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神様ですけど何か?

あー、ごめんなさい。変なタイトルです。

こんなタイトルで始まる記事、我ながらヤバいと思います。イッちゃってます。けど割と真面目に書きます。ちょっとだけお付き合いください。

まず大前提として考えておきたいのは、この世界は、あなたが見る・観測ことで成り立っているということです。これはただの妄想ではなく、超ミクロの世界では、科学的な観点からもそうだとされています。

それを引き延ばして考えてみれば、この世界自体が、あなたが見る・観察することで成り立っていると言えるわけです。

量子論からの積み上げで、この世界を解釈すると、私たちは「ゆらぐ世界」のなかで生きている。それはただゆらいでいるわけではなく、「見る」ことによって固定化(粒子化)した世界に生きているとも言えるわけです。
※「この世界のはなし(1)~ゆらぐ世界~」より引用

「この世界は、あなたが見ることで決まる」と考えたら、「そりゃもう、あなたが神様でしょ?」ということです。乱暴な議論?いや、割とそんなものではないかなと思うのです。

ところで、「私、神様です」というのは、「私にひれ伏せ!」とか、そういう意味ではありません(笑)。これは、「自分限定」の話です。他の人がどう思うとかは、関係ありません。私が勝手に「私、神様です」と言うだけです。

他の人たちも同じように、それぞれが「私、神様です」と思えば、それはそれで成立すると思います。そういう意味で、本来、世の中は神様だらけになりうると考えます。

要は、自分自身が「私、神様です」と言えるかどうかだけの問題です。自分で「私、神様です」と言ってしまった者勝ちなのです。それだけで、人は神様にもなれると思います。

ただし、自分が「神様」だと思うには、ちょっとした条件があると考えます。

1.高いプライド

当たり前ですけど、神様なんですから、ものすごく高いプライドを持っていいと思います。ただし、もちろんこれは威張り散らすとか、そういうものとは全くの別物です。その高いプライドを裏付けるだけ、自分を律することもできているのだと思います。高いプライドというのは、それだけ自分自身のことを認めるということです。外に出すものではありません。威張り散らすなど、もってのほかです。自分で自分を認めているわけですから、他人から悪口を言われようが、罵られようがへっちゃらです。他人が何と言おうと、そんなものでは崩れないプライドです。そして、それがゆえに余裕も生まれるというものです。

2.他者への敬意

自分に余裕がもてるので、他者に対しても、深い敬意や感謝を示すことができます。それは、自分の内なるところから湧き出るはずです。そこに、妬みや嫉妬はなく、それぞれが違う存在です。その他者も「私、神様です」というのであれば、自分とは異なる尊い神様として認めることもできるでしょう。たくさんの神様は、それぞれが高いプライドをもち、互いに尊重しあえる世界を作っていくことになるはずです。

3.「この宇宙」への慈愛

神様は、「この宇宙」を創造しているとも言えます。いわば、「この宇宙」は、自分の作品です。したがって、神様であれば、「この宇宙」に対して自ずと慈愛や愛着を感じるはずです。しかも、神様としての慈愛です。ものすごく大きく、深い慈愛であることは間違いありません。前項の「他者への敬意」にある「他者」とは、「この宇宙」の一部でもあります。したがって、その「他者」に対しても、深い慈愛をもって接することになるということです。

心の底から、「私、神様です」と言える人は、きっとこうした条件を備えている人だと思います。難しいように思うかもしれませんが、ものは考えようです。自分だけの問題なので、考え方によっては、いかようにでもなる問題とも言えます。

ちなみに、私、変な宗教始めたいわけではないので、そこは誤解しないでください。こういう話をすると、「宗教ですか?」と言われそうですが、宗教ではないです。

つまり、仮に探求すべき「真理」があるとしたら、そこに向かうためには、科学と宗教は相互補完関係であるべきであり、私たちは両方をうまく使いこなさないといけないということです。
※「科学と宗教の相互補完」より引用

これからの時代、科学的思考と宗教的アプローチ両方が必要だと思うので、こういうテーマを取り上げてみました。

他の記事でも書いていますが、「唯物論」や「唯物史観」で成り立っているような共産主義グローバリズムには、負けていられません。

私には、特定の宗教があるわけでもありません。基本的には無宗教です。しかし、生命の考え方については、「唯物論者」や「無神論者」の人々とは相容れませんし、彼らの思想に支配されることもないと思っています。逆の言い方をすれば、彼らがあまりにも強欲で、横暴な振る舞いをしていたら、「でっかい生命体」からのしっぺ返しがあるかもしれないという気すらしています。天罰というやつです。
繰り返しですが、宗教ではないので、「信じる者は救われる」などと言うつもりはありませんし、そんな単純な話でもないと思います。ただ、なんかこう・・・負ける気がしないのです。
※「生命とは何かを考える」より引用

選ばれし者」なんて言葉があります。ああいう言葉もあっていいとは思います。しかし、アレは誰かに選ばれるようなものではないと思っています。

きっと「選ばれし者」というのは、どこかに神様みたいな存在がいて、その存在に選んでもらうようなものではありません

簡単です。「自分で自分を選べるか?」というだけのことです。

おかしな連中が、「自分たちこそが『選ばれし者』」だと思っているとしたら、「それは違うぞ」とツッコんでやりたくなります。

要は、自分が「私、神様です」と言えるくらい、自分自身や「この宇宙」のことを受け入れられるかという問題なのだと思うのです。全員にチャンスはあります。

君が願うことなら、すべてが現実になるだろう。
選ばれし者ならば♪

きっとそんなもんです。そんな感じで、楽しんでいきましょー

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