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「情報統制」のかたちは変化する

本当にバカなことを言っているだけならば、放っておけばいいはずです。

仮に、本当にそれが「バカなこと」だったら、いずれそれがはっきりして、「あいつはバカなことをいうやつ」でおしまいです。そんな人は、いずれ誰からも信用されなくなり、そんな「バカなこと」を言うやつは、いなくなるでしょう。

それを敢えて封じ込むというのは、当然、理由があると考えなければなりません。

最近、仕事上の相談を受けるなかで、「オープンディスカッション」という言葉で助言をしたところ、それがものすごく腑に落ちたらしく、それを実践している方がいらっしゃいます。「オープンディスカッション」とは、先日の記事でも取り上げた「開かれた議論」というやつです。

「開かれた議論」とは、お互いの顔が見えていて、何をしゃべっているのかが、すべてみんなに見える状態での議論です。こうなっていると、なかなか変なことは言えません反論が怖いので、適当なことは言えなくなります

「「正しさ」が金で買える時代だけど」より引用

みんながみえるところで議論をするというのは、非常に大切なことです。

極めて低レベルな話ではありますが、仕事で受ける相談で、ほとんどの核心を占めるのが、情報をコントロールしている人に悩まされているというものです。

  • 「●●さんには、私の方から伝えておくよ」と言っておきながら、違うことを吹き込む

  • 担当者が知らないところで、関係者との話を詰めてしまい、担当者を無力化する。

  • 責任者でもないのに、責任者であるかの如く振舞って、情報を吸い上げて、本当の責任者よりも優位に立って責任者を責める

書いていくとキリがありません。しかし現実問題として、こういう情報の出し入れをうまくやって、常に自分が正しく、相手が間違っているかのような印象操作をする人が多く、そういう人によって、業務がメチャクチャに荒らされているというケースが非常に多いのです。結果(関係者に叱られたり、手戻りの仕事が増えたり)、いつまで経っても仕事が片付かず、業務に忙殺されるということが多々あるわけです。

つまり、そうした超多忙な業務を解決するためのカギは、「仕事を早くこなす」とか、「優れたシステムを導入する」とかではなく、単純に情報共有をすればいいだけのことだったりするわけです。

詳細は、こちらの記事にまとめた通りです。

仕組みとして、オープンディスカッションができるようになっていれば、時間の経過とともに、自ずと嘘を言う人が排除され、本当のことを言う人が信用されていくことになります。したがって、難しいシステムなんて要らないのです。

みんなの前で議論しようぜ」だけです。いたって簡単です。

これは、社会も同じことです。

しかし今、起こっていることは、オープンディスカッションをさせないような動きです。YoutubeをはじめとしたITプラットフォームでは、相当、情報統制がキツくなってきています。

今日、情報統制の対象として顕著なのは、ワクチンやウクライナ関係のものです。このnote上でも、そうしたワードが入っている記事には、自動的に但し書きが出ているかと思います。それらは、その時点で「そのテーマについては事実を隠したい(オープンディスカッションさせたくない)」という人たちが存在するということなのだろうということです。

そんななか、ちょっと不思議な動画がありました。

何やら、ただ事ではない雰囲気の意味深なサムネイルです。「一体、どんなとんでもないことが話されているのだろう?」と思って開いてみたら・・・割と私たち日本人にとっては、当たり前のことでした(笑)。

この動画中、ひとつのキーワードとして挙げられるのが、ソフトパワーです。それは例えば、日本が誇るアニメーションのことだったりするわけですが、それを単なる「金儲けの道具」として捉えられてしまっては、真の意味でソフトパワーにはならないということです。

私なりの解釈として、真の意味でのソフトパワーとは、(アニメーションなど)その作品に宿る魂や思想・哲学のような部分にあるということだろうと思います。動画の中で語られている例で言えば、川(自然)が神様だとか、道具にも魂が宿るとか、そういう価値観自体がソフトパワーだということです。

で・・・そんなことを話すことで、動画が削除される???

一応、この動画自体は消されていないので、これ自体はセーフだったということではありますが、話のテーマとして、このあたりが削除対象になるというのは、なかなかに興味深いところです。

そのことは、こちらの記事でも紹介した、グラハム・ハンコック氏によるTEDトーク「意識における戦争」が、検閲対象になったことを彷彿させます。

今、情報統制の対象となっているのは、ワクチンやウクライナ情勢といった、個別具体的な社会事象に関するものが主になっているかと思います。

しかし今後、それら情報統制の対象は、徐々に抽象度が上がってくる可能性があります。つまり、唯物史観や唯物主義などへの疑問、現代科学や世界的宗教の限界に対する指摘、宇宙観や死生観への提言など、人生や価値観における根本部分について、情報統制がかけられるかもしれないという可能性です。

そうなってくると、それはそれで面白いことになってきそうです。隠したいこと、そこになってきました(笑)?

ワクチンの話は大切です。ウクライナの事も大事だと思います。これから起こるかもしれないグレート・リセットってどうなの?とか、考え始めたらキリがありません

でも、そういう個別具体的なところではなく、「彼ら」との駆け引きは、もっと根本のところでやっていかないといけないかもしれません。

世界は、どんどんと動いています。情報統制のかたちも変わってきます。そんななか、目の前にみえているところではなく、ちょっと違うところに目を向けた方がいいかもしれませんね?というお話でした。


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