奴隷みたいになるなよー
以前、とある事務所でお仕事をさせていただいていた時、契約更新の話がありました。私自身、他のお仕事も始めたので、契約条件を少し変えないといけないということで、条件のすり合わせをしていました。
先方はビックリして、「え?そんな短時間だと、高すぎちゃってダメですよ」と言われてしまいました。
それを聞いた私も、逆にビックリしてしまい、「え?そうやって短時間で仕上げるから、価値があるんですけど・・・」と返したいところをグッとこらえました。
まるで話が嚙み合わないため、そのお仕事は、結局お受けしませんでした。
仕事の価値というものは、提供する「時間」にあるわけではなく、成した仕事そのものにあると思っています。場合によっては、他の人がやったら、こじらせてしまうような仕事を一瞬で片付けてしまうからこそ、価値があるわけです。それを時間換算されてしまったら、まったく仕事になりません。
だから、それを評価いただけない方のお仕事は、お受けするわけにはいきませんでした。
こういうことは、意外と大事だと思っています。「仕事=拘束」みたいなのは困るのです。
そういう組織・顧客を相手にしてしまうと、拘束されること自体が仕事となり、自分の大事な時間が奪われるだけでなく、つまらない人生になっていってしまいます。しかも、そういうのはスパイラル効果で酷くなっていくので、注意が必要です。
横道に逸れまくっているよしりん先生のお話(笑)、雑談も楽しみながら、ちょっとご覧いただいたらいいと思います。
よしりん先生がおっしゃっていることのなかで、大切なのは「仕事」と「労働」は違うということです。
ややこしいことは抜きにして、端的に言ってしまえば、「仕事」なんてものは、会社や組織での「労働」を指しているわけではないよ?ということです。
まずは自分自身が、この違いを理解して、自分の「仕事」とは何かをあきらかにできなければ、会社や組織のために「労働」するだけの人間になってしまいます。もしそうなってしまったら、奴隷と大差ありません。
この話、大げさといえば、大げさかもしれません。
しかし、大資本家のような立場の人たちからしたら、今のように労働者を使う仕組みは、昔の奴隷制度と大差ない可能性があります。
こんな仕組みから抜け出すためには、まずは自分の「仕事」を理解するということです。自分の「仕事」が何かを知らない人が、「仕事≠労働」をはっきりと理解することはできません。
そのために重要なのは、例えば、自分は何のために生きているか?という問いです。
「いきなりそこ?」と思われるかもしれません。しかし、逆です。それこそが重要です。
お金持ちになりたいというのを目標にする生き方はあります。しかし、仮にそうだとすると、あなたが大資本家の仲間入りでもしない限り、あなたは彼らの下で「良い奴隷」、「優秀な奴隷」となって生きるだけかもしれません。所詮、そういう序列でしかないと思います。
そうではなく、「自分を含めたみんなのための幸せ」のために生きるというのであれば、「仕事」とは、そのために行うものすべてになりえます。
生きるための目的を明確に持っている人にとって、そのために行うすべて、一挙手一投足は、丸ごと「仕事」になりうるわけです。
このとき、お金はその目的を達成するためのツールでしかありません。そして「労働」は、そのお金を得るためのものであり、いわば「ツールのためのツール」でしかないのです。
そう考えると、「労働」などというものは、人生全体を構成する「仕事」の一部にしか過ぎないわけです。
記事の冒頭に紹介した事務所は、私に対して、そういう「仕事」を求めていたのではなく、一定時間の拘束を前提にした「労働」を求めていたということになります。そういうのは困るのです。
「労働」を否定するわけではありません。「労働」も「仕事」の一部として、考えればいいと思います。ただし、あくまでも「仕事」の一部なんだし、そんな「一部にすぎないもの」に振り回されるわけにはいきません。
「そんなんで擦り切れてちゃいかんぞー!」ということです。
私もよしりん先生と同じように「寝るのも仕事」だと思っています。ただ、よしりん先生のように、寝ている間も考えるとか、夢の中で整理するといったようなものではありません。
人間、きちんと休養できなかったら、良い仕事なんてできません。しっかりと休んでいるからこそ、頭がハッキリするのであり、よいアイディアだって生まれるのです。
休むことによって、仕事のアウトプットの質が向上するのですから、そのためにはきちんと寝ることが重要です。だから、「寝るのも(大切な)仕事」なのです。
「休むなんて、怠けてる!」なんて思うのは、「労働」だけの観点から考えたときのことです。
休むのだって「仕事」なのです。
ついでに言えば、遊ぶのだって「仕事」です。楽しむのだって「仕事」です。何故なら、それらを通じて、人生の目的や「仕事」の大切さを強く感じることができるからです。
そういう意味では、人生丸ごと「仕事」とも言えます。
どうも奴隷のような働き方をしている人は、人生の見方が近視眼的になって、周りが見えていないような気がしてなりません。そのまま突っ走っていくと、奴隷を通り越して、家畜にでもされてしまうのではないかという余計な心配すらしてしまします。
悪いことは言いません。奴隷みたいな働き方は止めた方がいいです。
人生全体を見渡しつつ、仕事しましょ、仕事!!!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?