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君、それじゃまるで人間の偏食家だ

「経験してないから分からない」
「想像出来ないから知らない」

そんなことを言ってしまえる人についての話。


私たちは身体一つだし、私たちが経験することなんてほんのちょっぴりしかなくて、だから他人の不幸だったり悲しみを「経験したことがないから」という理由で考えることを放棄するなら、そりゃもう誰とも分かり合えないと思う。

私たちは経験したことがないことだらけだけど、人間だから心があるし想像力もあるわけで、その人の悲しみを完全に理解なんて出来ないけど・・・・・


分かりたい、理解したいという思いとその人の悲しい気持ち自体に寄り添うことは可能なんじゃないかなとそれが人間なんじゃないかと、そんな希望を持ってしまう。

もし、経験していない他者の苦しみなんて理解したくないのなら、同じような境遇で同じような人種で同じような背格好で同じような趣味で同じような仕事をしていて同じようなところに住んでいる人としか分かり合えないことになる。

理解することは確かに面倒なのかもしれない。想像するのは鬱陶しいと感じるのかもしれない。でも、それを放棄しちゃったらもうそれは「人間の偏食」だと思う。

私たちは色んな考え、色んな人種、色んな思想、色んな経験があって、個人個人、違っている。完全に理解しあうことは難しくても想像することは出来るから、私たちはもっと人に対して開かれた態度でいよう。

違うことを嫌がらないで欲しい。
それを理解しようとしている貴方の心の中で、他者を理解する機能と同時に他者をどのように理解しようとしているかという自分への理解も育っていくはずだから。

私たちは違うけど、出来るだけ寄り添いたい。

そんな風に思っています。野菜も肉も卵も食べて健康なのだ。

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