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毎日のほとんどをたのしく

 ワークライフバランスという言葉が流行り出して3、4年だろうか。2018年卒のわたしは、まさに「ワークライフバランス」トレンドの中であらゆる会社を見て、これから始まる新しいライフスタイルについて考えたものです。わたしは社会人5年目を迎える現在に至っても、けっこう仕事が好きで、趣味ニアリーイコール仕事なのですが、そんなこと言うと時代遅れ( or 意識高い系ツイテイケナイ)みたいな顔をされることが多々ある。

「ーーけどさ、毎日たのしいだけなんだよね」

 ということで、本日めでたく(ついに)昇進も決まったので、わたしが「ぜったい楽しい仕事に就く!」と心に決めたきっかけになった本、出来事、そしてただの学生どうやって採用してもらえたのかを振り返りながら書いてみようかな、と思う。

ルールよく知りません -2016 就活

 そもそも、日本の就活にはものすごい抵抗感を感じていて。せっかく色々勉強してきたのに、まるで入学する学校を選ぶように企業名を選び、クラス分けをされるように配属先が決まる仕組み。確かに漏れなく平等にたくさんの人が就職先を手にするわけだけど、わたしは就職する企業の名前ではなくて自分がわくわくする仕事を選びたかった。そして大学3年生の秋、自分がやりたいことができると確信が持てる会社に出会った。イギリス発祥のその会社は、採用システムもイギリスらしい完全オープンポジション制で、いわゆる新卒採用はなかった。そう書かれてるなら仕方ないと最初は受け止めたけど、ちょうどこの会社が行ったイベントで出会った本、『Free! Love Your Work, Love Your Life.』を読んで、やっぱりどう考えてもこの会社で働きたい!という気持ちに。まあ、履歴書もカバーレターも会社や働く人へのラブレターだし、伝えるだけ伝えてみよう、と無邪気な感じで、初めてちゃんと書いた履歴書を一方的に送ってみた。

 それがきっかけで、採用はともかくまずインターンをしてみようということになり、数ヶ月後には新卒で働かない?とオファーをもらえて、結局5年目を迎えている。(そして、さきほど永遠の若手だったわたしが昇進しました。みなさんありがとう。)インターンの頃からプロジェクトのコアメンバーに数えてもらい、何度も国内外の出張の機会をもらい、常に新しい何かに挑戦する日々だった。お互いよくルールを知らなかったし、限界を決めなかったことが、今につながっているなぁと改めて思う。

 そんなわけで、この本はわたしのキャリアにおいて大きなきっかけを作ったと言える。そんな大事な本は中身を紹介するのが筋ですが、何せ5年前で本の詳細な内容を憶えていない上に、手元にないもんだから、この本を読んだのちの、わたしの頭の中を書き記します……

たのしい仕事があれば、毎日はたのしい

 あたり前のことを言いますが、そういうことだと思うのです。「ワークライフバランスが大事」という主張には「仕事はお金を稼ぐ手段であり、バランスを間違えると人生の充実度が下がる」という前提があるように思う。そうかもしれないけれど、どんなにバランスを取ろうとも、仕事をする時間は毎日の中に存在するのであって、大部分の人は多くの時間を仕事に費やしているのではないだろうか。少ない時間で大金を稼げるラッキーな人であっても、仕事をしていない時間は「完全スリープモード」かと言ったら、そうではないだろう。

 だから、“work is life” に尽きると思うのです。仕事は毎日の生活の中にある。仕事が自体が楽しくて、仕事をしている自分を好きと思えるなら、毎日は自然と豊かで満たされたものになる。頑張ってるつもりもなく、頑張れる。意識高めに過ごさなくても、自然と考えが深まる。もっとたのしくしたいから、アイディアが生まれる。そんなわたしを、みんなが助けてくれる。改めて考えてみても、わたしはものすごくラッキーだ。だけど一番最初に、たのしい仕事を諦めなかったからこそ今がある。小さなことかもしれないけれど、その後の5年間にこれほどたのしく毎日を過ごし経験を積めたのだから、無邪気な諦めの悪さはバカにはできないでしょう? 

夢を忘れずに今を生きる天才になる

 5年後の状況は変えられない、でも今の自分や目の前にあることは変えることはできる。はじめての仕事を決める時に、5年後のあるべき姿や欲しい収入などの明確なゴールを持っていたら、直感に従って行動することはできなかったかもしれない。わたしは、目の前のチャレンジをして、好きなことを毎日考えて、自分の仕事に満足するのみだった。たしかに「グローバルプロジェクトを担当したい」とか「イギリスで働きたい」とか「いつか起業したい」とか、そういうざっくりした夢は常に持ち続けているけれど、3年後の収入がどうかなんて時間を割いて考えたことはない。パウロ・コエーリョの『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』(だったと思う)にも書いてあった。気前のいい古い友人に「なんでそんなに成功したのか」と聞かれ、「将来を心配して貯金するのを辞めたんだ」と答えた。生きていくために計画は大切。でも、遠くの未来ばかりに気を取られて、未来よりもずっと大きな影響を及ぼすことができる「今」に力と愛を注ぐのを忘れちゃいけない、という教えだ。
 たった5年間のキャリアだけど、振り返ると盛りだくさんの経験をしてきた。SNSの運用から始まり、記事・コピーライター、エディター、イベントプランニング、コンセプト開発、ショップオープニング、商品開発プロジェクト、マーケティング全般、キャンペーンストラテジスト…….数え出したらキリがない。だいたい半分がグローバルプロジェクトだ。やってみない?と言われたものは、ぜーんぶ Yes! と言ってやってきた。だから、だいたいなんでもできる。だいたいなんでもできるから、やったことのない仕事が次から次へと寄ってくる。この仕事をしたら「5年後役立つだろうか」なんて考えてたら、こんなに色んなことをこの短期間でマスターすることはなかっただろう。もちろん、まだまだ一つひとつは完璧ではないけれど、確実に縦横無尽に動けるしなやかさが身についたとは思う。毎日ぜんぜん飽きなかった。

燃え尽きた2020年、リハビリの2021年、復活の2022年

 たのしんで過ごしてきたわたしも、さすがにコロナ禍には精神削られた。いっきに盛り上がったeコマースに異動して、本当に手が追い付かないくらい仕事をした。毎日、いろんな人の気持ちと描きたい未来を想像しながら、できることは全部したなと思う。なんとかしたい一心で、交渉してお高いMITのオンラインスクールにもやらせてもらった。(泣きそうなりながら毎日宿題をした)それだけ結果も出た。段々めまぐるしい毎日のスピードが落ちてきた時に、初めて燃え尽き症候群を経験した。なんとなく気が重くて、やる気が出ない。追われるままに何にも考えずに突っ走しってきただけに、追手なしにどうやって通常運転速度を維持すればいいのかわからなかったみたいだった。たのしさだけを追求してきて、仕事が好きなわたしにはショッキングな出来事で、つまらないとは言わないまでも、わくわくしないことに本当にうんざりした。

2021年は、少しずつ「無邪気」な気持ちを取り戻して、やりたいことをやるだけという気持ちになれた。イギリスに行きたい!と周囲に伝えたことが、そのステップとして昇進につながった。初めてチームをマネージすることになる2022年は、悩みもするだろうけど、たのしい日々を追求するのみみ

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