この体は蒸し鶏、くたくたのネギ、常温ミルク

6月の花といえば紫陽花だったのがここのところクチナシになってきた。ミルクのような強い香りがして記憶が塗り替えられる。梅雨の空気もあって、人肌ほどの温さを感じる。去年も今年も紫陽花をほとんど見ていないので、枯れて茶色くなった紫陽花などが目に入ると無性に切なくて苦しかった。今年も、紫陽花のある道には何も用がない。生活が変わってゆく。

ところでもう7月になっている。6月はnoteを更新したかすら覚えていない。文章の書きすぎでどこに文章を書いたのか思い出せない。紙の日記は燃えたら消えるし、SNSも“燃え”たら消えるし、クラウドは信用していない。手元にある物もない物も確実じゃない。だから分散していて所在を忘れてしまうくらいがちょうどいいのかもしれない。どれかなくしてもどれかは残るだろう。

今年の夏は異常な気がする。もしくはわたしの体力が落ちただけなんだろうか、どっちだ。玄関を開けると浴室のような湿気を感じるし、外に出るとアマゾンみたいな臭いがするし、歩いていると自分の体が「蒸し鶏」か「煮えくりかえってくたくたになった長ネギ」のように思えてくる。冷房をつけっぱなしにしても、常時、薄っすら汗ばんでいる気がする。冷房が効いてないというか、何をしても暑さが消えないのだ。

食欲がない。ただ、食べずに過ごすと飢餓状態で太りやすくなる?と聞くので、何かは口にしないといけないと焦っている。人生で初めてタピオカミルクティーを飲んだけど、どうしても吸いきれない三粒があって残してしまった。罪悪感いっぱいでゴミ箱に入れたらお腹が痛くなってトイレに引きこもった。夜、もう一杯欲しくなって同じものを買ったら、勢いよく喉に詰まりかけた。スプーンですくって食べるくらいがちょうどいいと思った。

撮りためたVlogの編集をやっと再開している。8時間編集して得られるものが30再生とか。それでもモノづくりが好きだから作るのに、「底辺だ」「やる意味ない」って言われちゃいそうで、周りの目が恐ろしいと思う。イマドキ、YouTubeすら「お金にならないならやる意味なくね?」なんて言われる始末。中途半端に見つかるよりも今のほうが快適なのかもしれない。

知識もセンスも破滅してる、とは思うけど、新しいアイデアを試す楽しみはわたしにもある。今日は図書館へ寄ってピクセルアートや日本のアニメーション、ポスターなぞを並べたビジュアル本でインプットしようと張り切っていたのに、本棚に指を入れた瞬間に「すぱーーーーーー」っと指が切れて涙が出た。絆創膏を貼っているがお風呂に入ると沁みそうなのでまだシャワーすら浴びていない。今から入って眠る。

今日は月が綺麗だった。山城の有名な日本刀に「三日月宗近」というのがあるが、あの刀身に光る三日月模様にそっくりな月だった。それがとっぷりと黄色くてね。細い月は美しい!

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