【毎日note 100日】人生の3good things

よく続きました

タイトルにもありますが【毎日note100日】となりました

皆様に「スキ」「フォロー」「コメント」で応援して頂いたお陰です

ありがとうございます

ちょっと驚いています

こんなにも毎日続けられた事は「小学校時代の日記」以来でしょうか

日記も土日はお休みでしたから・・「人生初」といっても良いかも?

noteを開始した時に誓った事は「毎日、書き続ける事」でした

書けないかな?と思った日も何とか・・続けました

そんな日も「読んでくださり、ありがとうございます」

3good things

「その日に起きた良かったことを3つ書き出す」

この3good things、藤野英人さんがFacebookで展開されてます

私も3月21日(日)から参加しています

なぜ参加しようと思ったのか?

noteの記事一覧を見ますと「下書き」状態のものが3本

きっと何かを叫びたい!と思った日だったんでしょうね!

100連投を記念して?61歳の高齢労働者が「頑張ったな」と思う3つを!

人生の中での3good things

人生の中での3good thingsを挙げてみます

普遍的なものとしては以下の3つになってしまいますが・・

1)生まれて来た事 2)結婚 3)子の誕生

座右の銘である「やる時はやるよ!でも、滅多にやんないけど!」

の・・

「やった」と自分が胸を張れるもの=「自分で自分を褒めたい」ことです

① 大学に合格できました(40年以上前)

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  第一志望の高校入学後の成績は酷いものでした。
  勉強以外の事だけに力を注ぎました。
  部活動・文化祭・体育祭・球技大会・・  
  ◆日々の宿題 「いたしません」
  ◆夏休みの宿題「いたしません」
  ◆冬休みの宿題「いたしません」
  ◆定期試験勉強「いたしません」
  ◆模擬試験  「受験しました」
  卒業後に個人名を伏せた入試結果の冊子が配られました   
  「・・文系」に自分と思われる情報が・・
  ページをめくると「・・理系」??・・最下位でした  
  入試最終面接:授業終わって面接→次の体育の授業の着替えに間に合った
  
  予備校時代(皆勤でした):田舎出身ですので初の下宿生活
  ◇クラスで一番に教室入り
  ◇教卓の正面の席
  ◇予習・復習・宿題完璧
  ◇帰省もせずに「どん兵衛」で年越し勉強

  この一年は人生初と言って良いほど頑張りました😜
  そして・・大学というものに「合格」できました

② 社会保険労務士試験に合格できました(8年前)

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  38歳でファーストチャレンジ(雇用保険の教育訓練給付金開始時)
  社会保険担当になり、上司に誘われて・・受験専門学校に通いました
  確か40名程のクラスであったと思いますが、何と合格者0名!!!
  
  私も「実務を知っている」という思い上がりと典型的なダメダメ例でした
  通学している事だけで「勉強した気になっている」
  多くの仲間に恵まれはしましたが、合格するという意識があまりにも・・
  受験友達は不要!!!
  その後、2回受験。しかし、合格した時を思いますと記念受験レベルでした
  
  50歳の時に再チャレンジを決めました
  当時は、会社員生活で一番の繁忙期でした(3年間、ほぼ終電)
  お金はかけたくない・・前回の失敗を生かす
  独学で挑みました

  <1年目>・・基本書と徹底的な過去問
    不合格(3点不足)・・過去問を覚えただけでした
  <2年目>・・e-Learning(格安!)
    不合格(1点不足)・・「来年は行ける」と確信を持ちました
  <3年目>・・e-Learning
    合格

  妻からは3年目に「今年ダメだったら、定年後にして」と言われる程でした
  徹底的に問題を解く勉強方法で・・合格しました!
  発表当日は出勤、8時の官報発表を見る勇気もなく・・
  22時過ぎに退社する時、検索画面に『社労士(受験番号)』を打ち込み・・  
  ヒットして驚き、同僚に受験票を確認してもらいました
  涙が溢れました
  妻と抱き合って(恥)喜びました・・53歳でした

③ ソフトテニス全日本選手権に出場できました(1992年)

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  中学の部活動から始めたソフトテニス(当時は軟式庭球・軟式テニス)
  中学時代は県大会さえ出場できず・・
  高校ではインターハイにも出場できす・・
  大学時代は輪をかけて最悪・2020年に創部100年を迎えた歴史の中で最弱
 
  こんな私でした・・
  社会人になっても勤務先、地元のクラブで続けてきました
  結構、気合入れて取り組んでいました
  次男の出産日も大会へ・・臍の緒はテニスウェアのまま、切りました

  そんな33歳の時でした(遅咲き)
  運よく県選手権を勝ち進み、他の大会でも成績を収める事ができた年でした
  県の代表として「天皇賜杯・皇后賜杯全日本ソフトテニス選手権」に出場!
  夢が叶った瞬間でもありました(「本当に夢って叶うんだ」と実感)
  京都で行われた大会には父母も駆けつけてくれました

ソフトテニスは、私にとっては「諸刃の剣」です

  私の人生の中でソフトテニスは「犠牲のもと」に成り立っていました

  高校時代は強くもないのに「部活動」に明け暮れていました

  大学時代は体育会に所属し、授業にも出ず(奇跡の卒業)
   試験前はノートを借り「まだ大学辞めてなかったの?」・・

  社会人になってからは、前述の次男出産でもお分かりの通り
   家族は放置状態でした

  現役を引退後の中学校部活動の外部コーチ時代(40歳から10年間)
   会社には行っていましたが?仕事の記憶はありません
   週末・祝日の部活動に明け暮れていました
   小学生だった次男「晴れた日、明るい時に家族で出かけた記憶がない」
   こんな事を言わせていました(最悪な父親です)
     
   今思うと、40歳代の時に「社会保険労務士資格に挑戦」していれば
   全てが、こんな調子です・・
    

これからも宜しくお願いします

  明日からも書き続けます

  これからもご笑覧頂ければ・・幸いです🤗🤗🤗

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