一 錢 亭 の こ と ど も/迷 生 13 一錢亭文庫 / 菊池 與志夫 2024年1月11日 09:06 本 社 迷 生 一錢亭は長州の一寒村の産であるが、多情多感、才氣從横、趣味廣汎、又極めて能文な一靑年紳士である。彼と相知つたのは、昭和八年彼が初めて、我が王友編輯陣に加はつてからであるが、それから今日まで、彼とは君子の交遊が續いて居るのみならず、よき編輯員として、又滋味豐かな投稿家として、我々同人中の重寳となつてゐるのである。從つてこゝに彼の風貌の一端を紹介して、彼の功績と友情に酬い度いと思ふのである。 一錢亭はもともと彼の俳號であるが、何日の頃よりか、文名にも亂用され、今では彼の本名よりも、この方が通りがよくなつてしまつた。彼が俳號を選ぶに至つた由來は、樺太の凍魚に「君の俳句は先行き望みがある」と御世辭を云はれ、急にいゝ氣になつて付けたものらしい。出典は「一錢を嗤ふものは一錢に泣く」にあることは勿論であるが、この俳名を他人に潜稱されることを惧れて改造社の「俳句日記」に登錄したと云ふのであるから、全くその强氣には呆きれる。一錢亭の俳號に恥じざる名句が出て來るのは、果して何日の日であらうか。 一錢亭は名文家である。最も得意とする随筆は云はずもがな、軟派硬派の文章、旅行記、感想文など、行くとして可ならざるものはない。而も極めて速筆で、一夜にして數千言をなすと告白して居るのであるから、全く驚嘆に値するものがある。これは彼が永年に亘る、多讀修練の結果でもあらうが、幼少の頃義太夫に凝つた老父に三味線の伴奏入りで、名曲「三十三間堂棟木の由來」や「三勝半七酒屋の段」などを聞かされ、自然と文學に興味を持つに至つたものであらう。尤も老翁は彼を一かどの義太夫語りに、仕立てる心組であつたが、音樂の天分を持たない彼は終に亡父の附託に添ふことが出來なかつた譯けである。 一錢亭は藏書家である。有名な文壇人の著書は、片端しから買集めてゐる様である。何日か置場に困つて舊藏の一部を整理するの止むなきに至つた時に、一山五十金と價を付けられ、愛兒に別れる心持で、これを手放したと云ふことである。尤も彼の蒐集癖には條件があつて、少くとも裝幀に雅致のあるもの、紙質の上等なるもの、でなければ購買心を唆らないと云ふのである。この變態心理は純眞な讀書子としては、多分に不純なものであるが、彼の習癖とあれば、また止むを得ないところである。最近洛陽の紙價を高めた「麥と兵隊」でも、内容には充分の關心を持つてゐながら、只管上製が出來上るのを待つてゐると云ふことである。 一錢亭は意氣の人である。極めて感激性に富み、實行力がある。事物に對する感激を實行に移すところに彼の特長がある。何事によらず、賴まれても、賴まれなくても、常に第一線に立つて、活動する彼の姿が屢々目に付く。王友の編纂に當つて終始同人をリードし、原稿の蒐集、配置、校正等に專念するは勿論、講演部、釣魚部の幹事、調度會の世話役等行くところに、彼の活躍の天地がある。然し如斯彼の性情は、獨り私事に於てばかりでなく、公事に於ても全く同樣であつて、仕事に熱中すると、食を忘れ、家を忘れ、子供を忘れ、終に自分をも忘却するに至ると云ふのである。 一錢亭は厚き友情の持主である。先年同僚の某戰死するや、その遺族に對し、長日月に亘り親身も及ばぬ世話をして、我々を感銘せしめたことがあり、又友人の父が死亡した際、惡性の風邪を冒して、火葬場にまで行き、遂に大熱を發して、三日の間床中に呻吟するの止むなきに至つたなぞ、彼の純眞なる友情の發露は、殆んど枚擧に暇がない程である。 一錢亭は廣汎なる趣味人である。彼の趣味は文學、釣魚、寫眞、俳句、庭球、園藝と、殆んど盡きるところを知らない。その内文學と藏書に就ては、既述した通りであるから、釣魚以下の趣味生活に關して書いて見よう。 彼の釣魚は函館在住時代に覺えたものゝ樣であるが、王友倶樂部に釣魚部が出來てからは、幹事として、暇さへあれば、海に川に釣り暮してゐる。彼に云はしむれば、相當の名手だと云つてゐるが、手腕の程は保證の限りでない。然し趣味としての釣魚は、文學、藏書と共に稍ゝ物になつて居る部類であらうが、寫眞、俳句、庭球、園藝等に至つては、僅かにこれを弄んで居る程度で、趣味三昧の境地には、餘程の距離があるやうである。 一錢亭はまた、極めて强盛な精神力を持つて居るが、その半面に於て甚だ贏弱な身體の持主でもある。この二つは相背反する性質のものであるが、これをよく調和して行くところに、一錢亭の身上がらう。激務繁多を極めた後には、必ず目を落ち凹まし、氣息奄々たる彼を見るが、數日を出でずして、颯爽たる彼の英姿に接するのである。この肉體の消耗を須臾にして、恢復せしむる彼の精神力の偉大さには、全く呆れざるを得ない。某先輩健康の落目な日に彼を見て「飄々たること枯すゝきの如く、透徹せるところ五眠の蠶兒を見るが如し」と酷評し、彼に枯芒(枯すゝきの意)なる號を與へたところ、彼忽ち感激して、屢ゝこの稱號を愛用して居ると云ふことである。 要之に一錢亭は齢未だ不惑に遠く多幸なる前途を持つて居るのであるから、よろしく銳才を内に藏し、感激を適度に抑制し、公私に精進すれば、將來の大成は期して待つべきである。たゞ不幸にして天、彼れに頑健なる心身を籍さゞりしを怨とするが、これは彼自ら深く自省し、暴擧を愼み、只管肉心の愛護に務むれば、以て大過なきを得るであらう。(「王友」第十六號 昭和十四年五月廿五日發行より) #王友 #昭和十四年 #旧王子製紙 #俳句 #俳号 #古本 #ブックマニア #装幀 #蔵書 紙の博物館 図書室 所蔵 ダウンロード copy #俳句 #古本 #蔵書 #装幀 #旧王子製紙 #王友 #俳号 #昭和十四年 #ブックマニア 13 この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? サポート