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アラ、ナジモア(ナジモヴァ)のサロメ

◇アラ、ナジモアの藝術がどんな

に私達にとつて、驚異に値するも

のであるか――それは多くのムウ

ビイファンの、ひとしく知つてゐ

ることであらう。けれども、どんな

すぐれた役者であつても、彼等の

藝術をほんたうに輝いたものとし

て完成させるためには、たゞ彼一

人の力だけでは、いふまでもなく

不可能である。これは單に映畫の

塲合のみでなく、芝居にもあては

まることである。

◇アラ、ナジモアが、あの燦爛た

る名映畫、「サロメ」をつくつたの

は、その中で名星のやうに美しい、

渾然とした藝術の光をみせてゐる

彼女の力によることは明かである

が、もつと大切なことは、いつも、

彼女の力をほんたうに理解し、力

づけ、伸してゆくところの彼女の

夫、チャーレス、ブライアントの

存在である。

◇チャーレス、ブライアントは、

ナジモアの映畫の監督者としての

第一人に位する人であらう。そし

て若しも、彼のすぐれた監督がな

かつたら、いかにナジモワが、素晴

らしい素質を持つてゐるとしても

恐らく、あれほどまとまつた藝術

をつくりだすことは出來なかつた

であらう。監督としての藝術の深

さはいふまでもなく、彼ら自身の

すぐれた個性によることは明かで

あるが、映畫監督者が、どれだけ、

役者の素質をよく知りつくしてゐ

るか、又はどれだけ役者の持味と

脚本との配合を考察してゐるかと

いふことによつてきめられはしま

いか。

◇これは又、役者達にとつても大

切なことである。何故なれば、一

つの映畫に於ては、監督と役者と

は、殆んど一体なものだからであ

る。たとひ、ある映畫の失敗が、明

かに監督の責任であることが解つ

てゐても、みる人々はその役者に

も失望せずにはゐないからである

◇その一例をあげてみると、「巨巌

の彼方」といふ映畫である。それ

には有名な、ルドルフ、ヴァレン

チノとグロリア、スワンソンとが

主役となつてゐる。この二人のや

うな名優でも脚本と監督とが惡る

いために、彼等の藝術の大部分が

生かされてゐない。この塲合、私

達は、脚色者と監督とに失望する

と共に、あんな映畫のためにその

力を削つた、バレンチノやグロリ

ア、スワンソンに對しても、或る

不愉快さを感ぜずにはゐられない

のである。

◇又こゝに、セシル、ド、ミユの監

督した「人間苦」といふ映畫がある

これなども、ずゐぶん力强い、す

ぐれたシーンが多いのにも係らず

グロリア、スワンソンを女主人公

にしたゝめに、われ/\にはへん

な感じをあたへるのである、こう

いふ風に、アメリカの映畫には、一

種の營業政策から、オール、スタ

ーキャストを濫用しすぎる嫌があ

る(尤もこれは日本の映畫にもあ

てはまることではあるが)ところ

が、ナジモワの映畫には決してそ

れがないのである。それはナジモ

ワ自身の藝術的良心の深さにもよ

るが、彼女の忠實な監督者ブライ

アントに負󠄁ふところも、甚だ多い

のである。

◇オスカアワイルドの戯曲「サロ

メ」は、英國のクラシックものとし

ては、比較的に單純なものであら

う。然し映畫として、あれほどの

エフェクトをだし得たのは、脚色

者の力である。その上に、舞臺裝

置家としてすぐれた才能を示した

バレンチノ氏夫人、ナシターシャ、

ランボヴァの、簡素な、優雅な、

そして、美しい裝置を得たのだか

ら、あの映畫が、いきなり、われ

/\を魅惑していまつたのも不思

議ではないのである。さういふわ

けで、あの傑作「サロメ」をつくり

だしたのは、ナジモワの藝術をめ

ぐる環境が熟したためであると、

私は考へるのである。

◇オスカアワイルドも、彼の「サ

ロメ」が、彼の死後二十三年、あれ

ほど素晴らしい映畫となつて多く

の人々を醉はすものとは、考へて

もみなかつたであらう。藝術家の

夢は永久にのこされ、傳へられる

が、恐らく、ワイルドの夢ほど、

まばゆい美しさを持つた夢はある

まい。それは云ふまでもなく、ナ

ジモワの映畫サロメの力によつて

ゞある。

◇私は、昔、松井須磨子の「サロ

メ」の舞臺演出を二度ばかりみた

が、彼女のはたゞ肉体的豊満さと

息苦しいほどの肉塊のうごめきで

彩られてゐるだけで、ナジモワほ

どの神秘さも、白金線のやうな官

能の繊細さも、表現されてゐなか

つた。しかし、有名なサロメの踊り

の塲面は、ナジモワのは餘りに洗

練されすぎてゐたために、須磨子

の、肉慾的香りの高い、蠱惑的な

表現にくらべて、すこし、もの足り

ないやうな氣がしたが、どういふ

ものだらう。

◇それから「サロメ」を語るのに忘

れてならないことがある。それは、

ヨカナーンになつた役者のうまさ

である。そして、サブタイトルの巧

妙な美しさである、もう一つは、

撮影技術の極致ともいふべき、映

畫の美しさである。

◇ほんたうに映畫のエクスタシイ

を心ゆくまで味はひたいと思ふ人

々に、私は、なにものをおいても

ナジモワの「サロメ」をみることを

すゝめたいものである。「サロメ」

こそは、われ/\がムウビイファ

ンであることの喜びを、心から感

じさせてくれるからである。

       (十二年十一月稿)


(越後タイムス 大正十二年十二月九日 
      第六百二十八號 四面より)



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ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵


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