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「そもそも論」で生きていく

もう15年くらい前の話です。当時、携帯電話の新規参入の仕事をしていました。簡単に想像できることだと思いますが、携帯電話の電波って、結構な利権でした。

総務省は11月9日、携帯電話事業の新規参入に関して、ソフトバンクグループのBBモバイル、イー・アクセス子会社のイー・モバイルアイピーモバイルの3社を認可すると発表した。3社は2006年から2007年にかけてサービスを始める計画だ。
※CNET Japan「携帯電話の新規参入、3社に許可--2006年にも新サービスが登場へ」2005年11月9日より引用

このアイピーモバイルというのが、当時、私が携わっていた会社です。

今でこそ、MVNOなんてものがあり、いわゆる「格安SIM」を提供する事業者もたくさんありますが、当時、まだそんなものがなかったので、「参入がとても難しい=電波が巨大な利権になる」という時代でした。

アイピーモバイルという会社は、巨大な企業グループがついているわけでもなかったので、超弱小ベンチャーが、何故、電波取れるんだ?みたいな感じでした。

そして、そこでは大変貴重な体験をさせてもらいました。

ひとつが歴史に関すること

そんな巨大利権が渦巻くところに身を投じて、電波を取れてしまったので、なかなか普通にはお会いできないような方々とも、お話しする機会をたくさんいただきました。

そのなかの一つが、自称「超右翼」という方です。ここでは名前を伏せますが、ざっくり言うと、歴代の総理大臣が就任したときに、必ずご挨拶にいくような「超大物右翼」のお弟子さんとのことでした。

まぁ、世迷言だと思って、聞いていただければと思います。

ある時、その方と日本という国の話になりました。「超右翼」ですから、それはもう、話し甲斐があります。

そこでこちら側から、ポロリと「明治天皇、すり替えたじゃないですか」と言ったところ・・・
※「明治天皇」云々の話は、こちら

バカ野郎!足利尊氏の方が逆賊じゃ!!!

(・д・)ぇ?

普通、ここで固まるでしょ?


幕末・明治の話をしていたのに、いきなり鎌倉末期・室町時代の話に飛ぶんですよ?こうなると、もうどうしようもないです。

そうですかぁ・・・。

ひとつ思ったのは、「あー、それはやはり本当なのだなぁ」ということ。

何言ってんだ?!そんなことあるわけねぇじゃねーか!

そういう答えが返ってきてもおかしくない話です。けど、そうではなかったのです。

日本の「本当の右翼」というのは、天皇をすり替えてまで国を守った人たちだったのだということが、私にとってのひとつの確信になりました。そして、右翼が右翼である理由は、ただ「日本=天皇を愛している」などという単純な話ではなく、自分たちの据えた天皇を、国民が敬ってくれた方が都合がいいという事情があるのだと思いました。

このことは、幕末から明治にかけて盛んになった「南朝正統論」とも符合します。

要するに、足利氏の室町幕府以降、実質的な力があったとされる朝廷は北朝だったにもかかわらず、明治になってから南朝が正統だという議論になったのは、南朝の天皇にすり替えたからだと推測できるわけです。

彼らからすると、南朝が正統であり、その南朝(後醍醐天皇)を裏切った足利尊氏こそが逆賊だ!ということなのでしょう。

こんな話になってしまったら、どう議論を続けていいのか、もうわけが分かりません。「そうですかぁ」しかないです。

けれども、今の私ならちょっと違うと思います。
※当時の私は、日本の古代史とかよく分かっていませんでした。

そもそも論」でいきましょう。

誰が逆賊か?」という話をするのであれば、そもそも蘇我氏を討った中大兄皇子や中臣鎌足の方が、逆賊かもしれません。

大化の改新などと、仰々しい呼ばれ方をしていますが、その実、当時の天皇(もしくは皇族)を亡き者にして、歴史書を燃やして事実を隠蔽し、権力を奪取しただけかもしれないわけです。

幕末・明治でおかしなことがあった」から、「鎌倉末期・室町時代におかしなことがあった」という論理展開をするのならば、そもそも飛鳥時代におかしなことがあった」というところまで議論を遡りましょうということです。

そこまでの議論をして、「じゃぁ、正義って何?」って話です。そして、このように考えていくと、「そもそも論」って大事だなぁと思うのです。

日本という国を考えるにあたり、明治の話をしていたのに、室町幕府の話になり、室町幕府の話をするのなら、そもそも飛鳥時代に何があったのさ?という「そもそも論」です。

今でも保守や右翼と呼ばれる方々がいますが、彼らが重視する日本や天皇についても、「そもそも日本とはどういう国か?」、「そもそも天皇の正統性はあるのか?」という議論も大切だと思います。


そして、このように考えたら、「そもそも論」に戻ってみようというのは、すべてのことに通じるのではないかと思うのです。

金儲け?大事だけど、そもそもなんでお金が必要なの?
政治?政治って、そもそも何のためにあるの?
物質?物質って、そもそもどうやってできているの?
?命は大事だけど、そもそも私たちは何のために生きているの?
宇宙?難しいことだけど、そもそも宇宙ってどうやって出来上がったの?

ぜーんぶ、そうやって「そもそも論」で考えることは、そのテーマについての源流を突き止めることになります。そして、その源流の議論が整理できてしまえば、そこから下流の話は、ある意味、枝葉のような議論にもなりえます。

枝葉のような議論はどうでもいい、ということではありません。

ただ少なくとも、「そもそも論」が整理されていたら、枝葉のような議論に振り回されることはないと思うのです。枝葉のような議論でややこしくなったら、源流の議論をしましょうよということです。

note上で、私が日本の古代史や、宇宙や精神世界のことを取り上げるのは、そうした物事の源流にある「そもそも論」を整理したいからなのです。「そもそも論」を整理して、その上にいろいろと積み上げていくと、ややこしい議論にも振り回されず、スッキリするような気がします。



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