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好きな人と一緒にいたくなる本| Conversations with Friends

 ‘21年に山崎まどかさん翻訳で日本でも出てきたSally Rooneyのデビュー作。私も翻訳したかったヨと思うほど大好きなこの本は、'19年に英語版を3日で読破。夢中で読んでた電車を乗り過ごして、出社に遅刻したのはいい思い出。最近、オーストリア人の哲学者の友だちとこの作品の話をした。話しながら改めて思ったのは、この本が'22年を生きる20代なりの「愛」への眼差しの向け方に、自信をくれた本であるということ。noteにもWordpress時代に書いたことを思い出しながら書いてみる。私の勝手な感想が盛り盛りなので、もしこの本を読もうとしてる人がいたら、先入観なく読めるように、私の記事を読む前に本を先に読んでほしい。

Sally Rooneyという作家

 “Normal People”を新刊で読んだ後、感情を持っていかれすぎて、まんまと著者のファンになった。(イギリス出張中に手に取って、迂闊にも読み始めた結果ホテルで毎晩泣いた。 ) Sally Rooneyの作品の読みやすさは、かつての携帯小説とちょっぴり似ている。俗っぽい中にも、繊細に紡がれた糸が読者の感情を絡めとって物語中に引き込む。彼女が描き出す人間関係と、そこに生まれるエモーションの化学反応は、あからさまなようで、あからさまじゃない。その余白が魅力だと思う。そしてそれを描けるのは、著者の登場人物のキャラクターの設定が秀逸だからだと思う。

それぞれにとっての、わたし

 特に"Conversations with Friends"は、それぞれの人間性と関係性が物語のキー。絶妙なバランスでつながる4人はその誰にも共感ができて、誰にも平等に美点と欠点と人生がある。スーパーヒーローものみたいな、書かれる前から与えられた役がある物語と違う、白黒つかないグレーだらけの現実世界を生きていることを実感させてくれる。一人ひとりの人間性は、ひとつではないのではないということも、Sally Rooneyの作品の要素。4人はそれぞれお互いを違う視点から見て、違った印象を抱いて、違った理由で惹かれ合う。そのことは、自分の人生を一生懸命に見出そうとしてた24歳の私にとって画期的な発見だった。  私という人間のレイヤーを、自分も誰も全部理解する必要はないんだ。惹かれる相手にほど、分かってもらえないかもしれないことは少しだけ怖い。どうせわかってもらえないって思ってしまいがち。だけど、関わり合う色んな人がいて、その人にとっての私に自由を与えてしまえば、それはそれでいいんじゃないだろうか。

"ひとり"を選ぶゲームではなくていい

 20代後半に差し掛かると、結婚する人も増えてくる。結婚どころか長く付き合うパートナーもいない人からすれば、その人が結婚したい相手に出会えたことも、好きな朝食のメニューを知っている人がいることも、相手が心変わりしないか心配しないでいいことも、怒りたい時は怒っていいことも、ちょっとだけ羨ましい。結婚は愛を誓うものだと社会に教えられてきたから、私は誰からも愛されていないなぁ、と思いがちだった。 "Conversations with Friends"を読んで一番考えさせられたのはこれだった。愛ってひとつじゃない。

愛してます

 大親友も、かつての恋人も、愛し合っていない両親も、既婚のあなたも全員をわたしは愛してる。全員はわたし認めている。それ以上、何が必要だというのだろう? 明確なオチがないからこそ、私はこの本が描こうとしたことは、これなんじゃないかと思った。私はそう読みたかっただけかもしれない。
 現代の結婚というものの本質は、社会的契約である。結婚は、愛を証明しない。愛を証明するのが指輪でも、契約書でもないならなんだろうか。それはやっぱり、その人であり、自分だから、思いつめることはないないんじゃい?って言われてるような気がした。社会が設定した愛の在り方にフィットしない愛は、存在してもいい。

 私は、指輪をはめなくても、一緒に支え合う義務がなくても、一緒にいたい人に出会って、その人と一緒に朝目覚める、そんなプラトニックな、純粋な、本質的な愛情に憧れてしまう。「それってつまり、結婚したいってことじゃん」とか、「彼氏が欲しいの?」とかって言われると、タジタジしてしまう。肩書きがついた瞬間、どれも義務になってしまって、なんだか違う気がしちゃう。契約の外側で、誠実な愛のある口約束ではダメなのだろうか。



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