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複雑系生命科学に倣う

自分にどのような思考の癖があるか意識したことはありますか?普段そんなことを考える人は少ないと思いますが、科学の世界ではパラダイムと言って、物の見方は重要です。パラダイムシフトという言葉なら聞いたことがある人は多いと思います。ざっくりとした説明としては、ある時代、ある人たちにおける思考の癖や規範みたいなものです。さて、なんでこんな話をいきなり持ち出したのか。今回は、物の見方について考えてみます。

物理学の美しさ

私の一番好きな方程式で、マクスウェル方程式というものがあります。マクスウェル方程式は4つの偏微分方程式で、電場と磁場の関係を記述したものです。これに初期条件と境界条件を加えてやれば、電磁気現象の広い範囲を説明することができます。例えば、アンテナ、ワイヤレス給電、電気回路など電気や電波が絡むものはなんでも説明できます。なので「一を聞いて十を知る」を地で行く方程式です。

もちろん、マクスウェル方程式も最初から発見(発明?)されたわけではなく、様々な個別の現象を発見してそれを統一的に説明しようとした結果たどり着いたものです。電磁気学だけでなく、物理はこのようなスタンスで、個々の事象の背後にある一般事象を発見しようとしています。これが物理学の楽しい部分であり、美しい部分だと私は思っています。

対して私がいまいち好きになれなかったのが生命科学です(今は大好きです)。その理由は、このような一般法則を探す気がそもそもあるのか、という疑問からです。もちろん、生命とは何かという一般的な答えが欲しいことは理解しますが、なぜそのように思えるのでしょうか?

還元主義

生命科学、特に現在中心となっている分子生物学は生命を分子レベルに還元して、詳細な研究を進めています。還元するとは、物事を部分(要素)に分解することです。部分もさらに部分に分けることができます。もちろん、これ以上分けられないという行き止まりがあり、物質であれば素粒子がそれ以上分割不可能であると考えられてます。

生物であれば、個体、臓器、細胞、分子、と言った具合に還元します。もちろん、これより下のレベルで考えることも可能ですが、意味があるかは疑問です。どのレベルで研究するかは任意ですが、自分たちが最終的に説明したい対象を理解するのに有益そうかどうか、というのが一つの基準になります。

この観点で言うと、分子生物学は生命とは何かと言う問いを細胞の性質を詳しく調べることで解明しよう、という学問だと思われます。しかし、この方法は上手くいくのでしょうか。結論から言うと、かなりうまくいっているけど、限界もありそうといった感じです。

部分の総和が全体を説明できない

何が限界がありそうだと思わせるのか。それは、部分の単純な総体が全体になり得るか否かという点にありそうです。実際になりそうにないです。それは線形性を仮定した、もしくは過小評価したパラダイムに原因があると思います。多くの物事は非線形であり、ダイナミックな相互作用のプロセスの中に埋め込まれているという認識の不足があります。

つまり、生物現象はものすごく非線形性が強そうなんだけど、実際に教科書を読むとその辺りはほとんど触れられていなくて、ひたすら要素が羅列されている。THE CELLを目の前にして学生時代は絶望しましたが、これら部分がどうやって個体としての生命を作るのかまったく見えてこないんです。

複雑系生命科学

この先の話を進めるにあたり、金子邦彦先生の生命とは何か―複雑系生命科学へという本がとても参考になりました。

では、生命科学に非線形性や相互作用といった概念を取り入れるとどうなるのか。先述した生物学における個別事象の羅列はオーム主義と呼ばれています。ゲノム(genome), プロテオーム(proteome), メタボローム(metabolome) ,フィジオローム(physilome)など聞いたことがありませんか?この〇〇オーム(ome)というのは、枚挙主義といって、全部の要素を挙げて(枚挙して)システムを記述してやろうという考え方です。従来の生物学はこのようなパラダイムが主流のようです。しかし、これにはいくつか問題点があります。金子先生の本を引用すると、オーム主義的な生命科学に対して以下の問題点が指摘されています。

(1)枚挙の限界
(2)枚挙の基準
(3)組み合わせ的な複雑さに生命の本質はない
(4)ゆらぎの重要性
(5)現象にぴったりあわせるモデル探索の原理的困難さ
(6)立脚すべき基礎方程式の不在
(7)現象を再現しても理解したことにはならない
(8)普遍的性質を抽出する方法論の不在

ざっくりした理解だと、枚挙主義的な方法論では全体としての生命の理解とか、一般法則は導かれないよねと主張しています。そこで、動的なシステムとしての生命をみるために、ゆらぎ、可塑性(やわらかさ)、相互作用といった、複雑系科学の視点を元に生命科学に新たなパラダイムが持ち込まれました。

複雑系とは、部分の単純さからは説明できないような全体の複雑さを生み出す系です。例えば有名なカオスも複雑系現象のひとつです。カオスを見るとわかるように、各部分が必ずしも複雑な性質を持つ必要はなく、相互作用の結果として複雑な振る舞いを生じさせます。

なので複雑系生命科学(複雑系の視点でみた生命科学)とは、その相互作用の仕方に注目した生命科学だと言えそうです。この視点に立てば、各分子が持つ性質が全体の中に埋め込まれることになります。金子先生の著書では「部分からなる全体によって部分が決められる」とうまく表現されています。部分が全体をつくり、また、全体が部分に影響を与えるといった仕方で複雑に絡み合っています。なるほどなと思ったのは、目に見える個別の要素だけではなく、相互作用そのものを重視するというパラダイムへの転換です。これまでの枚挙主義が無駄になるわけではなく、より一般的な視点に統合されるわけです。

複雑系生命科学に倣う

では、私たちが扱っている心に関連する領域はどうなんだと言うことになります。例えば、感情心理学、認知心理学、感性工学、生理心理学、精神医学、Affective conputingあたりが議論になりそうです。正直な感想をいうと、枚挙主義感があります。そして現に個別の現象の辞書を作るだけで、地図にはなっていない。これの何が悪いかと言うと、ある一連の実験で得られた局所的な法則が少し条件を変えると成り立たなくなってもその理由がわからなかったり、別の法則との接続方法がわからないということになってしまいます。要するに、個々の事象同士の関連が不明瞭になります。

また、質的な表現が多すぎて、余白が多い記述体系も問題だと感じています。個々のインアウトに単位を与えなければ、そのシステムを記述するときに曖昧さが紛れ込んでしまいます。このあたりは、複雑系生命科学が採ったアプローチは魅力的です。モデルベース的なアプローチもヒントを与えてくれそうです。

最近は全脳アーキテクチャや計算論的〇〇(認知科学、神経科学、精神医学)が盛んになってきており、心の領域にも新たな風を感じます。複雑系生命科学、計算論的〇〇、人工生命などに共通しているのは生成モデルを重要視している点です。内部状態や背後のメカニズムから、どのようにして結果が説明されるのか、それを数理的に表現しようとしています。

私の認識だと、Affective computingに代表される感情認識技術は、その内部構造(感情の生成原理)や適用範囲をあまり意識していません。それだと、単純なパターン認識でしかなく、その裏付けを与えることができなくなってしまいます。

おわりに

話が発散しすぎましたが、これで終わります。物事を考える時に、実は学問ごとにメタ的な視点の持ち方にはかなり多様性があり、それによって見えてくるものが違うということを知ってもらえればそれで成功です。個人が持つバイアスと似たようなものです。たまには見直して、良さそうな別の視点を探す必要があります。生命科学を引き合いに出しましたが、他の例でもかまいません。ただ、私たちが取り組んでいる感情に関わる領域に生命科学に類似する問題点が含まれているというのは重要で、それがどう解決されたか、もしくはされそうかといった部分は大いにヒントになります。最近は心理構成主義派が基本情動説を否定するデータを突きつけるといった面白い状況もあり、ひょっとすると近いうちに大きく心に関する研究の局面が変化するかもしれません。そこに私たちも一枚噛みたいところです。

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