「救う」から「見届ける」へ
大変お世話になった先生から、久しぶりにメールをいただきました。大学では、大変な功績を残されている先生で、その道では大家といえるほどの専門家です。
最近、コロナを患われたようで、長らく自宅療養を強いられ、大変、陰鬱とした状態とのことでした。ワクチンも打っていて、自宅で「密」を避けた生活をしているのに、「何故、自分が感染するのか?」という思いだそうです。
いろいろと思うことはあるものの、なかなかかける言葉が見当たりません。
私が送ることができるメッセージは、これが精一杯でした。もし、このメッセージをみて、何かを調べたり、新しい事実を発見するようなことがあれば、まだ何か手があるかもしれないと思いました。
けれども、それは叶わなかったようです。その後、先生からいただいた返信には、ワクチンやMSDの経口薬を信じている旨の内容が書いてありました。
おそらく、私から先生にお送りできるメッセージは、ここまでになると思います。もう既にワクチンを打ってしまっていますし、情報を入れればいいというものでもない段階まで来てしまっています。ここから先は、ご本人が望むようにされる方がいいのでしょう。
最近、身の周りでも、お葬式が多いという話を聞くようになりました。やはり何かが起きている?
いや、そんなことはないという人もいます。
さぁ、どうなんでしょう。
葬儀場は知りませんが、確実に救急車の数は増えました。街中でみる救急車の数は異常です。
また統計上、死亡者数が増えたことも確認されています。
まぁ、あまりツッコんで言及するつもりもありません。どちらにしても大変な時代に突入していると思います。
先生とは視点が違うかもしれませんが、いろんな意味で、陰鬱になる気持ちは分かります。メチャメチャな世界です。
分断といいますか・・・二極化が始まっています。
この記事で、「それぞれ別々の道をいきましょう」と書きました。今、時間が経つにつれて、いよいよその「別れた道」を実感するようになってきました。
一年前だったら、まだまだいろんな可能性がありました。話をすれば、いかようにでもなりそうな人たちが、たくさんいたと思います。「救う」などと言ったら、「おこがましいことをするな」と叱られるかもしれませんが、当時は、実際にそうやって何人かの人々に対して、注射を思い留ませることもできました。
しかし、今やそういうフェーズを過ぎたことを実感しています。
これから先は、それぞれの選択に対して、徐々に結果が出てくることになるのでしょう。正しさで、モノを言いたくはありません。それぞれの選択なのですから、それぞれの正しさがあってよいと思います。
ただ少なくとも、私は私自身の選択に対して、自信を持って「正しい判断をした」と言い切ります。
そして、次のフェーズでは、私たちがすべきことは、違う道に進もうとする人たちを「救うこと」ではなく、既に違う道に進んだ人たちを「見届けること」なのではないかと感じています。
それはそれで、大変なことになるような気がしています。しかし、動揺している暇もありません。次から次へと、いろんな深刻な問題が押し寄せてきています。
次のステージ、もう始まっています。
立ち止まっている暇はないのです。
久しぶりに実家に戻りました。テレビがついていました。私が抱いている危機感や、世界・社会が孕んでいる問題の深刻性は、微塵も感じません。能天気そのものです。
さぁ、どっちにいく???
そんなの決まってるでしょ?いきますよっ!
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