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英語初心者がたった1年でJリーグの英語通訳になるまで。

「その英語力で留学しにきた勇気凄い!」

って褒めるために言われた言葉でめちゃくちゃ焦った。

2017年4月、19歳の時。
大学入学1年後に辞める覚悟を持って1年間のニューヨークに行った最初の月に言われたセリフ。

そう。僕はほんまに英語ができんかった。

高校はサッカーに没頭。定期テストでは毎回「追試何個あった?」って話題の中心メンバーの1人。正直高校の時はそれが悔しいとも思ってなかったと思う。だってサッカーさえできたらそれで良かったというか、勉強することが嫌いだった。。。

今日、このnoteでこんな僕が英語学習をスタートさせてから日本1のサッカークラブの英語通訳になるところまでのストーリーを書いていこうと思う。

学生時代

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学生時代はずっとサッカーしてた。小2で初めてからは本気でプロサッカー選手になろうと夢見てたし、なんなら今でもなりたい。笑

まぁ今回は英語通訳になるまでのストーリーについて書いていこうと思うからサッカーに対しての大きな思いはちょっと抑えておく。

学生時代、中学まではしっかり勉強してた。ずっと活発で運動が大好きだったけど、テストの時はテスト勉強をしっかりやったりとかして学校の成績も結構良かった方だった。

ちなみに中学の時に所属してたサッカーのクラブチームは監督に学校の学業成績を提出しなきゃいけないシステムだったからそれもあって必死に頑張ってた。笑

そうこうしてると中学も終わりに近づいてどの高校に入るかを決める時期が近ずいてた。色々悩みながらも、サッカー推薦で高校に入ることになった。

それからは自分なりには頑張って勉強もしてるつもりだったんだけど実際の成績はもう最悪。英語に関して言えば、成績に応じてAクラスとBクラスに分けられるんだけど僕はBクラスの下から2日3番目だったりした。追試にギリなるかならないか。そんなところだった。

そして高校も終わりが近づいて大学を選択する時期がきた。関西の大学のサッカーチームで僕に興味を持ってくれてるところがあった。そこにサッカーで行くって選択肢ももちろんあった。

でも僕は東京に行きたかった。すげー田舎もんだったから。日本一の都市に行ってそこで新しい発見をして僕自身がどんどん変化していくのを感じたかった。そして留学して世界を知りたかった。だからサッカーをやめる決断をして東京の大学にいくことにした。

最初は推薦枠かなんかを使って受験に挑戦したんだけどそれは落ちた。

そして初めて模試を受けたんだけど、200点満点の英語のテストを本気で受けて30点とかだった気がする。ほんまにやばいって思ったし今思い出してもあの時は半端じゃない不安に襲われたなぁって。

そこから毎日部活と勉強を頑張って、なんとかセンター試験で100点ちょいとって東京に行くことができた。これでもめちゃくちゃ低いんだけど、3教科だけで受けられてギリ受かりそうなところに本当にギリギリ入れたって感じだった。

ネットとか見たらFランクの大学って言われてたけど、僕はまず東京に行けることが幸せだったから何も感じんかった。笑

大学1年目 in Tokyo

大学に入ってからはサークルに入って友達ができて楽しく生活してた。サークルでサッカーするのもめちゃくちゃ楽しかったし、そして何より東京ってことで毎日ワクワクしてた。

バイトは大学の友達の多くと一緒に居酒屋でやってたり、銀座の5つ星ホテルでバイトしてたんだけど、このホテルには海外のお客様も多く来られるところで英語で話しかけられるたびに誰かに助けてもらったり、めちゃくちゃ焦りながらなんとかボディランゲージを使ってコミュニケーションをとったりしてた。

僕のサービスは2つ星もなかったと思うけど気合いと心遣いで頑張った。

この時に自分の英語力の低さを痛感しまくって、ますます海外に出て英語を学びたいって思いが強くなった。

実はもう1つ理由があって、僕は高校まで本気でやってたサッカーを辞めて上京したんだけど、最初はもちろん楽しかったけど時間が経つごとに東京にも慣れてきてなんか自分の中で燃えるものがないなって思ってた。

大学のサークルでサッカーをするのはもちろん楽しかったし、友達と過ごすのも楽しかった。でも、心のそこから燃えるものがない毎日に飽きていたし、将来への不安がすっごいあった。

そしてそれを変えるにはどうすればいいんだって事で世界1の都市に行くしかない。そしてそこでまた成長してやるって決意した。

それが大学に入って約半年たった頃だったと思う。

現状のままだと自分がワクワクできる生き方をすることは不可能だなって思ったからすぐに大学を決断してそこからは1年間のニューヨーク留学に向けての準備。

バイトは長い日だと朝7時から銀座のホテルで夕方まで働いて、その日の夜にはもう一つのバイト先の居酒屋で朝5時まで。バイトしまくりのこんな生活を継続してお金を貯めたりした。

実際にはそう簡単に全てのお金が貯めらるわけじゃないので親にも協力してもらった。どれだけ時間をかけても十分なお金を稼ぐことができない自分の無力さも感じたし、親には感謝しかない。

大学、さようなら。楽しかったし一生の友達がいっぱいできて嬉しかったです。(これほんまに大事)

いざ、世界1の都市 New Yorkへ。

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ニューヨークに行く前に英語の勉強をしたかっていうと、もちろんした。英語力が高ければ高いほど留学先での時間がより充実するのは分かってたから。でも、実際その時は英語の学び方なんてよく分からなかったしバイトしまくりだったから学習時間もあんまりなかったなぁ。

ニューヨークでは最初の3ヶ月間はホームステイだってことは分かっていたのでそのホストファミリーにめちゃくちゃ最高の第一印象を持ってもらうことだけは大事だと感じてたからその自己紹介の練習は本当に数え切れないくらいしたし、もうなんならホストファミリーの顔なら妄想のイメージで見れてたと思う。笑

今思えば、ホストファミリーとZoomで先に挨拶ができるとかのサービスがあれば良いなって感じるんだけどそれをしてる留学エージェントあるんかなぁ。あったらすごい優しくて良いよね。

まぁ、そんな感じで大学1年が終わって遂に2017年4月1日からニューヨークへ留学した。ニューヨークの空港に着いた瞬間に五感全てで感じた。’’あ、俺ワクワクしてる。’’ って。

その時は不安な気持ち、楽しみな気持ちとかいろんなものがミックスされてた。それでもここでまず1年間、生きていくんだって覚悟を決めてホストファミリーと挨拶。

完璧に準備してた挨拶は、、、緊張でできんかった。笑

でも、日本の空港で買ってた富士山が描かれてる時計のお土産をあげたらみんなテンション上がってくれたからなんとか第一印象はいい感じだったと思う。

お母さんと子ども2人の家庭で、子ども2人は特に抹茶チョコで喜んでくれてた。今でもインスタを更新するたびにコメントくれる。笑

弾けないギターとポンコツ英語では話が尽きたので「疲れてる?」って聞かれた時に''Yes!''って言って部屋に入った。ドア越しにみんなが何か話してるけど何1つ分からなかったのを覚えてる。

でも良い感じで初日は過ごせた。寝てたら家の目の前で銃声8発あったけど。笑

語学学校 in New York

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その2日後、僕の誕生日の4月3日に語学学校がスタートした。「その英語力で留学しにきた勇気凄い!」って言われた場所。初日はみんなテストを受けてレベルをチェックされてクラスが決まる。

受けてみたらほんまにびっくりしたんだけど、そこにいた日本人の中でダントツで最下位。誰も日本人がクラスにいないって感じで ''あぁ。俺まじで英語力低いんやぁ。'' って実感したし焦った。

レベルで言えば中学英語が全然できてない感じのレベル。だから英語を使って自分の意見を述べるなんてことは到底できるレベルじゃなかった。

その語学学校で超仲良くなった日本人の先輩に今でも会うたびに言われるのは、「壱成、There is ~. と There are ~. を知らんで俺に They と Thereの意味とか違いを聞いてきてたよね。」って。笑

確かに思い出すとその先輩が ''There is a Japanese restaurant.''(日本食のレストランがあるよ。)って言ってた時に僕はこの人は一体何を言ってるんやろって不思議でたまらんかった。

僕には、''They is Japanese restaurant.''(彼は日本のレストランです。)って聞こえてた。その先輩と二人で観光したりする時は英語だけで話す時間を積極的に作ってたから本当に多くのことを学ばさせてもらったなぁ。

そんな感じで語学学校に入って約10ヶ月の学校のコースを受けて、そして卒業してその3ヶ月後に当時日本1だったJリーグのサッカーチームに英語通訳として加入し、アジアチャンピオンズリーグで通訳をしたりもした。

その3年後に通訳を辞め、今は起業して英語コミュニケーション力を爆上げするマンツーマンサポートの英語コーチングをしてる。

なんでこんなことができたのか。

たった1年間の留学でどうしてこんなに英語力を伸ばして通訳をできるまでになったのかってことについて書いていく。

語学学校にいた多くの日本人の先輩たちは留学し始めた頃は手の届かないくらい遠い存在だったけど、時間が経つにつれて僕の英語力は半端なく伸びて言って追いつき、追い越した。

英語でコミュニケーションをとることに対してなんの不安も恐怖も無くなったし伝えたいことをスムーズに伝えることができるようになって、相手の伝えたいことも的確に理解できるようになった。爆速。

何よりも友達がめちゃくちゃ増えたし、僕が帰国してからも日本に会いに来てくれる友達や僕が海外に行った時に必ず会う、そして今でも定期的に連絡するような深い友達が多くできたのは間違いなく財産で幸せなこと。

仕事の相談をしたりもしてる。

ただ、僕の英語力(英語コミュニケーション力)が短期間でこれだけ伸びたのには理由がある。それは僕の学びに対しての姿勢と、第二言語習得に基づいた学習法をできたから。

言語を習得するためにはどのようにすれば効率的に素早くレベルアップしていけるのかっていう方法がある。それを実践すればほんまに伸びる。そしてそれを個々人の性格やライフスタイルに合わせて工夫することでもうノンストップ。

まぁこれは超長くなるから違うnoteで書くか、僕の英語コーチングの無料カウンセリング受けに来てくれたら全部知ってるもの伝えちゃう。

学習に対しての姿勢と考え方

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信じられないくらいのスピードで僕の英語力は伸びたんだけど、もちろんそれは才能があったからとかじゃなくて僕の学習に対しての姿勢が大きく関係してる。

まず、学習時間に関して。語学学校に朝9時から行き、それから授業を受けて15時くらいになったらそこから近くの図書館に行きそこで2時間勉強。だいたい17:30くらいになるから、勉強終えてジムに行って1時間くらい筋トレ。

それが終わって家に帰ってシャワー浴びて着替えて友達とご飯を食べにいく。それから友達の家に行ってみんなでずっとワイワイする。そして朝4時くらいに帰って寝て起きて9時からまた学校。こんな感じの毎日。

学校のない日はジムに行ってそのあとに友達と会ってどこかカフェに行ったり、ニューヨークでしか味わえないことをする。その繰り返し。やってることは一般的な留学生と変わらないように見えるんだけど、そのやり方と考え方に違いがある。

カナダに行った時に聞いたんだけど、日本人留学生が学校外で英語を話してる時間の平均は15分らしい。これってやばいなって思ったんだけど、これが結構リアルだとは思うしそう簡単にずっと英語で話せるような環境は作れなかったりする。

だからまず僕は学校外での英語を使う時間をめちゃくちゃ増やした。どんなに下手くそでも、何時間も英語を使う(使うしかない)時間を作ってた。

日本人の友達ともできるだけ英語を使って話すようにしてたし、最初は変だと思われてたけどみんな仲良くなって英語で話すのが普通になった。笑

もちろん日本語も話しまくってた。伝えたいことがあふれまくる時とか特に。

「留学中は日本人の友達を」作らない方が良いって言われることも多いんだけど、僕はそうではないと思ってて、もちろん日本語を話さない選択をすることで英語を話す時間が増えることは良いことなんだけど、

そんな感じだとせっかくそこにいる素敵な日本人の人たちと知り合う機会を逃してしまうから、できるだけ日本人とも英語で話す選択をした。

だから英語を使う機会は本当に多かった。まぁ英語を使う機会が多いってことはそれだけ間違ったり失敗する回数も多いってことなんだけど、僕がその時に思ってたのは ''第二言語を学んでるだけで俺すごいなぁ、だから間違ったって大丈夫。'' ってこと。

語学学校に入った時の僕の英語力は本当に低かったのでクラスには僕と同じくらいのレベルの生徒たち。確かその時にいたドイツからきてる生徒だったと思うんだけど、

その人は授業中ずっと信じられないくらい積極的でもうミスなんか気にもしてない感じで、めちゃくちゃ発言もして見てるだけでもその人の英語力が日に日に伸びていくのが分かった。

そして僕はその人にどうしてそんなに話せるのかを聞いたんだけど、その人が「だって僕はドイツ語を話すけど英語を勉強しててそれは素晴らしいことだから。」って教えてくれた。

それから僕はもう間違いなんて気にせずに今持ってる力で相手に伝わればそれで良いし、伝わらなくても恥ずかしいことじゃないんだ、英語を学んでる時点で最高に誇れることなんだって思考に変わった。

実際、そのドイツ人の生徒と話してる時はお互いに英語力が低すぎたので100%こうやって言ってたのかは分からん。笑

でもその時の僕は本当に救われたなぁ。

そんな精神を持ってやく10ヶ月くらいのニューヨーク留学を終えて日本に帰国。その3ヶ月後に通訳として日本一のサッカーチームの英語通訳に。

結局大事だと思うのは

・ミスを恐れない

・積極性を持つ

・継続する

・自分にあった学習法を知る

こんな感じで大事なのはいっぱいあるけど、まぁそんなのは英語コーチングを受けたら解決できることがいっぱいあるからちょちょいのちょい。

それよりも大事なのは ''人生をアップデートしていくこと''。

自分と向き合うことが本当に大事だと思う。自分に向き合うことから逃げ続けると何をしてる時がワクワクできて何をしてる時が悲しいのか、そしてその気持ちは自分でコントロールできることなのかそうでないのか。何も分からないまま人生の時間が経ってく。

僕は自分と向き合って人生をアップデートし続けることで自分は幸せを感じることができると思ってるから、サッカーを辞めて英語を学んだし、大学を辞めてJリーグで英語通訳をしたし、Jリーグ通訳を辞めて起業した。

そしてこれからも多くのチャレンジをしていきたいと思ってるし実際にそれに向けて行動してる。今スペイン語や中国語を学んでるのもそう。ガオっ。

これからも多くの人を当たり前のように助け続け、価値を提供し続ける。その繰り返しをしていくことでできることが増え、自分のいきたい人生を生きることができると思う。

言語は最高。あと筋トレも。だってやればやるほど前に進んでいけるんだもん。仕事とか人間関係は約束された結果があるわけじゃなくて時には落ち込むこともある。でもそんな生活の中で何か継続することで常に成長を感じることができるものがあると充実度は大きく変わる。

留学中もそうだったけど、不安を感じるのはいつも自分の成長を感じられていない時ばかり。やらなきゃいけないこととかやった方が良いって分かっていることを後回しにしていくことでそれが習慣になってしまう。

だから僕は普段から小さなことでも後回しにすることをできるだけ避けてる。だって、後回しにしたら本当に癖になっちゃうから。

まぁ人間は恒常性って言って変化をあまりしないことで生存してきたから自分の習慣を変えるとかってかなり難しい。それは仕方ないことだからそれを受け入れた上でそれでも変化を起こしたい時はそれをサポートしてくれる人に頼ったり変化を起こすことができる環境に身を置くことがすっごく大事。

なんか色々と話が逸れそうだったけど、結局どうして僕が英語初心者からたった1年間でJリーグ通訳になれたかというと、英語を学ぶだけじゃなくてその過程でいろんな工夫をして圧倒的な時間と圧倒的な質で学んだから。

そしてその方法が第二言語を習得する時に超効果的だったこと。自分の周りいる人たち全員が先生だと思って素直に謙虚に学び続け、ミスを恐れることを辞めたからだと思う。

その結果、英語はめちゃくちゃ信じられないくらい伸びたんだけど、それだけじゃなくて自分自信をアップデートすることができたから。

最後に

言語は面白い。学ぶ過程で自分の中でいろんな感情が湧き出てきて見えなかった角度から物事を見ることができるようになる。シンプルに英語を使って世界中の人とコミュニケーションが取れるって最高すぎてハッピーすぎ。

筋トレも最高すぎる。継続していけばいくほど体も変わってきて自信つく。あぁ。バイリンガルマッチョとして英語と筋トレをミックスさせた何かをしたいと思う。(ちょっと仕掛け考えてる。)

それはそうとして、どんなことでも簡単に手に入れることができるもの出ないからこそ身についた時の感動とか満足感とかが大きい。

それは言語やトレーニングや仕事だけじゃなくて全部そう。まぁ早く身に付けたくてストレスを感じることもあるけどそれも含めて自分を成長させてくれるし後で振り返ったら全部必要なことだったってことが多い。

多くの方のおかげで僕はJリーグで英語通訳として働くことができて、アジアチャンピオンズリーグでの記者会見通訳をさせてもらったり、選手から大きな信頼をしてもらって、そしてチームの目標を一緒に達成することができた。

本当に感謝しかない。

もちろん、ここでは書ききれないくらい大変なことの方が多かった。でもその度に試行錯誤してハードワークして乗り越えてきた。そしてその過程を倒しんだ。全てが今の僕を作ってくれてる。

今は英語コーチとして多くの生徒のかたたちをサポートさせてもらえる環境にいる。いろんなスポーツのアスリートの方々、学生の方々、社会人の方々。オンラインだから世界中いろんな場所に住まれている日本人の方々にも受けてもらえてて、最高に幸せ。

自分の持っているものを惜しみなく与えて、価値を提供し続ける。そして仕事でもプライベートでも僕にできる限りで周囲の方々に感動を届ける。

簡単な方より難しい方を、そしてワクワクする方を選択をし続けることで好奇心が掻き立てられると没頭できて成長スピードが速くなる。そしたら失敗なんて気にしてる場合じゃなくなる。

挑戦するってことはミスする覚悟を持つことでもある。でも挑戦した人にしか分からない、見えない景色がある。だから面白い。まだ見たことのない景色を僕を必要としてくれる人たちみんなと一緒にこれからも見ていきたい。ガオっ。

コツコツが勝つコツだ。

Be optimistic.

山崎壱成



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