し、百貨店の強みを活かせる商品、顧客、イベントを抽出していくことだ。ゆぐ良しヨドドンと競争する際、彼らが得意とするフィールドで戦えば負ける。そこからは潔く撤退し、人々が百貨店に求める機能にフォーカスすれば、百貨店のだけがなしえる、付加価値の高いサービスは、きっとすごくたくさんあると、僕は思うのだけれどね。

どうなんだろう、百貨店のDX、素人考えだし、あの天下のセブンアイホールディングズ参加の百貨店なら「そんなのとっくにやっているよ」ということかもしれないが、もしまだやってないんならそこには活路があるんじゃないかな、と思います。僕が従業員なら、そういう改革を求めると思う。

このあいだ、ひさしぶりに百貨店に食器を買いにいったところ、全く関係ない店舗で、知らないが面白い商品とたくさん出あった。その場で商品に触ったり説明を聞けるのも百貨店ならではのことだ。
たまにいって全館みると、やはり面白い。百貨店のワクワク感、知らないものに出会える楽しさは失われていないと思う。ぜひまたあの楽しい百貨店を復活してほしい。







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