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何を大切にして生きるの?

お風呂のお湯、入浴時にはまんべんなく温かいですが、放っておくと翌日には上には「温かいお湯」下には「冷たい水」が集まったりしています。お風呂の水の二極化・・・。

これからの世の中、世界はそんな風になっていくような気がしてなりません。右翼と左翼、保守とリベラル、ナショナリズムとグローバリズムみたいな言い方があります。正直、そんな用語はどうでもいいと思っています。

ただ、これからの世界はどんどん二極化していくことは間違いないと思うのです。今の身近の例でいえば、「ワクチンを打つ人」と「ワクチンを打たない人」で分かれてしまいます。理由はそれぞれですし、価値観は多様です。しかし、ワクチンに関わる価値観はどうでもいい話ではなく、命にかかわるくらい重要な意思決定になります。そこには世界観や人生観が投影されています。そんな重要な価値観が反映されるワクチン接種について、「打つ、打たない」の二択が迫られるわけです。価値観が二極化しないわけがありません。

ところで、ここでいう二極化とは、具体的にはどのようなものを指すのでしょうか。ひとつの例として、危機パトさんが、非常に興味深い話をされていたので、ご紹介させていただきます。


我々がどちらにつくかは自身の利益で判断するべきである。国益を重視して国民が潤うやり方を採用したいならナショナリズム派を支持すればいいし、そうではなくグローバリズムと組んで商売をし利益搾取し、関係ない人間は貧困にさせるやり方を採用したいならDSを支持すればいいだけの話である。人様に迷惑をかけるので、この場合猛烈な批判は覚悟するべきだ。批判するなは絶対通らないのである。

危機パトさん的な言い方をすれば、あなたは次のうち、どちらの生き方をしますか?ということです。

1.国民全体、みんなが潤うような価値観を大事にして生きていきたい。
2.他人を蹴落としてでも、お金持ちと手を組んでリッチになりたい。

ものすごくざっくりですが、これから進んでいくであろう二極化とは、この二つの価値観によるものです。どちらが正しいということはありません。それぞれが自分の人生をどちらに賭けたいか、ということなのだと思います。

ちなみに、私は断然「1」です。お金があるに越したことはありません。しかし、他人を不幸に陥れてまでお金持ちになりたいとは思わないし、できればみんなで幸せに暮らせる世界であってほしいと願っています。以下の記事でいうならば「ナショナリズム」という方です。

逆に「2」の場合、危機パトさんも言っていますが、「猛烈な批判は覚悟するべき」でしょう。最近の例で、最もわかりやすいのが、ジェノサイドの指摘もあるウイグル問題を尻目に、金儲けに勤しんでいるユニクロでしょうか。

ユニクロの柳井氏は大変な批判を浴びていますが、その代わりにお金儲けはさせてもらえます。これはこれで彼の信念なのでしょう。「2」の人として、批判覚悟で生き様を通しているのだと思います。

さて、二極化していくなかで、一番厄介なのが、「1」でも「2」でもなく、何となく「ふらふらしている人」です。何故ならば、「ふらふらしている人」は、「2」の人々の財力に釣られて、利用されてしまうからです。そうなってしまうと、「2」の戦力として動いて「1」の人を邪魔します。

きちんと「2」であることを選んで、「1」の妨害をするのなら理解できます。しかし、ただ利用された「ふらふらしている人」は、「1」を妨害しておいて、あとで利用価値がなくなったら「2」にも切り捨てられる人々です。お金持ちたちから、ご褒美の分け前なんてもらえません。なので、敢えて言いたいのです。

「ふらふらしてる人、分かってる?あとで切り捨てられるんだよ?」

ワクチンで安心!SDGsが大事!差別反対!民営化万歳!自由化歓迎!・・・これらの耳障りの良い言葉は、「1」を駆逐するため「2」が「ふらふらしている人」を利用しようとしているものです。

そんなことも知らず、「2」のお金持ちたちに利用されるようなかたちで、中途半端な「2」になってほしくないのです。もしどうしても「2」でやるというなら、トコトン金持ちになっていただきたいです。そして、トップまで登り詰めてもらいたいと思います。そうすれば、切り捨てられることもないでしょう。

そしてその代わり、その時は私が全力で相手します(あ、実際そんな力ないですが・・・)。でも、相手にとって不足なしです。私は「1」で生き抜きます

まだもう少し時間があると思います。急速に進んでいく二極化の中、ひとりひとりがどのように生きるのか、何を大切にして生きたいのか、よくよく考えていただきたいと思うのです。中途半端はやめましょう

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