大学と高校を中退して起きること(恋愛編)
はじめに
以前の記事で、大学と高校を両方中退したせいで就職が非常に困難になった話をした。
しかし、むずかしくなるのは、なにも就職だけではない。恋愛においてもいろいろと不利になる場面が生じてくる。20代前半というのは、中高生のころの一途さをまだどこかに残しながらも、将来を見据えた現実的なパートナー選びに移行していく時期。恋人選びの重要項目が、顔や運動神経から社会的地位や収入へとすこしずつ移り変わっていく過渡期だ。そして、学歴というのは、後者のふたつと深く関連している。それだけに、学歴のちがいが、異性からのあつかいのちがいとしてそのまま表面化してきかねないわけだ。もっと平たく言ってしまえば、女の子から「ナシ」と残酷に切り捨てられる機会が増えてくる。
いくつか例をあげていこうかな。
鼻で笑われる
露骨な態度の変わりようの例としてまっさきに思い出すのが、大学1年のときからつづけていた接客バイト先の正社員の女性。たぶん、ぼくより8つか9つ年上だったと思う。
何を隠そう、大学時代、ぼくはこの女性のおかげでけっこう快適なバイトライフを送ることができた。シフトの融通はきいたし、定期試験が近づくとひまな部署の担当に割り当てられて仕事の合間に勉強できたし、経営不振を理由にバイト全体の時給が下がったときもなぜかぼく(とほかの数人)だけ下がらなかったし・・・なんというか、まあ一言でいって至れり尽くせりだったわけ。シフトをつくるのも、担当部署をきめるのも、時給を下げないように店長に進言してくれたのも、みんな彼女だった。
では、なぜそんな依怙贔屓されていたかといえば、これは大学のネームヴァリューによるところが大きかったのだと思う。職場を婚活の場として使っている・・・それは、彼女のことを毛嫌いする同僚たちが頻繁にしていたうわさ話。いわく、将来性のある年下の男につばをつけているのだと。まあしょうがないわよねえ、もうアラサーだし、出会いだってないだろうし・・・そんな陰口をときどき耳にした。そういうことを言うのはだいたい彼女より年上の女性だ。異性からは好かれるけど、同性の敵をつくりやすい人ってたまにいるよね。彼女もそういうタイプだった。
べつにうわさ話を鵜呑みにするわけではない。うわさはどこまで行ってもうわさにすぎないからね。しかし、事実として、ぼくの大学はその近隣でいちばんハイレベルだった。あと、後輩に偏差値70のエリート高校に通っている男の子がいたけど、彼女は彼に対してもやはりやさしかった。やさしすぎるくらい。何度か、仕事おわりに3人で食事をしに行ったことがあった。そのとき彼女が着ていた胸元のぱっくり開いた服のことをいまだに覚えている。「大学院に進むかもしれません」とぼくが言って、「○○くんがいなくなると困るから、週1出勤とかでもいいからつづけてほしいな」と彼女が言ったときにも、胸の谷間がちらりとのぞいていた。他人との距離感がすごく近い人で、お酒を飲んだ帰り道とかには、まるで恋人みたいに体をぴたりとくっつけてきた。おっぱいがぼくの腕にあたることもあった。やわらかいおっぱいの感触・・・うれしい反面、ちょっと怯えもしたっけ。その当時はまだ童貞だったからね(いまもだ)。
総合するに、うわさを否定する材料よりは、肯定する材料のほうが圧倒的に多かったと思う。
さて、大学中退である。ぼくは結局、大学院進学どころか、3年生の途中で退学届けを出してしまった。その結果、高校と大学を両方中退という、わるい意味で稀少な学歴の持ち主になった。この経歴がどれくらい就職に不利になるかということは「仕事編」の記事で詳しく書いたのでここでは省略させてもらう。しかし、このときを境にした、彼女の態度の豹変ぶりといったら・・・。
まず、シフトの自由がきかなくなった。それまでのように予定の空いている日に出勤するのではなく、彼女があらかじめつくったシフトにぼくのほうが都合を合わせなければならなくなった。これは(地味だけど)けっこう困った。というのも、大学を中退すると同時に就職活動をはじめていたから。面接とバイトが重なったりすると、やっかいだった。しかし、事情を説明しても無駄だった。「それは○○くんの事情でしょ」とぴしゃり。週1でもいいから・・・と言っていたやさしさはどこへ。そのあとにこうつづく。「これまでは学生だから大目に見てたけど、いまの○○くんはフリーターなわけでしょ。バイト中心にしてもらわなくっちゃ。こっちだって大変なんだから。それがいやならやめてもらってもいいんだからね」
というわけで、シフトの穴埋め要因として、忙しい日には容赦なくフル稼働させられることになった。逆に、人手の足りている日にはシフトに入りたくても入れなかった。楽な部署の担当に割り当てられるようなこともなくなった。この時点で、彼女にとってのぼくは、恋人候補から単なる仕事上の都合のいい駒に格下げになっていたことはまちがいない。それ以降は、こっちから食事に誘ってもなにかと理由をつけて断られるようになった。それどころか、休憩室で一緒になったようなときですら、いかにも面倒くさそうな顔をされる始末だった。「なかなか就職先が見つからなくて・・・」と相談を持ちかけたときも、「そうでしょうねぇ」と鼻で笑われる有様。
苦戦の末にようやくきまった就職の報告をしたときもそうだった。「どういうお仕事?」と聞かれて「駅の清掃業です」と答えたら、「ぷっ」と吹き出した。「ふーん、駅のお掃除ねぇ」もはや軽蔑を隠そうともしなかった。バイトの最終日に餞別としてハンドソープをもらったけど、「これからバッチイものたくさんさわらないといけないでしょ」という言葉を一緒に添えてきたあたり、あれも厚意のプレゼントというよりは一種の嫌味だったんだろうな。別れ際の「がんばってねー」にはまったく心がこもっていなかった。
ちなみに彼女、お義理ばかりの送別会を開いてはくれたものの、そのときにはもう胸元の露出もほろ酔い加減のおっぱいタッチもなくなっていた。思わせぶりにのぞかせていたセックスへの扉は、キャリアの望みと共に閉ざされてしまったわけだ。女性の冷酷さにふれる人は、乳房にふれることはけっしてかなわない。これがこの話の教訓。
異性としてあつかわれなくなる
さて、このエピソード、冷静に見れば、なんてこともない話である。バイトのシフトの融通がきかなくなって、上司から嫌味なことを言われた。たったそれだけ。こんなの世のなかにいくらでも転がっているような出来事だよね。
それがぼくにとっていまだに印象深く記憶に残っているのは、適齢期の女性の両面性を垣間見るはじめての経験だったからだと思う。もちろん、ここでいう両面性とは、やさしさと厳しさだったり、優遇と冷遇だったりのこと。
こういう表裏は、男にもあるけど、女性のほうがよりはっきり態度に出やすい傾向はある気がするな。経験的にそう思う。ぼくの大学中退にしても、あつかいがもろに変化する女性がけっこういたのに対して、男友だちのほうは(若干の戸惑いはありつつも)関係性が大きく変わるケースはむしろ稀だった。
このときのぼくは、表面から裏面に急に切り替えられたから戸惑ったわけだ。そのギャップの激しさと、切り替えのあまりのすばやさに。
しかし、幸か不幸か、駅の清掃員といういわゆる底辺職に就いた後では、このギャップに苦しむことは絶えてなくなった。低学歴かつ低賃金の末端労働者に女性のやさしさが向けられることはけっしてない。お目にかかれるのは、つめたく厳しい側面ばかり。一貫して裏・裏・裏で、表にひっくり返ることがないわけだから、そもそもギャップの生じる余地もないというわけ。女性の両面性を目の当たりにしてゾッとしたと書いたけれど、表と裏の両方を見れるというのは、実は恵まれたことでもあるんだよな。大学をやめたばかりのころのぼくは、そのことにまだ気づいていなかった。
駅の清掃員4年目くらいのときの女性上司は、ぼくたち下っ端作業員のことを人間あつかいしていなかった。たぶん、モップとかブラシと同列くらいに思っていたんだろうな。なんたって、作業の遅れがちなスタッフに対して「勤務中は自分の手足も清掃用具のひとつだと思いなさい」と指導していたくらいだから。冗談みたいに聞こえるでしょう?でも、大まじめだ。ぼくがよく言われたのは「何も考える必要なんかないから、黙って手だけ動かして」。作業中に物思いにとらわれて手が止まりがちなのを見抜かれていたんだろうね。ぼくと彼女は同年代だったのだけれど、仲良くなることはまったくできなかった。ちなみにこの彼女、一見して仕事に厳しいタイプに見えるけど、親会社である大手電鉄から出向してきていた男性社員(20代後半独身)に対しては勤務中でもおかまいなしに甘えた声で言い寄っていた。
彼女のつくる作業スケジュールは、とにかくたくさんの仕事がぎゅうぎゅうに詰めこまれているのが特徴だった。プリントアウトして手渡されたB4サイズの作業工程表は、いつも文字がぎっしりで黒々としていた。ただでさえ記載されている作業の量が多いうえに、すべての漢字にいちいちふりがなをふってあったから。小学生レベルのかんたんな字にまで、ひとつ残らずすべて。清掃作業員の知性をとことん疑っていたみたい。せいそうさぎょういんのちせいをとことんうたがっていたみたい。
「社員は大卒以上だよ」というのは、将来的な正社員登用の道はあるのかとたずねたときの彼女の答え。質問から回答まで、ほんの一瞬の躊躇もなかった。正社員への道、完。
このアカウントのアイコンに使っている「男性作業員が清掃をしています」という看板、これは男が女子トイレに清掃に入るときに入口に立てるものだ。何も知らずに入った女性利用者がいきなり男と鉢合わせたらびっくりするでしょう?だって本来男がいるはずのない場所なんだから。クレームにもつながりかねない。そういうトラブルを避けるために、事前に看板を立ててアナウンスしておくわけ。まあ、そもそも論をいえば、女子トイレは女性が清掃するのが理想ではあるのだけど、いかんせん清掃業は人手不足の業界だ。
ただ、ぼくの経験上、この看板を立てていると、やはり利用を避ける人が多いみたいだ。利用する場合も「すみません、使っても大丈夫ですか?」と遠慮がちにたずねてくることがほとんど。こういうのは暗に「出て行ってくれ」とメッセージを送っているわけで、もちろんぼくもいったん作業を中断して外に出る。そりゃあそうだよね。異性のすぐそばでなかなか用は足しにくい。
だから、その夜、従業員用の女子トイレを清掃するときにも看板を立てていたわけ。その夜、というのは、「社員は大卒以上だよ」の夜。
不機嫌な人って足音だけでわかったりするよね。なんというか、響きが威圧的なんだよな。女性上司がトイレに入ってきたときもすぐにわかった。ああ、これはご機嫌斜めだぞ、と。たしか時刻は夜の10時とか11時だったと思う。そんな時間まで残業をしていれば、誰だって機嫌もわるくなる。というわけで、ぼくの「お疲れさまです」にはとうぜんのごとくガン無視ときた。いかにもつまらないものを眺めるようにぼくに一瞥をくれてから、ふんっと鼻を鳴らして(おそらく「黙って仕事をつづけてなさい」の意)、すぐさま個室に入って、扉を閉めた。トイレのなかはわりと広かったものの、深夜にふたりきりなわけだから、ひとつひとつの物音がくっきり響く。扉を閉める音、下着をおろす音、それから・・・。
おしっこの音。
あのときの女性上司の行動は、いまだにまったく理解できない。どうして音を隠さなかったんだろう?だって、あのトイレには音姫なんてものまでついていたんだから。ごまかしようはいくらでもあったはずだ。それなのに、むしろドアの向こうにアピールするような放尿音・・・いったいなぜ?誰か、女性心理にくわしい方がいたら教えてください。
そうだな、あれはもしかしたら、漢字のふりがなと同じようなものだったのかもしれないな。昼間、彼女は正社員とバイトの間にあるぜったい越えられない身分の壁を「社員は大卒以上だよ」の一言に要約したわけだけど、それだけでは乏しい教育機会しか与えられなかった底辺労働者には理解できないと感じたのかもしれない。小学生レベルの漢字の理解すら疑っていたくらいだからね。あり得なくはない話だ。そこで、言葉よりももっとわかりやすい、実践的な方法に訴えた・・・というのが、ぼくがない知恵を絞ってひねり出した彼女の行動の説明。
要するに、叩きつけるような小便の音にこめられていたのは、「まともに大学も出てないようなおバカさんはおしっこくさい便器でも磨いてるのがお似合いだよ」というメッセージなわけ。昼に口頭で説明したことを、夜には放尿音で伝えなおしたというだけの話ではあるまいか。同じメロディーを口ずさむか、ギターでつま弾くか、ただその程度のちがいだったのではあるまいか。
いずれにせよ、ぼくに確証を持っていえることはふたつだけ。ひとつは、彼女が使った後の小便の飛沫だらけの便器を磨いている時間がすごく惨めで泣きそうになったこと。そして、もうひとつは、彼女はぼくのことをまったく異性として見ていなかったこと。
jkの妖しい魅力
最後に、高校と大学を両方中退したことによって気づいた女子高生の意外な魅力について書いて、この記事の締めにしたい。
「鼻で笑われる」の章で出てきた接客バイトの同僚に高校生の女の子がいて、休憩時間なんかにぼくは彼女によく勉強を教えていた。ぼくは一時期この接客バイトとかけもちする形で家庭教師の仕事をしていて、彼女はその話をどこかで聞きつけてきたわけだ。いくらバイト先の後輩とはいえ、本来有料のサービスを無償で提供しちゃうのってどうなの?という抵抗も正直あったのだけど、なんとなくの流れであっさり押し切られてしまった。他人に甘えるのがやたら上手で、多少無茶なわがままをいっても笑って許されちゃうような子ってどこにでもいるもので、彼女もまさにそういう女の子だった。
かわいい子だったよ。よくお客さんに告られたりしてたし。無償で、とはいったものの、すぐ横に座って彼女に勉強を教えられたこと自体を報酬と受け止めるべきなんだろうな。それくらい人気のある子だった。いまでいう、クラスの1軍ってところか。校則厳しめの女子高にかよっていたおかげで化粧っ気がなくて、中学生みたいな童顔だったけど、かえってそれが人気の秘訣だった気もする。ちなみに勉強はからきしダメだった。特に理数系は壊滅的で、サイン・コサイン・タンジェントが怪しいレベル。かよっている女子高の口コミで「バカだし、学費高くて、先生もうるさいけど、制服だけはおしゃれ」というような書き込みがあって、なんだか微笑ましく思った記憶がある。うん、たしかに制服かわいかった。
勉強を教えたり、バイトおわりに一緒に帰ったりしてたら、自然といろいろな話をする。
「彼氏いるの?」という質問に対しては、「中学のときはいた」がこたえ。それからこうつづく。「女子高だしね」。大学生のお姉ちゃんが羽目をはずして遊びまくっていて、自分はそうはなりたくないとも言う。そのわりに、「早くひとり暮らししたい」が口癖だった。「そうしたら、お姉ちゃんみたいに遊びまくっちゃうんじゃないの?」と突っ込んだら、「ウケる」。ウケる、も口癖だった。
「○○さんはいままで何人彼女いたの?」ときかれて、「いたことないよ」と正直にこたえたときの返答も「ヤバっ。ウケるんだけど」だった。いや、しかし、あれ、ほんとにウケてたな。腹抱えて笑ってたし。「まあ、まだまだこれからですね」という励ましは、なんだか謎の上から目線。正直、ちょっと風変わりなところはあったよな。だからこそぼくみたいなのと仲良くしてくれたともいえるか。
ぼくが大学をやめて駅の清掃員になったのが、彼女が高3のとき。大学受験まであと数カ月のころだった。ちなみに、そのときにはもう予備校にかよっていたから、先生としてのぼくはとっくにお役御免になっていた。
ぼくが大学を中退したときのリアクションもなんとなく想像がつくよね。そう、ウケたわけだ。十代の女の子を「箸が転んでもおかしい年ごろ」なんていったりするけど、まさにそのとおり。学歴社会のどん底まで転がり落ちたって、やっぱりおかしいのだ。もっとも、その笑い方は、アラサーの女性社員みたいに軽蔑する風ではまったくなかった。ただただ意外な出来事を面白がっている感じ。ここら辺の反応のちがいは、やっぱり年齢によるところが大きいんだろうね。なんだかんだいっても、高校生ってまだ子供なんだ。
「大学きまったらまた連絡するね」と言ってくれたものの、たぶんこれっきりだろうなと内心思ってた。だけど、半年くらい経って、春になったらほんとうに連絡をくれた。山手線沿いの某女子大に無事進学がきまったという。本人は「Fラン大」とか「ひとり暮らしもさせてもらえないし」とかぶつぶつぼやいてたけど、進路がきまったのはやっぱりめでたいよね。男漁りをしてるお姉ちゃんの二の舞になるおそれもないわけだし。と、まあ、そんなやりとりをしていたらなんだかんだ盛り上がって、久しぶりに会おうかという流れになった。ちょうど3月のこと。高校の卒業式と大学の入学の狭間の時期だから、彼女もわりとひまだったのかもしれない。
いや、おどろいたよ。だって久々に会ったら、完璧に垢抜けてるんだもん。メイクを覚えて、髪も明るい色になって、服装も・・・向こうから声かけられるまでほんとうに彼女か確信持てなかったくらい。いままで高校の校則でできなかったことを、大学デビューに備えてまとめてやったということなんだろうけど、それにしてもすごい変わりよう。男子、三日会わざれば刮目して見よ?いやはや、女子は男子の比じゃないよ。いつの間にやら立派な胸のふくらみまでできてるんだから。半年前に制服のブレザーの上から見たかぎりではぺったんこだったはずなのに。どういうこと?乳房の過度なふくらみを禁ずる、みたいな校則でもあったの?
あまりの変わりように混乱しながらも会話をしていると、就職を機に引っ越したぼくのアパートと彼女が4月からかよう大学がわりと近所なことが判明した。で、彼女がアパートを見たいと言い出した。以前にも彼女が家に遊びに来たことは何度かあったから、これはぜんぜんおかしな話ではない。
ぼくは、最初断った。なぜなら、アパートがあまりにもボロすぎたから。非正規雇用の清掃員になって借りた新しい家は、大学時代住んでいた家の半分以下の家賃。広さも半分以下だった。都心のターミナル駅から徒歩10分圏内で家賃2万円台だから、これは10年以上前の話とはいえめちゃくちゃ安い。風呂なし、トイレは共同。壁が薄っぺらいせいで、夜になると隣のおじさんのいびきが聞こえてくる。どう考えても、華々しい大学デビューを目前にひかえた1軍女子を連れこむ部屋ではない。
「いや、ほんとに汚いし、狭いから。ドン引きするよ。案内してくれた不動産屋のお姉さんだって思わず苦笑いしたくらいだから」と必死にネガティブキャンペーンをしたものの、これはかえって逆効果だった。むしろ、相手が面白がってしまった。なにそれ、ウケる。
若い女の子が貧乏を毛嫌いするというのは、いまも昔も変わらない定説。稼ぎの少ない男は、パートナー候補としては大幅減点される。
この説はまあそのとおりだと思う。異論を唱えるつもりもない。
ただ、ぼく個人の体験に基づいて補足させてもらえば、貧乏に興味を示してのぞき見したがるような物好きな女の子も中にはいる。数は少ないものの、たしかにいる。もちろん自分の生活が貧しくなるのは耐えられない。家族や恋人の貧乏もいやだ。だけど、けっして生活を共にすることがない、離れた場所にある貧困はちょっと面白い。そういう感覚の子。たいていそういう子は、実家が裕福で、リアルな貧困を目の当たりにしたことがない。生まれたころから何不自由なく大事に育てられた人にとっては、崩れかかったようなボロアパートというのは、一種の見世物小屋みたいなものなんだろうな。
そんなわけで、アパートに来た彼女もちょっとした秘境巡りのノリだった。「やっばー、部屋狭っ、天井低っ」とか言いながらも、妙にテンション高め。思いっきり土足で部屋に入りこんでいったのも興奮で我を忘れたから・・・ではなくて、これは玄関が小さすぎてわからなかったから。「わかりにくくてごめん」と謝罪したのは、なぜかぼくのほうだった。彼女のほうは「いいから、いいから」とか言いながらパシャパシャ写真撮ってた。
「トイレは?」
「共同。廊下出て突き当り」
「お風呂は?」
「ないよ」
「ヤバっ」
と、話しているあいだもパシャパシャ、パシャパシャ。狭い室内で撮るものもなくなり、とうとう部屋干ししてあった洗濯物までパシャリ出す始末。ちなみに、物干しざおには、衣服と一緒に、仕事で使うゴム手袋や雑巾も吊るしてあった。終電間際まで作業に追われて、洗い物は自宅に持ち帰ることが多かったから。で、なんだか知らないけど、これが彼女のツボに入った。「トイレ ○○」と記名されたゴム手袋を撮影しながら、「くさそう」と「ウケる」を交互に連発していた。
彼女いわく「部屋にトイレがないのにトイレ掃除用のゴム手袋があるのマジウケる」だそう。言われてみればたしかに。
わかる人にはわかるよね。自分が住んでいる家を貶されるってかなりこたえるんだ。だけど、それゆえに被虐的な悦びもあるともいえる。感覚としては、性器を見られて「短小、包茎」とバカにされるのに近いかな。しかし、このときのダメージは、粗チン弄りよりもはるかにずっしりと重いものだった。貧乏や社会的地位の低さをさらけ出すって、現代社会にあっては裸体を露出するより恥ずかしかったりするんだよな。しかも、それを年下の苦労知らずのガキンチョに小バカにされるわけだから、なおさら。
彼女がこの倒錯性に気づいていたかどうかは疑問。おそらく、ほとんど意識はしていなかったと思う。まだ18だったからね。ただただ世間と挫折を知らなくて、生意気だっただけなんだろう。でも、心の奥深いところで何かをつかんでいた気はするな。そうでないと説明がつきにくいようなところもあるし。
たとえば、時給でマウントをとってくる。「大学生になったら時給が900円から1,000円に上がる」と切り出してから、「○○さんのお仕事はいくら?駅の清掃って大変なお仕事だから、そのぶんお給料も高いんじゃないですか?」なんてことをわざわざたずねてくる。ぼくが「840円」とこたえると、「ウケる。あたしの勝ちだし」とおおげさに胸を張って勝ち誇ってくる。
外では素っ気ない態度なのに、部屋でふたりきりになると急にベタベタ甘えてくる女の子っているらしいね。ほんとかな?ほんとにそんな女の子が実在するのかな?ぼくは自分の目で見たことがないから、いまいち信じきれない。そんなの漫画の世界だけじゃないかという気もする。
だけど、部屋でふたりきりになると普段よりも強気かつ攻撃的になる女の子の存在については、ぼくは確証を持っている。そういう子は、ぼくが「時給840円です」という遠回しな敗北宣言をしても、「もっといいお仕事見つからなかったの?」「お先真っ暗ですね。結婚とかぜったい無理そう」と追い打ちをかけてくる。
ちなみに、「収入の低い男と付き合えるか?」とたずねると、彼女は即座に首を横に振った。会社の女性上司に正社員登用の可能性をたずねて「社員は大卒以上だよ」と拒絶されたときと同じくらいの躊躇のなさだった。彼女いわく、お金がないのに女の子と付き合おうとするのは相手にとって失礼なのだと。カップル成立への道、完。
話に夢中になってすっかり忘れていたプレゼント(ちょっと高めのお菓子)を手渡して「高校卒業と大学入学おめでとう」と言ったら、彼女のほうもいま思い出したといわんばかりに慌ててスマホを開いて、卒業式の写真を見せてくれた。
ぼくが大学をやめて中卒まで転落するということは、彼女が高校を卒業した時点で学歴が逆転するということなのか?それは、以前からぼくたちふたりのあいだで交わされていた会話のやりとりだ。えっ、じゃあ、あたし、いままで中卒に勉強教えてもらってたってこと?ウケる。
これはあくまで冗談半分のやりとりだったはず。しかし、卒業証書片手ににっこりVサインの画像を見ていると、だんだんジョークに思えなくなってくるから不思議。卒業証書というのは、単なる高校卒業の事実だけでなく、負け組の中卒に対する優位性をも証明しているんだよな。次第に、Vサインが格下に対する勝利宣言みたいに映ってくる。
そんなぼくの気持ちを知ってか知らずか、彼女は彼女で「中卒回避成功」とか言って自分でけらけら笑ってた。「今度はあたしが○○さんにお勉強教えてあげないとね」とも。「あっ、でも○○さんはもう勉強しなくていいのか。いいなあ、あたしはまだ4年間も学校だよ」セリフと同じくらい、相手を舐め腐った表情だった。えっ、そんなこと言われておまえは怒らないのかって?正直、怒るどころか、その場に土下座したくなる衝動を抑えるので精一杯だったよ。
制服姿の高校生を見て、ただかわいいだけでなく、知的にも自分より優れた格上のお姉さんと感じるようになったのは、それがきっかけだろうな。そう、学歴カースト最底辺の中卒にとって、高校の制服というのは知的上位層が身にまとうインテリ衣装なんだ。
もちろん、性的に倒錯しているという自覚はある。偏差値30台の、tiktokばかりやっている女子高生が格上エリートに見えるという感覚は我ながらなかなかヤバいと思う。しかし、毎年春になって、「卒業証書授与式」という立て看板を背景にしたおすまし顔の女子高生の画像をSNSで見かけるようになるといまだに劣等感をえぐられて気が狂いそうになるからどうしようもない。
それもこれもみんな、大学と高校を中退したから起きたことなんだよな。