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夜に起きててもろくなことを考えないし昼だって同じだ

長々とTwitterみたいに呟いてしまいそうだったので消して一記事にまとめた。

安楽死の是非を中立的に考える風を装った文章、反対派の意見で締めがち。不動産屋が一番売りたい物件を最後に見せるのと同じ手法だね。
結論にしたい部分を最後に持ってくる。

日本で安楽死なんて夢のまた夢だよ。むしろ外国でもどんどんできなくなってくんじゃないの。
人類が今さら変わるなんて期待しない。安楽死が認められたところで私には何の変化もないしな。どうせそんな金もない。
働けない人間は衰弱してくたばるしかありません。

死ぬことを「認められる」ってなんだよ。
「生きたいのに死ななければいけない」と感じる人が出るかもしれないんだってよ。
自分で決めろやそんなもん。義務感で死ぬとて自分の意思だろうが。
こっちは生まれてこの方「死にたいのに生きなければならない」んだが?
義務で生かされるんじゃなくて、生きるも死ぬも自分で選べるのが自由なんじゃないの。

安楽死を求めて積極的に行動している人は本当によく生きてると思う。 
彼らに生きろと言うのはおかしいよ。だって生きてんじゃん。
死んでたら死を望まないのよ。
すでに、今、生きてるから、死を望むの。
どれだけ噛み砕いてもお分かりいただけないんだろうな。

何かを盲信する人は価値観の相違という前提が見えない。自分と自分以外は違うってことに気づかない。
自分が無宗教だと信じて疑わない人が多いせいかな、日本人は「命は尊い」が信仰の押しつけだって認識すら持とうとしないよな。
日本人と一括りにしてはいけないな。でも、やっぱり日本にはそういう傾向の人が多いと感じ続けてる。
私ずっと「いただきます」が理解できなかった。今もできない。
命って概念がもう宗教じゃん。なのに多くの日本人は無宗教を自称すんの。意味分からん。
無宗教っていう宗教の狂信的な信者なんだなって自分を納得させた小学生の昼、給食の時間。

私も思考停止に陥りたいわ。
幸せってのは馬鹿になるってことらしいよ。セロトニンでブッ飛んでるジャンキーだね。
ハッピーバースデイ。

働いてたとき始めはあったはずの怒りとか悲しみとか感じられなくなって、眠れてないのにろくなもん食ってないのに毎日嘔吐してるのに倒れることもできないのが不思議だった。
健康な体が憎くてああずっとこれが続くんだって、なんか、絶望ですらなかった。
死にたくても死ねない。羨ましいのか。私も生から解放されたすべての存在が妬ましくてたまらんわ。
がんばるのが美徳らしい。だから生きたがるんですか。

死後の世界の話でもしよう。そんなものはない。
たとえば「無間地獄」は今こうして生きてることを指してるじゃん。
死後にどこかへ行くって話よりも大罪を犯した罰として生まれてきたというほうがまだ納得できる。
地獄に落ちるんじゃなくてここが地獄なんだよ。生きるって地獄の沙汰なんだよ。
沙汰って何なのか実は知らないよ。サタデー・ナイト・フィーバーはびっくりするくらいつまんない映画だから一度見たらいいよ。

なんだろう。死後の世界はない、というよりは、生きてる人間の中にはあるんじゃない? が正確だな。
神様もいると思う。頭の中で作り出してるんだからそれはその人にとっては実際にあると言える。

生にも死にも意味なんぞないけど脳の働きに名前をつけて意味があるってことにしてる。
脳細胞が減るごとに思考にとらわれて価値観なんてものが作られて嘘を忘れて本当に意味がある気になってしまう。
考えるとかいう無駄な機能を持っちゃって、やっぱ人類にはなりたかないわ。
あーあ。人じゃなければ何でもいい。

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