途絶えた場所から、20年を追いかける

私は今年、20年もの活動歴のあるアーティストを推し始めた。

きっかけは数年前に観た舞台映像。一般的だけど大っぴらに言うのが憚られるルート。ネットのおもちゃの延長線上。

あまりに切実で、美しくて、強く優しい歌声だった。清い佇まいだった。

この人は何者だ。
画面に流れる愛称を目で追った。

Kime様。Kimeru様。

それがこの人の名前か。

澄んだ歌声を事故によって奪われ、ネットのおもちゃにされた少年とともに舞台に立っていた。


少しずつ、少しずつ知っていった。この映像が20年近く前のものだということ、2.5次元というジャンルの先駆けとなる作品だということ、今は芸名が全部大文字だということ、元郵便局員だということ、アニメ版の主題歌も歌っていたこと、少年が事故に遭ったとき代役で主人公を演じたこと


それらはどんなフィクションよりも私の心に「運命」の文字を刻んだ。


「いつかこの人の歌声を生で聴きたい」

そんな夢を抱いて、Twitterをフォローし始めた。
夢、という表現は今となっては少し変だけど、「今じゃない」と思っていたから、夢だった。
私の目の前でメジャーに、スターになってほしい推しがいた。支えがほしいと泣くくせに「支えなきゃ」とか「背中を押したい」なんて思う推しがいた。KIMERUさんはそうじゃないから。神様みたいだって思ったから。

そしていつしか他の推しは、支える支柱が増えて、背中を押していた手が空をかすめるようになって、大きいステージに立ち始めて、私の力など関係ない場所で歩き始めた。潮時がきた。

秋に観に行った変な朗読劇。詳しく話したら消される内容だけど、女の子だったし、葛藤を抱えた男性だった。佇まいが。自分の姿を変えずに年齢も性別も、伝わる感情も空間も変える。

春に行ったアコースティックライブイベント。仲間に温かな恨みつらみを話しながら笑っていて、綺麗だと思った。そして、その歌声を浴びた。伸びやかで、「あの頃の少年」だとか「春を迎えた私たち」だとか、「昔からのファン」だとか、みんなにやさしく響いていた。

そして、6月の終わり。
カラオケを入れたイベントと、バンドを入れた本格ライブ。
カラオケ設備を入れたライブには、事故に遭った主人公・柳浩太郎さんが呼ばれた。「毎年勝手に誕生日祝いに来るけど情勢で断ってたから、表で呼んだ」と語るKIMERUさんは嬉しそうだった。柳さんがKIMERUさんのライブに来て、モーセの如く最善中央を譲られていたこと、柳さんが事故に遭ったのを知った日のこと、柳さんが目を覚ます前に書いた歌詞のこと、たくさんのテニミュの思い出

悔しいって感じた。知識として知っていても、当時は関係なく幼児として生きていたときのこと。前にいるファンの人たちの背中に親が子どものことを話すような笑顔を感じられた。何度も話が脱線する柳さんのことを本当に面白くて素敵だと思えたから、さらに妬ましかった。


その夜のライブ。
どの曲も熱かった。対大勢のライブなのに、一対一のぶつかり合いを、殴り合いを感じた。
バンドメンバーは長年一緒にやっている3人と、初参加のベーシスト一人。そのベーシストも12年前にライブに来たことがあって、うらやましくて仕方なかった。

20年の想いがこもった歌。
私が知らない歌もあった。
20年間ありがとう?
いや、私とはこれからだろ

こっちを見ろ。23歳の小娘に殴りかかってこい。

何も知らない私の心だってこんなに揺らして、燃やすんだから。
これは、命を賭けた一対一の心のぶつけ合いだ。


なんて、思い上がり。

ハイタッチ会で役者をやっていることを伝えて、「ご一緒しましょう」ってせっかく言ってくれたのに、何の言葉も返せなかった臆病者の幻覚。

なのにその日から、私は私として正当に彼と心をぶつけ合うことを願い始めた。方法を考えた。本物の想いという名の怪文書を書き連ねた。

とりあえず、集められるものを集めたいと思った。彼の表現してきたものを摂取したかった。20年。私には途方もなく感じる年月。舞台の円盤は中古だろう。サブスクにない曲もあるなんて。サブスクって全部あるか何もないのかの2択じゃなかったのか。


フリマアプリの検索窓に文字を打ち込み、スクロールする。テニミュは違う代のものも出てくるし、CDも種類が多くて価格の比較で目が回る。

その中で、段ボールに大量のCD類が詰め込まれたものを見つけた。
CD25枚、ライブ中心のDVD6枚、その他グッズ類。

購入した玉手箱は、すぐに届いた。
デビューからのCDは、取り出して使用されては大切に仕舞われた痕跡があった。
知らない、今はないであろうモバイルサイトの名前が刷られたフライヤー、真っ白な払込取扱票のついたファンクラブのフライヤー、少し日焼けしたポストカード。小さな缶バッジは「K」の文字が入ったチャック付き袋に丁寧に入れられていた。

取り繕うことのできない、大切だった、一緒に生きていた軌跡がそこにあった。
ジャニーズが好きだった時代を思い出した。楽しくて、苦しくて、毎日がときめきに満ちていた頃。
上手く生きられない私が母親に流されて簡単に捨ててしまうような日々を、この人は発送するまで大事にしまっていたんだ。

KIMERUさんはMCで「この前福岡に転勤になった人もいて」と客席を指さすほど、ファンを真摯に見つめている。ド新規の私にだって伝わる。そんな彼のファンが彼のファンでなくなることは、私が見てきたどこのファンが去ることよりも寂しいことだ。
でもそれは何も悪くなくて、ジャニーズが好きだった私が急に何も感じなくなったみたいなのか、何かを感じて距離をとったのか、情報化社会の中でたくさんのコンテンツに埋もれたからなのか、わからないけれど、それはそれで受け入れられるべきことだ。

どこかの時点で途切れても、好きだったことに価値がある。そう信じている。


出品者に感謝を伝えた。あなたが大切に応援していたことが嬉しくて、そのおかげで20年をかんじることができると。

出品者は「大切な思い出なので手放せずにいた」と返してくれた。どんなにキラキラした日々だったのだろう。一人一人を大切にする彼と追いかけた青春は。想像すると瞳が潤む。

胸がいっぱいになるような玉手箱をたよりに、少しずつでも20年をインプットしよう。ちゃんと受け継ごう。


新しいアルバムも決まった。まだ言えない舞台の予定もあるだろう。
新しいわくわくをもらえる。そんな日々が幸せだ。


しかも私にはちゃんと到達すべき地点ができた。ハイタッチ会で言ってくれた言葉を実現する。これはファンのものじゃなくて私のもの。



たくさんの場面で、心と心のぶつかり合いをしていきたい。神様みたいな人とそんなこと、おこがましいけれど。

失った希望より温度の高い炎があるから、動かない身体を少しずつ動かして、止まっても撤退はせずにいこう。

【募金箱】病人ですが演劇も被写体もこれからやっていきたいです。サポートしてくれたらもっと色々できちゃうかもしれないので、興味があれば是非。