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一 錢 亭 の こ と ど も/迷 生

      本 社  迷   生

 一錢亭は長州の一寒村の産である
が、多情多感、才氣從横、趣味廣汎、
又極めて能文な一靑年紳士である。
彼と相知つたのは、昭和八年彼が初
めて、我が王友編輯陣に加はつてか
らであるが、それから今日まで、彼
とは君子の交遊が續いて居るのみな
らず、よき編輯員として、又滋味豐
かな投稿家として、我々同人中の重
寳となつてゐるのである。從つてこ
ゝに彼の風貌の一端を紹介して、彼
の功績と友情に酬い度いと思ふので
ある。
 一錢亭はもともと彼の俳號である
が、何日の頃よりか、文名にも亂用
され、今では彼の本名よりも、この
方が通りがよくなつてしまつた。彼
が俳號を選ぶに至つた由來は、樺太
の凍魚に「君の俳句は先行き望みが
ある」と御世辭を云はれ、急にいゝ
氣になつて付けたものらしい。出典
は「一錢を嗤ふものは一錢に泣く」
にあることは勿論であるが、この俳
名を他人に潜稱されることを惧れて
改造社の「俳句日記」に登錄したと
云ふのであるから、全くその强氣に
は呆きれる。一錢亭の俳號に恥じざ
る名句が出て來るのは、果して何日
の日であらうか。
 一錢亭は名文家である。最も得意
とする随筆は云はずもがな、軟派硬
派の文章、旅行記、感想文など、行く
として可ならざるものはない。而も
極めて速筆で、一夜にして數千言を
なすと告白して居るのであるから、
全く驚嘆に値するものがある。これ
は彼が永年に亘る、多讀修練の結果
でもあらうが、幼少の頃義太夫に凝
つた老父に三味線の伴奏入りで、
名曲「三十三間堂棟木の由來」や「三
勝半七酒屋の段」などを聞かされ、
自然と文學に興味を持つに至つたも
のであらう。尤も老翁は彼を一かど
の義太夫語りに、仕立てる心組であ
つたが、音樂の天分を持たない彼は
終に亡父の附託に添ふことが出來な
かつた譯けである。
 一錢亭は藏書家である。有名な文
壇人の著書は、片端しから買集めて
ゐる様である。何日か置場に困つて
舊藏の一部を整理するの止むなきに
至つた時に、一山五十金と價を付け
られ、愛兒に別れる心持で、これを
手放したと云ふことである。尤も彼
の蒐集癖には條件があつて、少くと
も裝幀に雅致のあるもの、紙質の上
等なるもの、でなければ購買心を唆
らないと云ふのである。この變態心
理は純眞な讀書子としては、多分に
不純なものであるが、彼の習癖とあ
れば、また止むを得ないところであ
る。最近洛陽の紙價を高めた「麥と
兵隊」でも、内容には充分の關心を
持つてゐながら、只管上製が出來上
るのを待つてゐると云ふことであ
る。
 一錢亭は意氣の人である。極めて
感激性に富み、實行力がある。事物
に對する感激を實行に移すところに
彼の特長がある。何事によらず、賴
まれても、賴まれなくても、常に第
一線に立つて、活動する彼の姿が屢
々目に付く。王友の編纂に當つて終
始同人をリードし、原稿の蒐集、配
置、校正等に專念するは勿論、講演
部、釣魚部の幹事、調度會の世話役
等行くところに、彼の活躍の天地が
ある。然し如斯彼の性情は、獨り私
事に於てばかりでなく、公事に於て
も全く同樣であつて、仕事に熱中す
ると、食を忘れ、家を忘れ、子供を
忘れ、終に自分をも忘却するに至る
と云ふのである。
 一錢亭は厚き友情の持主である。
先年同僚の某戰死するや、その遺族
に對し、長日月に亘り親身も及ばぬ
世話をして、我々を感銘せしめたこ
とがあり、又友人の父が死亡した際、
惡性の風邪を冒して、火葬場にまで
行き、遂に大熱を發して、三日の間
床中に呻吟するの止むなきに至つた
なぞ、彼の純眞なる友情の發露は、
殆んど枚擧に暇がない程である。
 一錢亭は廣汎なる趣味人である。
彼の趣味は文學、釣魚、寫眞、俳句、
庭球、園藝と、殆んど盡きるところ
を知らない。その内文學と藏書に就
ては、既述した通りであるから、釣
魚以下の趣味生活に關して書いて見
よう。
 彼の釣魚は函館在住時代に覺えた
ものゝ樣であるが、王友倶樂部に釣
魚部が出來てからは、幹事として、
暇さへあれば、海に川に釣り暮して
ゐる。彼に云はしむれば、相當の名
手だと云つてゐるが、手腕の程は保
證の限りでない。然し趣味としての
釣魚は、文學、藏書と共に稍ゝ物に
なつて居る部類であらうが、寫眞、
俳句、庭球、園藝等に至つては、僅
かにこれを弄んで居る程度で、趣味
三昧の境地には、餘程の距離がある
やうである。
 一錢亭はまた、極めて强盛な精神
力を持つて居るが、その半面に於て
甚だ贏弱な身體の持主でもある。こ
の二つは相背反する性質のものであ
るが、これをよく調和して行くとこ
ろに、一錢亭の身上がらう。激務繁
多を極めた後には、必ず目を落ち凹
まし、氣息奄々たる彼を見るが、數
日を出でずして、颯爽たる彼の英姿
に接するのである。この肉體の消耗
を須臾にして、恢復せしむる彼の精
神力の偉大さには、全く呆れざるを
得ない。某先輩健康の落目な日に彼
を見て「飄々たること枯すゝきの如
く、透徹せるところ五眠の蠶兒を見
るが如し」と酷評し、彼に枯芒(枯
すゝきの意)なる號を與へたところ、
彼忽ち感激して、屢ゝこの稱號を愛
用して居ると云ふことである。
 要之に一錢亭は齢未だ不惑に遠く
多幸なる前途を持つて居るのである
から、よろしく銳才を内に藏し、感
激を適度に抑制し、公私に精進すれ
ば、將來の大成は期して待つべきで
ある。たゞ不幸にして天、彼れに頑
健なる心身を籍さゞりしを怨とす
るが、これは彼自ら深く自省し、暴
擧を愼み、只管肉心の愛護に務むれ
ば、以て大過なきを得るであらう。

(「王友」第十六號 昭和十四年五月廿五日發行より)



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           紙の博物館 図書室 所蔵


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