◇或る曇日のひるすぎのことであ
る。あの地震があつたその日から
氣にかゝつてゐたことを、今日こ
そは實行しやうと、私はふと思ひ
出したのである。それは、S區N
町に家があつた、私の人間として
の、又思想上の恩人である、M・K
氏の消息をたづねるために、そこ
まで行つてみることである。そし
て、その日は、あのわれ/\がひ
どい目にあつた日から、六十日も
すぎてゐる。
◇こういふと、諸君は、そんなに
親しい間柄の人の安否を、どうし
て今まで知らずにすごしてきたの
だ。あんまりずぼらな話ではない
か。と、私を責めることだらう。も
とよりそれは尤もである。だが、私
にもそれに答へるだけの話がある
のだ。私は今、こゝでそれを語り
たいのだが、いづれそのことは、あ
とで別に書かうと思つてゐるので
今はたゞ、次ぎのことを覺江てゐ
てもらひたいと思ふ。
◇MK氏といふのは、すでに五十
歳を幾つかすぎた人で、或る神社
の神官の家に生れたが、早くから
人間の五感の生活にあきたらなく
思ひ、又、人間の文學、哲學にむ
かつても、自分の思想と餘りに隔
たりのあるのを感じ、その上自分
の一家の仕事であるところの、傳
統的な、神道思想に對しては全く
すこしの價値をも認めない――そ
して、自分の日々の生活は、さな
がらの仙人であるといつたやうな
――さうであらう、MK氏が今の
私位の時には、すでに北海道の
定山渓の深山で、木の葉をたべて
幾年かを暮らしたほどだから――
人間の世界に生きながら、人間の
現實を、はるかに飛びこしてしま
つたといふよりほか說明しやうの
ない、いはゞ私の判斷では、怪奇
な人間の一人であつたのだ。
◇だから、ふとした、ロマンチック
な機會で氏と相識の間柄になつた
私が、徒らに人間美や藝術美や愛
慾美に耽溺してゐたりすると、頭
ごなしに非難されたものだつた。
そして私が氏の厳しい叱責に會ひ
乍ら、やつとのことで二年ほど前
から、哲學の本をよみだすと、氏
は、私に向つて、「MKは昔も今も
吹き通し、風に揉まれた木の葉哲
學」「文學より哲學へ――哲學より
信仰へ」「感想より思索へ――思索
より靈覺へ」などといふ皮肉な言
葉をつらねて、投げつけたもので
ある。愛よりは信でなければいけ
ないといつて、私の戀愛を嘲笑さ
れたときも、私は氏の說に感動さ
れ乍ら、一方女の唇の赤さを思
ひだしてゐるやうな若者であつた
から、氏も餘程まどろがしかつた
にちがひない。
◇一年ほど前の或る日、私は氏か
ら、「君が哲學を研究しだした以上
は、どこまでも深く、それをつき
きはめなければいけない。僕は暫
らく君を僕から自由にして、君の
進境を傍觀することにする」とい
ふ手紙をもらつたきり、氏は私に
すこしも手紙を呉れないし、又、訪
ねてもくれなくなつてしまつた。
そこで私は反抗的な熱情をもつて
哲學の本をよみだしたのであるが
なに分にも哲學は深奥無限な問題
ばかりで日々の生活を思ひ、時に
は戀に醉ひ、藝術を貪らねば生き
てゆけない、一箇の人間である私
にとつて、骨を削り、肉をそいで
も、猶ほ、及びがたいもので、そ
れはあつたのである。
◇私は中途で哲學をおつぽり投げ
てしまひたいことが幾度あつたか
知れない。が、そのたびにMK氏
を憶出して、きわどいところで感
情を抑へた。で、こんな風なのだか
ら、私の哲學研究熱はすこしも進
歩するどころか、いつも同じ出發
點上を、あてどなくぶら/″\して
ゐるばかりだつた。
◇そのうちに、とう/\撚りがも
どつて、私は、小說や戯曲や芝居
や活動寫眞やといつた風な、人間
界の藝術に耽溺したり、女の唇
に誘惑されたりする、もとの自分
にかへつてしまつたので、MK氏
にも氣まづくなつて、あの手紙を
最後として氏との交渉は中斷され
てしまつたのである。こんなへん
な、こだわりは、あの震火で、氏の
家のへんは燒けてしまつたことを
知り乍ら、氏の安否をすぐ訪ねな
ければならない筈の私を、今まで、
ぐづ/″\にしてしまつたのである
◇私は灰色に舞ひ立つ砂塵を浴び
ながら、あちこちと、MK氏の家
の燒跡を探しまはつた。そして漸
く、神社の石塀の崩れを見つけて
こゝだなと想像したのである。け
れどもそこには、MK氏の消息を
知るなにものもないのである。私
は何ものにか罪を犯したやうな感
を覺江ながら、淋しくそこを去つ
ていつた。私の足はひとりでに上
野公園の方へ向いていつた。靜か
な秋のひるすぎのこゝの氣持は、
いつもならば、喜ばしいものであ
つた。
◇私は秋になると、よくこの公園
を通りぬけて谷中の墓地へ行つた
ものである。そこにはMK氏の祖父
さんの墓がある。それは殆んど
二十坪もある、廣い墓所に、甘藷
の形の石盤石が、凡そ一丈五尺も
の高さに立てられ、その入口には
かなり大きな鳥居のある、そんな
大きな墓だつた。燒跡に佇んで、
MK氏の消息を知ることが出來
なかつた私は、すぐさま、その墓地
を思ひうかべてゐた。生々しい香
りの高く鼻をうつ燒跡のバラック
建の間を縫ひ乍ら、私は公園へと
ぶら/″\歩るいていつた。
◇秋といつても、今は、もうさわ
やかな秋の大氣に觸れる時とちが
つて、ものゝ哀れをひとしほ胸に
覺江る凋落の頃である。それにこ
んどの災變の哀愁が加はつて、私
は去年こゝを通つたとき、又はそ
の前年歩るいた頃のやうな、秋の
散歩とゆるやかな氣分を持つだけ
の餘祐はなかつた。しかし墓地へ
一歩足をふみ入れると、やはり私
をつゝんでくれたのである。私は
なつかしい、あのMK家の墓所へ
行つて、心から、自分のこぢれた
心持を、おおきな墓石の前にわびた
◇そして私はいつものならはしの
とほりに、そこの枯草の芝生へね
ころんび乍ら、その日買つたばか
りの大杉榮氏の遺稿集をひらいて
みた。しかし、それの頁はアンカツ
トになつてゐるので、つゞけてよ
みふけることは出來なかつた。私
はなにか頁を切るやうなものはあ
るまいかと思つて、手近かの一本
の芝草の葉をぬきとつて、こゝろ
みてみたが、春とはちがつて、こ
んな雜草でさへ、うら枯れる晩秋
である。つまみとつたゞけで、それ
は力なく、うちしほれてしまふの
である。
◇私は何んだか、身のうちにうそ
寒さを覺江ながら、ポケットから
煙草をつまみだして、火をうつし
た。墓守が熊手で、落葉をかきよ
せる音が、さ江ると、いやが上にも
淋しさが心にせまつてくる。どこ
かで芝草を焚く煙が、しづかに、こ
ちらへ這つてくるのをみてゐると
その靑白いやうな草の燒ける香が
なつかしく、又哀しく心をうつの
である。餘りの靜けさにひたつて
ゐた私は、ふと、さつきまで歩る
いてゐた、あの癈墟のやうな街の
有樣を思ひ出してゐた。そして、
「市街が燒野原では、郊外散歩も趣
が半減されてしまふ」と云つた野
瀬市郎の言葉に深く動かされた
のである。冷江び江とした夕闇が
せまつて來た。私はそれに驚ろく
やうに立上つて、もう一度墓石に
頭を垂れてからそこを出ていつた
◇墓地の淋しさにひたつた私は、
そのかへりにきつと、あの高臺に
ある精養軒の藤棚の下のテーブル
へ腰をかけるのが常だつた。その
日もそこを通りかゝると、もう、
飾提灯に火が入つてゐた。私はい
つの間にか、そのテーブルの一つ
に腰をおろしてゐた。そして長い
こと忘れてゐた、そこの珈琲をす
ゝつてゐた。こゝからは樹立にさ
へぎられて、燒けた市街はすこし
も見江ない。私はこんなところで
あの癈墟をみることなしに、なつ
かしい珈琲の香を樂しめるといふ
ことが、思ひがけなかつたし、又、
限りなく喜ばしかつた。
◇そこを出て公園の道を歩るいて
くると、そこにカウボーイの服装
をした少年達が、こんどの日本の
災厄に對して、心から同情をして
くれた諸外國へおくる感謝狀へ署
名をしてくれといふので、私は、
涙ぐましい、感激を覺江乍ら、た
ぢろひもなくそれに署名したので
ある。――十ニ年、十一月稿――
(越後タイムス 大正十二年十一月十一日
第六百二十四號 七面より)
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