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海外ボランティアで得た「かなづち」

20歳の若かりし頃の自分のトップ画像を見て,当時の心境を振り返りながら文章を書いています.これはフィリピンのネグロス島にある「ドゥマゲティ」いう都市にあるコミュニティ(村)です.

今回は僕自身の自己紹介もかねて,海外ボランティアに参加していた頃の話をさせていただきます.

順風満帆な人生を歩みながらドクターになれたら良かったのですが,僕も僕とてそれなりに紆余曲折はありました.高校を卒業した後,大学では社会福祉系の学部に進みました.憧れた都会での,華の大学生活の始まり!!

テニスサークルや男女でキャッキャしてるような(キャッキャは死語??)ナウなヤングのたくさんいる,華やかなサークルを見学して「さぁ楽しいキャンパス・ライフを過ごすぞ!」と意気込んでいました.

入学式を済ませた僕たち新入生を正門前で待ち受けていたのは,大学2-4年生の先輩たちで,様々なサークルの熱烈な勧誘を受けました.山積みにされたチラシの中から目に飛び込んできたワードがありました.たしかこんな感じ..

「人の心を打つかなづちを持とう」

「ハビタット」という,海外で貧困に苦しむ人達のために家を造る支援をしている国際NGOの学生団体でした.

そこにいる先輩たちのキラキラした様子に惹かれた僕は,「こんな人達と学生時代を過ごしたい」と思い,テニスサークルの誘惑を振り切り,そのチラシを受け取ってすぐに「入会させてください」と伝えました.

学生NGO団体「ハビタット」では,年に2回フィリピンなどの東南アジアの貧困エリアに出向いて,現地のNGOスタッフや大学生達と協力しながら,ハビタットが作っているコミュニティ(村)での家造りを一緒にしたり,事前に募金活動や啓蒙活動を行ったりしました.

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この記事を書くにあたり,懐かしい写真をひっぱり出してきました.何を隠そう,左端で紐を引っ張っている,赤ラインの入ったハーフパンツ麦わら帽子の青年(今は正真正銘の中年)が20年前の若かりし頃の僕です.この写真の家のように,まずはブロックを積んで最後に一枚の大きなトタン屋根を被せるタイプの家を作りました.

とここまで書くといろいろ思い出してきましたが..この海外ボランティアでの経験はここでは書き尽くせないほどあるので,また別の場所で書かせてもらいますね.さて次からが本題です.

夢中になるほど好きで参加していた国際NGOでの学生ボランティア活動でしたが,海外でのこの活動を通して,"福祉分野でJICAなどの国際協力の舞台で働きたい"と思うようになりました.しかし,フィリピンでの支援活動や東南アジア一人旅を通して痛感したのは,自分たちが普段大学で学んでいるような"福祉的な考え方はそれほど求められていない"ということでした.例えば,"車椅子の人やお年寄りが過ごしやすい社会を作るために階段の段差などをなくそう"というバリアフリーみたいな概念は,国がある程度豊かになってからの話だということに気付きました.

貧困国において求められているのは,福祉という"概念"や"制度"よりも,今日を生き抜くための"食糧"だったり,病気をした時に"ケア"してくれる医療サイドの支援だという現実をまざまざと見させられました.もちろん20年前の話なので,世界各国の経済状況は大きく変わっているとは思います.

ということで,21歳で周囲が就職活動をはじめ出す大学3年生の時に,医学部受験を決意しました.そこから苦節3年を過ごすわけですが,そのことは追々書かせていただきます.(追々ばっかりで,そのうち追々詐欺と言われかねない..)

海外ボランティアを通して僕の心を打ったかなづちは,"医者になりたい"という揺るぎない想いでした.


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