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それでも旅は続いていく【最終話】公開日 2022.10.31.

2022年10月。
フィンランドポータルサイト「Moi(moicafe.com)」さんのオンラインコミュニティ「nuotio | takibi」にて、4回に渡ってコラム連載を行いました。
「深堀フィンランド」というコーナーに寄稿したお話をここに公開します。

今回でコラム連載も最終回となります。最後はistutのシナモンロールの旅についてお話を綴ろうと思います。

荻窪では店頭提供が主体だったistutのシナモンロールですが、カフェを閉店した現在はショップやカフェなどへの卸を中心に販売を行っています。お陰様で最近はご依頼も増えて注文個数も多くなり、istutの看板商品となりました。以前よりも、よりおおらかに、より美味しく、よりフィンランドのサイズに近づけて、大きな大きなシナモンロールを作っています。

istutのシナモンロール

どんなことにもスタート地点ってあると思うのですが、istutのシナモンロールの卸の歴史を語る上では、どうしても欠かせない人物がいます。スタート地点を作ってくれた、和歌山弁のおじさんのことです。

「フィンランドが好きなんやったら、やりたいようにとことんやってみいや。がんばりや。なんかあったら声かけるからな」そう言って私たちの背中を大きく押してくれたその人は、フィンランドにとても詳しいおじさんでした。このおじさんとの出会いによって、その後の私たちの人生は大きく変わっていきました。

多くのアート作家さんを温かく向かい入れ、全力で応援し、フィンランドに関する様々な事業の後押しすることが大好きなおじさん。私たちにも、たくさんの素敵な出会いを与えてくれて、多くの展示会に招待をしてくれて、もっとアートに触れなきゃいかん、もっとデザインを気軽に身近に置かなきゃいかん、と教えてくれた人。そして何より、istutにシナモンロールの卸を初めて発注してくれた人。

その年の秋、カイ・フランクの大きな展示が日本に来ることになり、この展示開催に先駆けたセミナーが5月末に行われることになりました。そのセミナーには、世界有数のカイ・フランクコレクターとして知られているタウノ・タルナ氏が招かれ、3000点ものコレクションを通してカイ・フランクの魅力に迫る素晴らしい機会が設けられたのです。

もともとタウノ氏はカイ・フランクの教え子であり、カイ・フランクが晩年、サルヴィス社でデザインを行った「Easy Day」シリーズのサポートにも関わりました。カイ・フランクの機能主義を学び、その考え方を受け継いだ彼が発表した「カトリーリ」シリーズは、フィンランド国内にとどまらない大ヒット商品となりました。私も持っていますが、とにかく使いやすい!

そんな素敵なセミナー開催に合わせて、おじさん主催のレセプションパーティーが開かれることになり、タウノ氏を含むフィンランド関係者が集まることになりました。是非私たちも参加したいと考えていたところ、なんと驚いたことに、そのレセプションのお土産をistutのシナモンロールにするというお話が、突然おじさんから舞い降りてきたのです。「みんなにシナモンロールを配りたいんや。納品頼むでー」と。

「え?」

「フィンランド」「タウノ・タルナ」「カイ・フランク」・・・この3つのワードが頭の中をクルクルクルクル。胸の鼓動は早くなる一方です。経験のない私たちにできるのかしら。フィンランドの人たちに美味しいって思ってもらえるのかしら。正直、とても不安でした。と同時に、おじさんじゃなかったら、このような機会は与えてもらえなかったかもしれない。無名の私たちに、こんな大きなチャンスをプレゼントしてくれるなんて、おじさんらしい計らいだなあ、と胸が熱くなりました。

卸は未経験の私たち。お店以外で初めて自分たちのシナモンロールをお披露目するのです。しかも会場にはフィンランドの人がいらっしゃるのです。どうしましょう。どうしましょう。そんなにたくさん作れるの?納品はどうするの?とドキドキは止まらないながらも、引き受けたからには今できる全部を出し切ろうねって、新たなことにチャレンジする楽しさも感じていましたね。

いよいよ開催日が明日に迫り、おじさんと最終の打ち合わせをしたかったのですが、どういう訳かおじさんと連絡が取れないまま当日の朝を迎えました。多忙なおじさんの事だから「ああ、すまんすまん。気づかんかった」くらいのことなのでしょう。

こうして、ついに納品当日の朝が来ました。もう全力で緊張し、全力で作り、全力で焼き始めましたね。納品時間をチラチラ気にしながら、「やったー!もうすぐ焼きあがるね。あとは納品だね!」と、マコさんが笑顔で振り返ったその瞬間、お店の電話が鳴りました。

昨日、おじさんが天国へ旅立ったとのこと。前日の朝まではお元気だったとのこと。おじさんと連絡が取れなかった理由はそういうことだったということ。

あまりに突然すぎるおじさんとのお別れ。焼きあがったたくさんのシナモンロールを呆然と見つめたまま動けなくなった、あの朝のシナモンの香り。そうか。そうだ。おじさんは、いつもそうだった。ブラリと現れて、コーヒーを飲み終わると、ふわっと音もなく帰ってしまうんだった。「急にいなくなっちゃうんだもん。なんだか、あの人らしいよね」と、ふたりで大泣きした5月の金曜日。今でも思い出すと、ギュってなります。

ところがですね。不思議なことに、姿は見えなくなってしまったのですが、その後もおじさんは、私たちの中にいつも居てくれて、「シナモンロール焼いてるか?」「またコーヒー飲ましてくれや」「カイ・フランク、ちゃんと探しているか?」と語りかけてくれるのです。くじけそうになると、「がんばれ」「がんばれ」と、くしゃくしゃの笑顔で背中を押してくれるのです。

おじさんがいつも居てくれたお陰で、味も形も大きさもどんどん改良したくなり、美味しいシナモンロールをもっともっと追及したくなり、それまででは考えられない数のシナモンロールを作ることができるようになったのです。そして、より多くの人たちに食べてもらえる機会も増えて、現在のように様々なお店に卸す仕事ができるようになったのです。

istutのシナモンロール

どんなに大きな変化や別れや悲しいことが起きても、ずっと変わらずに心の中に居る「あれ」とか「これ」ってありませんか。お腹や胸のあたりに両手を置いて「うん、ここに居る」って感じられるもの。会えなくても見えなくても「大丈夫。ここに居るから寂しくない」って思えるもの。私たちにとって例えばそれは「フィンランド」であり、「荻窪のお店の思い出」であり、「和歌山弁のおじさん」なんだと思います。今すぐには会えないけれど、無くしてしまったわけではない。

「うん。大丈夫。ここに居る」

フィンランドみたいなおじさんがここに居る。おじさんみたいなフィンランドがここに居る。シナモンロールが焼き上がる度に、必ずおじさんとフィンランドと荻窪の時間に会えるから全く寂しくないのです。

旅は一期一会だと言われたりしますが、人生も一期一会の連続ですよね。出会いがあるのと同じくらいお別れもある。それでも大切なヒトやコトがずっと心の中に居てくれるから、人生も旅も続けていけるのだと思います。

おじさん、お元気ですか。志保です。

私たちは今、ここ長野市で毎日たくさんのシナモンロールを作っていますよ。大きくておおらかで懐かしくて、おじさんみたいなシナモンロールを作っているんです。大好きなワインでも飲みながら、これからもそこから見ていてくださいね。シナモンロールと一緒に続いていく私たちの旅を見ていてください。そして、次に会う時に言わせてくださいね。「ただいまおじさん」「ただいまフィンランド」って。

ヘルシンキのシナモンロール

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