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移住2年備忘録――「村の揺るぎなさを感じた2020年。村暮らしを味わい尽くしたステイビレッジだった」

こんにちは、長野県根羽村村民の夫マギーと妻ゆきです。
東京都渋谷区から、この村に移住して2年目を迎えた2020年。この1年は新型コロナウイルス感染症の流行により、多くの方々が世界全体の変化に対応することでいっぱいいっぱいだった1年でしょう。
一方、村暮らしをしている私たちはどうだったのかというと・・・村の中にある変わらない日常に気づくきっかけをもらったことで、私たちの内側にある大切にしたいことを深く握りしめることができるようになった1年だったかもしれません。
1年目の備忘録に続き、2年目も振り返ってみようと思います。

「村を味わい尽くした1年」

ゆき:2年目を振り返ってみてまず思うのは、村を味わい尽くした1年だったなあということ。娘の成長と共に外遊びが増え、水遊びが大好きな彼女と一緒に、夏はほぼ川で過ごしていた気がします。この夏はコロナの影響で村の人しかいない状態だったので、川もまるでプライベートビーチのようでした。この秋は見事な紅葉も楽しめたし、最近では家の前でそり遊びもしています。

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私個人の感覚としては、くらしの基本に関する松浦弥太郎さんの本にが書かれているような暮らしの基本を、徹底的にやった1年でした。春にはよもぎを摘んで草大福を作ってみたり、夏には畑を借りてトウモロコシを作ってみたり。秋には干し柿も作ったし、味噌づくりにも挑戦。「暮らしって楽しいんだ」と改めて実感できました。

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そう思うと1年目は、ちょっと働きすぎたかなと。(笑)
マギーは出張も多かったし、私は子育てがメイン。ワンオペになることもしばしばでした。楽しい活動ではあるけれど、土日はまつや邸でのお客様受け入れの仕事もあり、本当に目まぐるしく働いていたなあと思うんです。
そういう意味で、2年目は心の底から自分たちが暮らしを楽しめたなと思います。村暮らしに慣れてきたのも関係しているかもしれませんが。

やってきたコロナ禍。「やれることをやろう」をテーマにした

マギー:1月から2月末にかけて、「2020年、まつや邸ではこんなことをしよう」と考えていました。企業研修の受け入れの話も進めていたのだけれど、そこにコロナがきてしまって。2月末には「これはやばそうだな」と思うようになり、緊急事態宣言が出た4月にはまつや邸の運営については頭の中からほぼ外しました。やれるかやれないのかわからないものに、日々の時間を割かれることは有意義じゃないなあと。

だから、今できることをやろうということで、計画は手放して「今できること」を積み重ねることにしました。そうしたら2年目も積極的にいろいろなことができました。


4月は夫婦で、オンライン移住相談。10組近くの方々とお話しました。その時の記事はこちら


6月からは販売先が激減してしまった村のおばあちゃんたちが作った野菜を販売するため、「おすそわけ便」を開始。気づけば25世帯に毎月、段ボールいっぱいの野菜をお送りしました。

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また、地域外には出られなくなったので、圧倒的に地域内でできることに力をいれました。4~8月は週2~3回のペースで学校に行って小中学校の改革に携わったり、授業をやらせてもらったり。オンライン授業のサポートもしました。12月には、村の独身男性の出会いを支援するためにオンライン婚活を企画したりもしました。
なんやかんやで、できることをやりきった1年でしたね。

コロナ禍は人生レベルでいうととてもプラスでした。オンラインが主流になったため、出張がなくなり地域に入れる時間が増えた一方で、1年目よりも仕事も増えました。暇だったのは4月くらいですね、美味しいチーズケーキ作りにハマってました。(笑)。


1年目の備忘録で「村暮らしの守破離として、1年目は守、2年目は破をしたい」と書いたのですが、むしろ1年目より2年目のほうが守をしたんじゃないかな。より地に足がついて本当によかったですね。

大きな社会変化にも動じない日常、これこそが自立

マギー:コロナの中で非常に印象的だったのは、緊急事態宣言が出たときの村の様子でした。ロックダウンとなった5月も、根羽村の日常はほぼ変わらなかった。社会がパニックになっていても、おじいちゃんおばあちゃんたちは、いつものように田んぼや畑作業に忙しそうで。
それが、衝撃的でしたね。社会が大きく変化しても、変わらない日常をもてている。これって本当の意味で自立しているってことなんじゃないかと感動しました。
僕たちが「今やれることをやろう」と思えたのは、おじいちゃんおばあちゃんの姿にインスパイアされたからでもあったんです。

1年目は、何か面白いことをしたいと思ったら村の外に出る選択肢を多くとっていた。というか、外に出ないと新しいことは得られないと思っていた。でも、2年目は「ステイビレッジ」だぞ、と。村にいることが絶対条件になってしまった。だから「暮らす」を一生懸命やってみたら、1年目より学びも楽しみも多かった。外に行くより面白かった。畑の作業ひとつとっても、雑草の生えるスピードに驚いたり、うまく育てられなくて難しさを実感したり。新しい魅力にどんどん気付けた1年でした。

仮にコロナが収まっても、東京に遊びに行きたいとはあまり思わないんじゃないかなと思います。物欲もなくなった。「工夫する力さえあれば、人生楽しめる」って思えるようになったかなあ。


「意味のない時間」こそが、私にとって有意義な時間になった


ゆき:私は村のおばあちゃんたちとめちゃくちゃ仲良くなれた1年でした。春夏、おばあちゃんたちが畑作業で忙しいときには、10時くらいに休憩してお茶を飲んでいるおばあちゃんたちのところにお邪魔させてもらって、娘はみかんなんかをもらって食べて。休憩後、おばあちゃんたちはまた畑作業をしているんだけど、私たちはそこで遊ばせてもらって。

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「おすそわけ便」用にはできないっていう形がちょっと不格好な野菜をめちゃくちゃたくさんもらったり、ふらっと散歩に出たところで会ったおばあちゃんと1時間くらいおしゃべりしたり。おばあちゃんたちはあるものを工夫して生み出す力がすごくって、いろいろ話すなかで学ばせてもらいました。
贅沢な暮らしだなあと思います。採れたての野菜を食べて、おいしいお米と水があって。そうした食生活を送っているからか、娘の味覚もかなり発達しているなと思います。最近は、つきたてのお餅をいただいたんです。ふと、「こういう生活ってふつうじゃないよなあ」と思って、おいしさと合わせて感動しました。

東京に住んでいたころの私は、おばあちゃんたちとの30~40分の井戸端会議なんて、意味がない時間だって思っていたと思うんです。例えば、土日の予定も時間刻みにスケジュールを立てるような生活を送っていたり、意図したものを積み重ねて素晴らしい時間や空間を生み出すことを重視していたり。「意味」に重きを置いていたんです。
そんな私が、一見意味のない時間に愛おしさを感じられるようになったのが、2年目の変化かな。子どもと過ごしていることも関係しているのかもしれません。子どもは「今」しか生きていないから。そう思うと、村のおばあちゃんたちも子どもと一緒なんですよね。
過去の私にとって意味がなかったことを有意義に感じるようになったとも言えるのかもしれません。今の私にとって、意味のない「余白」こそが一番意味があるひとときかな。時間や心にゆとりがあることを重視するようになったんだなと思います。

3年目はより自然体に、村ごこちを追求する

ゆき:「3年目、こうしたい」みたいな想いが本当にないんです(笑)。仕事的には良くないんだろうなと思うんですが…。先が見えない世の中で、「いいじゃん、明日が見えなくても」みたいに思っていていいのかなとも思いますが、なってみないとわからないもんなあと。出たとこ勝負ですね(笑)。今しか生きていないおばあちゃんや子どもと一緒に過ごしていきたいです。今の私、死なない自信があるんですよね。収入ゼロになっても食べるものはあるわけだし、って。

マギー:移住にあたり、「生きる」の上に「働く」を乗せることを意識してきました。コロナによって「働く」の選択肢が奪われても、下には「生きる」の土台がちゃんとあって、そこは揺らがなかったんです。「生きる」土台さえあれば、上にはどんな選択肢を乗せたっていい。コントロールできないものに人生が委ねられているのはリスクが高いし、時代はずっと不安定。依存しなくても日々生きていける自分を作っていくことが大事だと思って移住したら、思ったより早くその試練がきたのが2020年でした。そして、余裕で対応できた自分たちがいました。豊かさも増しましたね。

3年目は、余白をどれだけ作れるかチャレンジしたいです。余白を作るためにも、時給をあげて少ない日数で収入を得られるようになりたい。そして得た余白をインスピレーションで生きられる自分になるために、必要となる土台を固めきりたいと思っています。


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