縋る犬の愛に終止符を 800文字ショートショート 91日目

百六十四センチのシベリアンハスキーが「捨てないで」と服の裾を引っ張った。

裾から腰へ縋る形で腕に。遠吠えの前触れに近い喉の振動と、同情を誘う鼻腔の音を鳴らしながら、惨めったらしい姿でしがみつく。

身体に纏わりつく愛情を鬱陶しく引き剥がすと、保健所に連れて来られた犬のように、死を察知した絶望を瞳に宿した。眼球の水面をぶるぶると震わせ、歪んだ口元から犬歯をはみ出し、分厚い下唇を噛んで未練を滲ませる。

凛々しい顔つきが歪んで台無しだ。──そうさせたのは紛れもなく私だ。

「触られたくないって何度言えば分かるの? 都合が悪いときばっかり私に甘えてこないで。ご機嫌取ろうとして抱き着いてきたり、泣いたり、無理矢理キスしようとしたり。そんなので引き留められるなら、最初から別れ話なんかしないから」

毒矢を素早く構えて放ち続ける。勢いよく言葉を紡いだせいで涎が飛び跳ねる。流れ始めた犬の涙とぶつかり混ざったのが、余計な罪悪感を募らせた。

伏せられた瞼の中で月が欠ける。一瞬反射した瞳の煌めきの中に、醜い女が私を真正面に睨んでいるのが見えた。見たくない醜態を映す男が憎たらしくて地団太を踏んだ。

「近所迷惑」

もっともな正論をかます満夜が更に腹立たしく苛立たせ、必要以上に罵ってやりたい気分にさせられる。六畳半の部屋にびっしりと飾られたぬいぐるみを手あたり次第投げつけたい衝動に駆られる。

躾でもなんでもない暴力で顔を平手打ちしたい悪意がむくむくと生まれていく。

内に眠る凶暴性がいつも満夜のせいで曝け出され、その度に醜悪と向き合わなくてはならない。それがたまらなく嫌で仕方なかった。

「別れたくない。俺、まひると別れたくない」

満夜はこんなときでもトランクス一枚でいる。その姿で私との繋がりを断ちたくないと、嗄れた声で主張する。

まるで群れをはぐれた狼みたいだ。でも彼はなりきれない、シベリアンハスキーでしかなかった。

「さようなら。満夜」

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