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恥として生きる

恥の多い人生でした。

そう綴った有名な作家のように、私の人生も文字通りそこそこ恥の多い人生であった。

中学から始めた援助交際、高校卒業とともに足を踏み入れた水商売に、風俗。そしてアダルトビデオにまで出演した。

勘違いしないで欲しいのは、それを後悔しているかと言われたら私はしていないし、これから出てくる恥というのは所詮“世間一般でいう恥”、“世間一般では胸を張って言えない人もいるであろう”というだけで私の中ではただの職業としか思っていない。

思えば物心ついた時から人のなんらかの部分に過敏であり、周りの目を気にし、14にはもう精神安定の薬を飲み、腕を縫うまで切っては母親を泣かせた。

最終的に自傷はやめたものの、この年までそんなこんなを続け、31の冬、大晦日間近に自殺を図り、見事に失敗し周りに大変迷惑をかけたのだ。

そんなこともあり、私は結局動物を連れ、荷物をまとめて田舎に帰ってきた。自殺未遂をした日から母親から口煩くかえってこいと言われていた。
私は田舎が嫌いな為断り続けていたが、もうそうするしかなかった。

訂正するが、私は田舎が嫌いではなく、田舎の人間が嫌いなのだ。

都会生まれの人間は口を揃え広い土地と温かい人はいいというが、幻想でしかない。狭くジメついたその場所は住んでる人間が少ない為か、遊ぶ場所がパチンコ屋くらいしかないせいなのか、どの噂も回るのが早く、隣人どころかその隣の隣まで観察し、常々“見張られている”ように感じ、私からしたら窮屈でしかない。

そんな中これから暮らしていくというのだ。
アダルトビデオに何十本ともでた私が。

今の所誰が気づいており、誰が噂しているかわからないし、これから先私が後ろ指を刺され噂話をされてもいいのだが、なんせ家族がおり、大切な人も出来てしまったとなったら話は違う。

私だけならいい。もし母親に影響があったら、大切な人がなにか嫌なことを言われたら。私のせいで。そう思うと頭が痛くなり、呼吸が荒くなり、涙がでた。

誰かの為に自分よがりだとしても涙を流すのは初めてに近く、どう対処したらいいかわからない私は薬とタバコ、酒に頼り切るしかなく、これもまた世間からしたら“恥”なのだろう。
だがしかしこう生きるしかないのだ。

母親も大切な人も気にしないという。自分のことだけ考えたらいいと、動物だけ守ればいいと口を揃えて言ってくれる。だがしかしそれはまだ何も言われてないからだ。

自意識過剰かもしれないが、これからどこで何を言われ、何が起こるかわからない。

その時また同じ事を言ってくれるだろうか。呆れないで、離れないでいてくれるだろうか。

これを後悔とないというならば、きっと“恥”なのだろう。恥として生きて、恥として行動しなければいけない。

そう、恥の多い人生ではなく、私自身恥となってしまった人生なのだ。

生まれながらではない。
自らの足で恥に足を突っ込み、そのまま恥へ染まっていった。そして自分自身が世間でいう“恥”となった。

大切なものを増やして生きてる場合ではない。
動物だけ守り一人ひっそりと生きていればよかったものの、何をどこで間違えたのか、多分自殺に失敗した時だろう。

本当に帰ってきてしまってよかったのかと自問自答する。母親が言うままに、大切な人と一緒にいたいが為に。泣き縋る友達すら置いて。

何をどう考えてもよかったとは言えなく、虚しくため息をつくだけで時間は過ぎていく。

せめて他にもう迷惑がかからないよう、しっかり働き、動物を守る為健康でいなければならない。私自身も働いていた方が気が紛れるし、少なからず金が手に入ると言う安心感もある。いつまでも堕落し地面を見ているだけでは、またベランダの柵に足をかけ、落ちようとしてみたりし、少なからず数人を泣かすハメになる。

そう思えば思うほど息が詰まり、今日も薬を飲み、求人サイトに目を向け端から応募し、あちらこちらに面接の連絡をいれ、動物の世話をし、酒を飲みながら母親の居酒屋の手伝いをする。

クヨクヨ悩んでる暇など私にはない。
今までとは違う土地でしっかり立って前を向かねばならないし、全く違う生き方をしなければならないのだ。何度も言うが、“世間一般の恥”として。

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