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私の「第二の人生」へのギアチェンジ

■「第一の人生」から「第二の人生」への転換
 
一新塾の仕事に就いて26年。
気が付けば、6000名の塾生の人生の転機に立ち会わせていただきました。

この場には、20代から60代まで様々な世代、様々なバックグラウンドの方々が集います。あえて共通点を挙げるとすれば、「もっと社会のために、もっと自分のミッションで」との思いで、ギアチェンジした方が大半であったと思います。
 
この場で、じっくり人生の根っこを掘り下げ、社会を広く深く受け止め、インタビューで対象者の方の人生に深くアクセスし、社会を変えるプロジェクトを立ち上げていただきました。
 
これまで立ち上がったプロジェクトは、「政策提言」「社会起業」「市民活動」、1600を超えます。国際協力、環境、ものづくり、地方創生、まちづくり、一次産業振興、伝統文化、アート、教育、子育て、介護、医療、福祉、あらゆるテーマ、フィールドは全国各地、世界各国に及びます。
 
そのプロジェクトの発展の舞台裏では、塾生一人ひとりが、旧い自分の殻を破り、ギアチェンジする人生の歩みがありました。
 
「第一の人生」から「第二の人生」への転換です。
私は、たくさんの塾生の人生の転換に立ち会わせていただく中で、見えてきたものがあります。それは、「第一の人生」の時の常識が「第二の人生」では大きく覆されて新しい世界観が生まれているのです。
 

■私の「第二の人生」へのギアチェンジ

私自身も、1996年に一新塾に入塾したことをきっかけに人生のレールを乗り換えることになった一人です。翌年の卒塾のタイミングで、前職の会社を辞めて、一新塾事務局の仕事に就くことになりました。9年間のサラリーマン生活をギアチェンジして、市民活動を支援する世界に飛び込むことになったのです。
 
まだ、NPOという概念はまだ世の中に知られていない頃です(NPO法の施行は1998年)。当時は、友人も同僚も、大企業をやめて将来の先が見えない世界に入ることに反対でした。

私は、いま動かないと、ずっとこれまでの価値観から抜け出せない人生になるような気がしました。いま動かないと、定年までずっと会社にしがみつく生き方になると思いました。
安定したレールを歩む生き方を選ぶのか、未知の世界にチャレンジする人生を選ぶのか、チャレンジしないと一生後悔する予感がしました。
 
■満たされない「もやもや」

振り返ると、子ども時代から、2つの価値観の間をさまよっていたように思います。サラリーマンの父と小さな会社ながら地域に根を張る経営者の祖父。
 
父親は転勤族で、私は中学に入るまでに6回の引っ越し。二年に一回、全国転々と。父に辞令が出ると一週間後には、夜逃げのように移り住みます。社宅では隣に声が聞こえないよう、ちょっと家ではしゃぐと叱られる生活。そうした窮屈さから、「サラリーマンには絶対にならないぞ!」と思いながら、気がつけばどっぷり会社人間のサラリーマンになっていた自分。
 
私は、住宅メーカーの都市開発事業部、まちづくりに関わる仕事をさせていただきました。なぜこの仕事を選んだのかは、ふるさとと言える場所がない、地域コミュニティへの渇望感があったのではないかと思います。
 
実際に働いてみると、多くの人たちに支えられて、仕事の醍醐味に一定の手ごたえや喜びを味わうことも、たくさん経験させていただきました。
 
しかし、周囲の期待に応えようと、四苦八苦しながら、成し遂げた事業も、目標に到達しても、なぜか満たされない「もやもや」をずっと抱えていました。
 
それは、つきつめていけば
自分だからこそできることへの疼き。
 
社会にもっと深くつながりたくても、何か膜に阻まれて、つながれない感じ。もっと深く、一人ひとりの人間に関わりたくても表面だけで閉ざされちゃう感じ。人間の本質は何かにアプローチしようとしても、するっと、かわされてしまう感じです。
(つづく)

■大前研一創設 NPO法人一新塾(東京・大阪・名古屋・仙台)
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https://www.isshinjuku.com/

■『第二の人生は志を生きる~サラリーマンから市民への転身』(一藝社)
NPO法人一新塾/森嶋伸夫 著
https://www.amazon.co.jp/dp/4863592485

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